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「KIGEN」第二十三回


 若き研究者の背負った現実があまりにも非現実的で、その苦悩を思えば下手に口を開けない。何か発すべきと思いながら、何を発しても彼を傷付けるかも知れず、脳裏へ浮かぶ台詞は容易に表へ出されずに、居心地の悪い空気が研究所内へ充満した。

「取り敢えず、落ち着こうや」

 ぱんと自分の膝を打って沈黙を破ったのは、三河だ。張り詰め過ぎた空気の緩め方を知っている、そんな空気を幾度も経験して来た彼らしい、緩やかな発言だった。

「今現在、いちごう君は生きている、な?」といちごうを見る。

「はい、生きています」

 いちごうは胸に手を当てて深く頷く。そうすると奏の作ってくれたポンプ式心臓の鼓動が手の平を伝わって響いて来る。「生きている」そう言われてはいと躊躇うことなく答えたけれど、「生きている」と咄嗟とっさに実感したものは、自分の器官の内の、一体何処だったんだろう。鼓動が響くと実感したものは、果たして何という器官だろう。いちごうはふわり疑問を浮かべながら、何だか妙に愉快な気持ちがしていた。三河は頷いたいちごうに満足そうに口元を緩め、一同を見渡した。

「いちごう君がこうして今現在を生きているのは紛れもない事実。そしてそれを可能にして来たのは奏氏の手腕、頭脳、技術、センスでしょう。これをひっくるめて愛情という。こんなにも愛情注がれて生きる現在、事態が悪い方へ進んでいるとは俺には思えないな」

 三河は淡々と語って矢留世を見た。お前はどう思う?そんな目をしている。

「僕も同意見です。少なくともこの先、いちごう君と奏くんと、同じ方向を向いて進んでいきたいと思う。それがきっと僕等の進むべき道なんだと思う。って、僕が言う事じゃないけど・・でも、そんな気がする。君たちが描く未来へ向けて一緒に進んでみたいって、今凄く心が叫んでるよ」

 重苦しかった議場は瞬く間にロマン乗せた宇宙船になった。熱を入れて本音が出たのか、熱に浮かされて夢が零れたのか、各自の事情は微妙にずれているかも知れないが、どっちにしろ大人たちに火をつけたのは、紛れもなく奏だった。

「嬉しいなあ。息子たちの歩む壮大な夢の入り口に、心許ない父だけじゃなくて、こんなに頼もしいお二人が一緒になって立ってくれてる。ああ、胸のワッペンが眩しいなあ、なあいちごう」

「はいお父さん、私も大変心強く思います。ねえ、奏」

 奏は返答に困った。自分と向き合ってくれる人々へ、どう感情表せば良いのか分からないで、ぎこちなく頭を下げてみる。三河のもたらした上昇気流の御蔭で、今後の相談を始める気力が全体へ生まれた。

 彼等は盛んと意見を飛ばし合い、今後の道行きを相談した。どう繕うにしても、既に古都吹家の人間だけで手に負える案件ではなく、そうかといって矢留世らがたった二人加わったからと言って、いちごうの未知なる進化と領域について詳細に解析出来る筈も無く、事態は変わらない。だがいきなり世間へいちごうの存在を発信すると、瞬く間に存在が知れ渡る事となり、その真実の内には偽物も多分に混じるだろう。望まない憶測が飛び交う事は容易に想像がつく。身の安全が保障できるとも限らない。

「要するに、極秘事項として本部へ報告を上げて、うちの機関が全面的に協力できるように計らえばいいんですよね」

「まあな。口で言うのは簡単だ。しかし実行できなきゃいかん。外部に漏れないように細心の注意を払って、とにかく、まずは精密検査だな。人工知能含めた機械的部分と、奏氏の言う人間的部分と、全体がどういう配分になっているのか、いちごう君を細部に渡るまで詳らかにしないと先の手段が選べないからな」

「わたしは丸裸にされるんですね」

「おいおい、破廉恥な言い方するなよ」

「何ですか?ハレンチって?」

 矢留世の率直な疑問に、三河は眉根を寄せて睨み付けて黙らせた。今は話を先へ進めたい。

「これは提案です。我々の管理下でもって、病院で検査を行いましょう。信頼のおける機関があります。ただ、機密事項として扱う事は出来ますが、いずれこの案件は国へも明かす事になるのではと予想されます。我々が国とのかかわりがいまだに深いからではありません。彼の存在があまりにも稀だからです。まあ、ぶっちゃけて言えば、仮にこちらから正式に国へ情報を上げなくとも、早晩向こうからアクションを起こすのではと俺は思う。漏洩だとか組織の統制を疑うつもりはないが、AI技術はいまや世界中の関心事だ。誰しも最先端を狙ってる。そして政府はな、こんな時は鼻が利くもんだ」

「三河さん」

「ああ、大したことは言ってないだろ」

「変なとこで角立てないで下さいよ。円滑に、淑やかに、お願いします」

「何だよ、破廉恥も知らんくせに」

「あの―」

 小競り合い始めそうな二人の間へ渉が割って入った。

「いずれ国へ伝わるというのは、その、理解はしますが、もしもその場合、いちごうは国の管理下に置かれるとか、そう言うお話でしょうか。もしそうなら、ここですんなりはいとは頷けないと思うのですが」

「いいえっ」

 三河が口を開くよりも早く、矢留世が断固とした眉を持ち上げて渉の懸念を振り払った。

「そんな勝手な真似はさせません。我々組織にも、国にも、そんな権利はない筈です。僕はここで約束します。いちごう君を、古都吹家のみなさんを危険に曝すような真似はしないと。いちごう君を傷付けないと」

「またでかい口を叩くなあ、うちのリーダーは」

「だって、いちごう君の製作者は奏くんですよ。彼等には既に信頼関係もあります。第三者が身勝手に踏み込んでいい理由なんてないじゃないですか。僕が彼等を傷付けるような真似なんか絶対させませんっ」


第二十四回に続くー


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