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負けた。 今日俺に、人生何度目かの負けが付いた。負ける事は幾らでもある。その度に落ち込んでいても何の意味もない、そう分かってはいても、悔しい。敗北の二字を突き付けられるたび、悔しくて仕方がない。 俺は全力を尽くした。そう納得できるだけの仕事はしたつもりだ。先輩も――今回の裁判は先輩と二人掛かりで挑んだわけだが、先輩も無論のこと、一切隙の無い仕事をした。二人で死力を尽くして戦って、それでも負けたのだ。勝てる見込みがあると挑んだわけではない。仮にそうであったとしても、途中
「あーあったあった。あれ、あれがうちの盆灯籠じゃろう」 「あんなところで回り出したか?」 「あんなとこゆ-て、あんたあれ、あの子のとこの娘でしょうが。もう長い事一人暮らししよるんじゃけえ」 「あれほんまじゃ、よう見りゃ顔がそっくりじゃ。ほんならあれか、あそこへ帰りゃええんか?今年は」 「ほいでも待ちんさい。仏壇はあれよ、去年のとこへあるんよ。御供はあっちへ届きよる」 「ほんまじゃ、線香も焚いてあるな。じゃわしらどっちへ行きゃあええんかの」 「馬鹿じゃねえ、どっちも順番に顔出
シロクマが目を覚ました時には、既に海岸から遠く離れていた。泳いで戻ろうと思えばそれも出来たが、シロクマは流氷と共に行く事にした。周りにはまだ氷の塊がボコボコあって、見渡す限り氷海が続く。たった今シロクマが寝そべっているのと同じくらい大きいのもあるが、小さいのもたくさんある。大きいのは教室かリビングルーム程、小さいのはレジャーシート位だろうか。ただ、全部が全部真っ白だ。 シロクマは自分の毛並みよりも純粋な白を持つ氷の地面へ鼻先を寄せた。冷たくて気持ちがいい。彼は眠い目を覚
人生に失敗はつきもので、だが然しそれが許される社会と、許されない社会があるのだ。私が属するのは、後者の方だった。 地元の人間も滅多に入らない様な森の奥深くまで分け入った私は、やがて尽きた細道の更に先へ、生い茂る枝葉を掻き分けて進んだ。どの枝がどちらから伸びて来るのか、足元に蔓延る根がなんの樹に由来するものだか、さっぱり見当が付かない。蜘蛛の巣もいくつも顔で千切ったし、棘にもあちこち引っ掻かれた。臭い実を立て続けに潰した時は辟易したが、甘美な木々の誘惑にも出くわした
「くそう、変人佐伯めええ」 感情任せに投げ出したスマートフォンがソファに埋もれた。画面上にはきらびやかなイルミネーションで彩られた街の写真が映し出されたままだ。横目で見て、はあーと長い溜息を零した。 二年前の冬、クリスマス直前。痛い思い出を引きずったままだった当時の私は、幸せに満ちたクリスマスなんか蹴散らしてやろうと手当たり次第に負のオーラをばら撒いていた。そこへ突然降って来た不思議な出会い――というか、再会。それがきっかけで、私は高校時代の同級生佐伯くんと付き合う事に
あなた様のことをお話するのは、身勝手なような気が致しますから、遠慮しようと思っておりました。けれどもやはり、世の中で堂々とあなた様の事に触れ、堂々御礼を述べたいと、こう思い立ったのです。不本意でございましたら申し訳ありません。 あなた様はいつもエネルギッシュで清潔感の溢れた御方でした。私共は一同揃って、大変可愛がって頂きました。こういう日々が続いてゆくものと誰もが思っておりました。 いつの間にお聞き及びになられたのか、ある時からあなた様は、大相撲をほんの少しだけかじ
抜群にセンスが無いって言われた。 小6の時だった。まだ小学6年生だったのに、そんなにはっきり言われたら、ああ、僕は服選びのセンスが無いんだって、すっかり思い込んじゃって、そのまま大きくなったらどうなるか、想像つくでしょ。 僕は黒色の服しか着ない。誰が何を言っても黒色のTシャツを着て、黒色の綿パンをはき、黒色のパーカーを重ねる。あ、言っとくけどボクサーパンツも黒一色だから。 それなのに―― 高校3年生、梅雨。 「へえー、あったかい黒目してるんだね」 日曜に
