マガジンのカバー画像

掌編、短編小説広場

124
此処に集いし「物語」はジャンルの無い「掌編小説」と「短編小説」。広場の主は「いち」時々「黄色いくまと白いくま」。チケットは不要。全席自由席です。あなたに寄り添う物語をお届けしたい…
運営しているクリエイター

#物語

「ミスターA」

 あなた様のことをお話するのは、身勝手なような気が致しますから、遠慮しようと思っておりました。けれどもやはり、世の中で堂々とあなた様の事に触れ、堂々御礼を述べたいと、こう思い立ったのです。不本意でございましたら申し訳ありません。  あなた様はいつもエネルギッシュで清潔感の溢れた御方でした。私共は一同揃って、大変可愛がって頂きました。こういう日々が続いてゆくものと誰もが思っておりました。  いつの間にお聞き及びになられたのか、ある時からあなた様は、大相撲をほんの少しだけかじ

短編「かなまう物語・下」

 ぼうぼうだった草に元気がなくなった。風が強まり、細い路地にも舞い込んでは落ち場を転がしてゆく。秋が来たのだ。  手紙は相変わらず届けられていた。箪笥の上へ積んでいた手紙はいっぱいになって雪崩を起こしたため、男は箱を一つ用意した。押し入れにしまってあった段ボールの一つだ。最初に屑籠に投げ入れた手紙もいつの間にか拾われてそちらへ入った。手紙の封筒の色や柄はいつも様々で、段ボールの中は男の家の内で一番カラフルだった。  今日は何が書いてある?  手紙を取り込んで早速便箋を広

短編「かなまう物語・上」

   郵便ポストの後ろに忘れられた細い路地がある。路地に沿うのは民家の側面とか裏側で玄関を構えている家はないものだから、日中もひっそりとしている。だが近所の住人にとっては生活道路に変わりなく、知る人ぞ知る路地でもある。その路地の片隅に、男の家はあった。  男の家は路地のぷつりと切れるぎりぎりの位置にあって、平屋で、古くて、瓦が日に焼けて薄ボケて、玄関前の草はぼうぼうと生えたら生えたままであるし、冬になれば勝手に枯れている。男が何をして生きているのか、誰も知らない。  こ

短編「ことに朝は忙しい」

 ソウのお母さんはふくよかなお腹とお餅のように柔らかい頬が自慢で、子どもは全部で十一人いる。ソウは十一番目の子どもだ。  ソウは保育園に出発する時間が迫っているため朝ごはんを急いで片付けなくてはならないのに、末っ子の甘えん坊がどんな時でも発揮される。 「お母さんボタンがとまらないから僕保育園行くのやだ」  お母さんは家族みんなの朝ごはんから身支度まで全部ひとりで請け負っていて、ソウ一人にばかり構っていられない。フライパンの目玉焼きをじゅうじゅう言わせながら、後ろ振り返って

短編「迷子水流譚」

「迷子かあ」  山に足を踏み入れて暫く、哲樹の耳に聞き慣れない声が届けられた。登り坂で矢鱈跳ね上がる鼓動と、今日と云う日を寿ぐ小鳥と、行く末見守る葉の内緒話と、それだけで十分であったのに、声が聞こえた。帽子の鍔引き下げて無言の内に通り過ぎようかとも考えたが、こちらが一歩先へ進む度に、声の主も一歩近付いて来るらしく、離れる積りが無いのなら、早く答えて後は構わずに於いて貰う方が気楽で良いと考えた。哲樹は一旦立ち止まり、声の主へ顔向けた。近所では見ない顔だった。少し気が楽になった。

短編「青春の引出し」

 田川さんの悩みは、上手く笑えないこと。社会人も四年目になって、もうそんな、頭抱えなくっても勝手に零れていきそうな大人の嗜みが、田川さんは上手くできなくて、いつまでも上手くできないから、いつまで経っても悩みの種だった。それでも田川さんには、理想とする笑顔があった。それは陽だまりの中に咲くお花のように笑う事だ。にこにことして、柔らかく、けれど、あくまでも姿勢良く、美しく。理想はとっても高くて、想像だけは日々積み重ねているけれど、実行できた試しは無い。きっとチャンスは幾らでも巡っ

掌編「月の落とし物語」

 上り框に腰を下ろして、長靴へ足を入れた。爪先、踵、とんと叩いて、よし。今日も家を出る。敷居跨げば瞳には夜が広がる。玄関灯が照らす自らの影を踏むと、愈々大地蹴り出す。今夜中にはそろそろ決着を見たい。使命燻らす瞳が、深い藍の世界で瞬いた。  その話を聞いたのは一と月も前の事だった。進は独身だが三つ上の兄には妻と子が居り、二つの家は同じ市内に或る物だから、進は頻繁に兄の家へ顔を出しては嫂や、三歳になる姪を調戯って遊んでいた。その上兄も休日となれば、四人で出掛ける事も頻繫であった

