見出し画像

掌編「冬、時々 2023」


「くそう、変人佐伯めええ」
 感情任せに投げ出したスマートフォンがソファに埋もれた。画面上にはきらびやかなイルミネーションで彩られた街の写真が映し出されたままだ。横目で見て、はあーと長い溜息を零した。

 二年前の冬、クリスマス直前。痛い思い出を引きずったままだった当時の私は、幸せに満ちたクリスマスなんか蹴散らしてやろうと手当たり次第に負のオーラをばら撒いていた。そこへ突然降って来た不思議な出会い――というか、再会。それがきっかけで、私は高校時代の同級生佐伯くんと付き合う事になった。

 多分。

 曖昧さが付き纏うのは、あれから二年が経とうという今になっても、それっぽいことが一つもないから。

 佐伯くんの妹は言った。
「元々凄く人見知り」って。
 本当に凄く人見知りだった。物凄く人見知りだった。初対面の人には全然話しかけられなくて、コンビニの店員さんにお箸付けますかって聞かれても返事できなくて、うんって下向いたまま頷いてて、それはちょっと可愛くて、本人には言わないけど、だから「お手拭き下さい」って自分で言えないから、渡してもらえなかった時は自分のハンカチ使ってる。アメリカンドッグのケチャップまでハンカチで拭いてて、さすがに「洗濯大変でしょう?」って私が言うと、
「うん」
 ってやっぱり笑ってて、結局大変なのか大変じゃないのか全然わからなかった。だけど、
「今度からせめてポケットティッシュにするといいよ」って言ったら、
「うん」
 だって。まあ、どっちでもいいかと思ってしまった。

 この二年間そんなことばかりで、何が起きても私は佐伯くんの笑顔に絆されて全てを曖昧に過ごしてきてしまったのだ。

 去年のクリスマスも、佐伯くんの妹と三人でクリスマスパーティーをして過ごした。ちなみに佐伯くんの妹は私と同じ名前で「ユウ」という。出会いこそ会社の給湯室で、多少強引な迫り方をしてきたけれど、最初のクリスマスパーティーで私たちはすっかり意気投合して「ユウちゃん」「ユウさん」と呼び合っている。

 で、佐伯くんのことも、自然な流れで雄大君になりそうだった。けど、ならなかった。向こうがずっと「佐伯さん」って呼ぶからだ。毎回きっちり佐伯さんと呼ばれると、こっちもいつまでも「佐伯くん」になってしまう。
 どうにも物足りない思いが日増しに燻って、私の方から踏み込んでも良かったけれど、なにしろ恋愛で痛い目に遭ったばかりだから、実際慎重になっていた。ぐずぐずしている間に、どうやらタイミングを逃してしまった。

 だけど!だからこそ、今年のクリスマスは二人きりで過ごそうと意を決したのに!!ユウちゃんもそれが良いですよ!応援してます!って言ってくれたのに!佐伯くんに二人で過ごすクリスマスを提案したら、妹も誘ってあげようよって。ユウだけクリスマスに一人きりだときっと寂しいと思うからって。

 バカヤローウ!

 妹にだって妹の人生があるのよっ友達とか彼氏とか、クリスマスを一緒に過ごしたい人は幾らでもいるでしょうが!!それとそっちのユウは呼び捨てにしてこっちはいつまで経っても名字のさん付けなのね!?
 と、しまいに嫉妬染みた文句まで込み上げて来たけど私は堪えた。結局、このままじゃダメな気がして、
「ちょっと考えさせて」
 とだけ返した。

 二年前、妹は言った。
「兄はとっても優しくていい人です!」と。
 そのセリフに嘘も誇張も無かった。佐伯くんは真実優しい人だった。誰に対しても。だからそんな彼が可愛い妹のことを思いやる気持ちは分かる。二人暮らしも長いらしいし、兄として面倒見て来たっていう責任感もあるのかもしれない。だけど・・・だけどさ・・・。

(聞いてよ!あなたのことも誘ってあげようよって言ってるんだけど!全然二人になるつもりないみたいなんだけど!!)
(私と二人はそんなに嫌なのかしら!?)

((えー?!そんなわけないですよ~(汗)))
((私も今年は友達と過ごすからって言ってみますから、もう一度二人でって誘ってあげて下さいっ))

(ええー一回断られたのにぃぃ?)