都を離れて山へ入ればそこら中飛んでいるよ 誰が言ったものだか、ささやくようにずっと耳の奥で繰り返される台詞。そのあやふやな声を頼りにして、ともかく私は蒸し暑い京の都を訪れた。 * ー戯れに蛍、知らぬ間の夜ー 相変わらず人の多い京都駅から電車を乗り継ぎ、後はタクシーを捉まえた。額に吹き出す汗をタオルで拭いつつ行き先を告げる。運転手は緩やかに車を出した。 「蒸すでしょう、京都は」 「そうですね、蒸し暑い」 「お客さん、どこから来はった?東京?」 「―まあ、新幹線で・
「やはり何処にもいませんっ!」 「何故だ!?あんなに優等生で、ずっと親しく、これまで持ちつ持たれつやってきたじゃないかっ!本当に何処にもいないのか?!」 「本当です。しかも、国中から姿を消しつつあります」 「くっ・・なんてことだ・・よりにもよって、こんな大事な時に――」 世間にその噂が流れ始めたのは、時をずっと遡った、雪化粧の街にキャンドルが灯る頃だった。当初はまさかここまで事態が逼迫するとは誰も予想していなかった。しかし事態はみるみる悪化して、多くの国民は、家の冷蔵庫の
目の覚めるような鮮やかなルビー色から、色を持たない小さな気泡がいくつもいくつも上っては、グラスの外へ弾けていった。 「凄い色ですね」 「きれいだろ?」 「きれい。強い赤。情熱的」 玲子はグラスを手に取ると、カンパリソーダを繁々と見つめた。グラスの底へ沈められた真っ赤なリキュールが、彼女がグラスを傾けるたびゆっくりと底を揺蕩う。ソーダはこの間にも絶えずシュワシュワと弾けてゆく。信太は見かねて声をかけた。 「飲まないの?」 「飲みます」 あれ程物珍しそうに目をぎゅっ
僕はお雛様が好きだった。子どもの頃、三つ上の姉の御蔭で、毎年家にはお雛様が飾られていた。勝手に触らない約束を守れば、好きなだけ見てて良かった。お雛様とお内裏様の、白くてきれいな顔立ち、それに立派な冠や衣装。年に一度灯りの下へ出されては、じっと並んで、僕らの生活の中に溶け込んでいる。だけどその佇まいには気品があって、雛壇の上だけは、やっぱり特別なんだと子ども心に思った。なにより、必ず二人寄り添って並んでいるところが好きだった。 それから、桃の節句にお雛様と分けっこして食べ
ワンルームマンションのリビングの一角に、水晶の白鳥が置かれて一週間が経つ。家の中の一番目立つ場所に置きなさいと熱心に説かれて、まさか本気にした訳でもなかったけれど、白鳥自体が気に入ったからとりあえずリビングに飾ることにした。今日も出勤前の僅かな時間、静かな輝き放つ白鳥を眺めてから家を出た。 職場からの帰り道、疲れた足を取り繕って早足で歩いていたら、道端で突然声をかけられた。 「お疲れ様」 いかにもたばこで枯れましたという嗄れ声で、近所の娘でも見かけたように気安い調
短編「かなまう物語・外」 「この先には外道がある。絶対通ってはいけないよ」 大人たちから散々注意されていた小さな女の子であったが、ひょんなことから道に迷い、気付けば絶対通るなと言われていた道の前に出てしまった。暗い。けれど、その先は明るい。行ってみたい。ちょっとだけ覗いて、直ぐに帰ってくれば大人たちにばれないし、大丈夫よ。 女の子は行ってしまった。 鬼たちが「外道」と呼ぶ道の先にあるのは人の世だった。毎年立春近くになると人間の都合で強まる結界が、忘れるのが得
ぼうぼうだった草に元気がなくなった。風が強まり、細い路地にも舞い込んでは落ち場を転がしてゆく。秋が来たのだ。 手紙は相変わらず届けられていた。箪笥の上へ積んでいた手紙はいっぱいになって雪崩を起こしたため、男は箱を一つ用意した。押し入れにしまってあった段ボールの一つだ。最初に屑籠に投げ入れた手紙もいつの間にか拾われてそちらへ入った。手紙の封筒の色や柄はいつも様々で、段ボールの中は男の家の内で一番カラフルだった。 今日は何が書いてある? 手紙を取り込んで早速便箋を広