掌編「星、そそぐ、夜に手を。」

 夜の向こうではいつだって星が謡う。瞳を凝らして、耳を澄まして、ほら、愛が降って来た。一緒に手を伸ばそう― 「人員募集中」  貼り紙にはそれだけが大きく書かれて在った。学校の中庭の、レンガ造りの花壇の隅に、木製の小さな看板が刺さっていた。花の名前でも無く、世話する学年の表記でも無く、恐らくは何処かの部活だろうけど、人員募集中と、黒のマジック重ねて太く、強調してある。人手不足なのはよくわかったけど、何処の部活だか書いていない。致命的である。花壇の花はパンジーと、後は知らない。

掌編「早代さん」

 朝風呂を使うと、その日一日の心持ちが大変良かった。特にまだ日の長い今の季節なら、灯りが要らない。自然光に包まれたタイル張りの、さほど広くも無い小さな世界だけれども、英助はその狭い処も自分好みであると思っていたし、なにしろ妻が、気に入っていた。石鹸を泡立てて、肌に順繰り纏わせる。首筋から肩へ、それから胸元、腋、腕を右と左と、泡が減れば、又石鹸を手に取った。植物由来の香りが、泡の弾ける都度鼻腔をすうと爽やかに抜けてゆく。英助は自分がこうして毎日朝湯を浴びることの出来る環境に或る

掌編「お隣さん」

「お目覚めになって?」 「あら嫌だわ、わたしもう起きていてよ」  この世に遥々生れ落ちて、物心つく前から運命的にお隣さんとなった二つは、同じように日を浴びて、同じように陰を凌ぎ、同じ水を与えられてすくすくと育った。二つの他にも、周りには仲間がうんと存在していた。 「ねえ」 「なあに」 「あなた少し前にお出になって下さらない?」 「どうして?」 「だって、そうしないとわたくしの頬に光があまり当たらないんですもの、不公平よ」 「そうかしら、わたくし夕べからずっとこうしてるのよ。

掌編「ジラフ!!」

 彼、アーミーにとって、硝子戸の向こう側は聖地であった。憧れだけは人一倍持っていたけれど、自らの足で踏み込むにはそれなり勇気が必要であった。それでも、いつか必ず、この身を運ばせてみたいと云う、強い願いを持っていた。憧憬の眼差し注ぎながら、それこそ首を長くして待っていた。  彼の憧れる硝子戸の向こうには、それでは一体何が在るのか。  彼の住まう世界は狭いと迄は云わないが、そうかと云って広いとも云えなかった。そこは殆どが屋外で、足元は砂と草とに覆われて、見渡せば木々が立ち並ぶ

短編「最寄り駅のその先」

 最寄り駅に到着しても、彼女は電車を降りなかった。  マスクとマフラーで顔はほとんど隠され、頭にはニット帽を被り、たった今側頭部辺りを掴んで下へぐいと引っ張った処である。まるで前髪押さえつける様にして被った青い毛糸の帽子の下からやっと見えるのが二つの目で、その目は先刻から憮然と前を見据えたまま、座席で膝を揃えて、ただ電車の揺れるのへ従って、右へ左へ僅かに揺られる程度であった。服装はと云えば、ブレザー制服の上から学校指定のピーコートを着込んで、その右腕に通学鞄を通して膝の上へ抱

掌編「博士の憂鬱と時子さんの手袋と助手の高木」

 スチール机の上から目覚まし時計が落ちた。書類やファイルで複雑な山となっていた机上は、これで雪崩を起こして次から次へと足元へ散らばって行く。リノリウムの床を一際遠くへ滑って行ったのはピンクの蛍光ペンであった。 「博士、大変です!起きて下さい!!」 「うるさいよ、もう起きとるよ」 「そうですか?目覚まし時計が鳴らなかった時は起こせといつも仰るから」 「見てわからんか、それ以上に大きな音が今ここで発生したんだ。これで起きない奴の気が知れんよ」 「はあ」 「ぼうっとしてないで君も

短編「眠れぬ聖夜の男の子」5・終

 彼と友達になりたい。  それがトウジの願いであった。三カ月前、偶然出会ったガラン番地の男の子。家族の為、村人の為に、小さなうちから一生懸命に働いている男の子。偶々出くわしただけなのに、弱った僕を助けてくれた、口は悪いけど、本当は多分優しい男の子。  彼にまだきちんと御礼を伝えられていない。マフラーの御礼も出来ていない。服を買いに行く約束も果たしていない。だから僕は伝えたいと思った。届けたいと思った。正直に云って、僕の贈り物を喜んでくれる保証は無い。あんまり自信もない。けれど