((お願いします!!経験ないから分からないんです!私も今年は一緒に過ごせないってちゃんと伝えておきますから♪))


「くそう、変人佐伯めええ」
 可愛い笑顔で人を翻弄する上に一筋縄でいかない妹愛を発揮して、恋愛に億劫になってる私に、もう一度誘いをかけさせるなんて――
 私は画面が消える前にスマートフォンを取り上げた。どうせなら思いっきりクリスマスっぽい所に行こうと思って探したイルミネーションがきれいな場所。そんな野暮ったい真似は自分らしくないからと避けて来たけど、佐伯くんとなら、行ってみたいかもと思った。彼なら純粋に喜んで、一緒に楽しめるような気がした。

「二度目も断ったら、ただじゃ済まさないから」


(気が利かず申し訳ありませんでした。僕も、行きたいです)

 妹に何をどう説得されたのか、二度目の提案はすんなり受け入れられて、私たちは三回目にしてとうとう二人でクリスマスを過ごす事になった。しかも佐伯くんの提案で、イルミネーションを見た後レストランでディナーコースを食べるというまさかの展開だ。さては妹に入れ知恵されたかと疑ったけれど、私がそう考えると踏んだのか、ユウちゃんはわざわざ「あれは私の発案じゃありません!兄の勉強の成果です!!」と送って来た。私はそれを信じる事にした。だってこの兄妹、揃って嘘が下手なんだもん。

 そうして迎えたクリスマスの夜。二人してソワソワ、フワフワ、まるで付き合いたての若いカップルみたいで、もうそんな歳じゃないから少しこそばゆかったけれど、まずはイルミネーションを見に行った。二人きりで出掛けたことが本当に無くて、佐伯くんはずっと緊張していた。だけど私の予想は当たった。

「うわあ」

 瞳が、きらきらしていた。びっくりするほどきらきらして、佐伯くんの瞳はイルミネーションの何倍も眩しかった。あんなに純真な瞳を見たのは初めてかもしれないと、私はイルミネーションよりもじっと見つめてしまった。私にはちょっと勿体ないくらいだ。どうしたらあんなふうにずっときらきらを持ち続けていられるんだろう・・・年甲斐もなくそんな事まで考えてしまった。

 すっかり街のクリスマスの雰囲気に魅せられた私たちは、いつもよりお互いに華やかな気分でレストランへ到着し、ディナーコースを頂いた。

 クリスマスって――楽しい。冬って時々、思いがけない夜が来るのね!!

 私は随分浮かれていた。浮かれすぎると躓く自分の性質を失念するほど浮かれてしまっていた。


「大丈夫?」
 佐伯くんはううんと微かに唸って力なく笑みを零した。こんな時まで笑わなくてもいいのに、いつも私に笑ってくれるのだ。

 シャンパンで乾杯した。今日という日にぴったりのシャンパンがあると聞き、私は喜んでそれを頼んだ。この時点で佐伯くんの意向を聞き忘れたのが良くなかった。

「飲めないんだったら、そう言ってくれて良かったのに。聞かずに二人分頼んじゃった私も悪かったけど」
「ごめんなさい。初めてのクリスマスパーティーの時、言ったような気がして、言い出せなかったです」
「え?そうだったっけ?ごめん、憶えてない。だってユウちゃんは私と一緒でよく飲むでしょう。あの時も盛り上がって、てっきり三人で飲んでると思ってたの」

 私はいつも思い込みが激しい。それで人生何度も失敗を重ねているのに、またやらかしたと自分が嫌になる。

 シャンパンに軽く口をつけただけで、佐伯くんの顔はみるみる紅潮した。大丈夫?と尋ねると、お酒飲めないんだと打ち明けられて、慌ててお水を沢山飲むように勧めた。お店を出ようかと相談したけれど、佐伯くんはせっかくのディナーだから最後まで食べよう、すぐに落ち着くからと言って立ち上がらなかった。確かにそれ以上は悪くならなかったけど、完全復活とはいかず、店を出るなり通りのベンチに座らせた。あんまり頼りなくて、私はずっと付き添うように隣を歩き、今も並んで腰を下ろしている。失敗した自分が後ろめたくて思わずため息が出た。

「ごめんなさい」
「あ、違うのよ。私自分が情けなくって、それでつい溜息が――」
 言いながら情けなさは募る一方で、それ以上言えない。今口を開くと自虐のオンパレードになりそうなのだ。


「あったかいな」
「え?」
「背中の手が、さっきからずっと、とってもあったかくて、体がじわじわ復活する気分です」
「・・・」
「佐伯さんは、やっぱり優しい人だった。僕は嬉しいです。こんなに幸せな気持ちにしてくれて、嬉しい」

――だから、それ。私には眩し過ぎるんだって。あなたにはもっと素直で素敵な人が似合ってると思う。そう伝えようと思って顔を上げたのに、先に口を開いたのは佐伯くんの方だった。

「あのね、ずっと考えていた事があるんですが」
「え・・・何?」
 やっぱり不釣り合いって、先に言われるんだ。いいの、大丈夫、全然平気よ。だから早くフッてよね。

「ユウちゃん、ユウさんって二人が呼び合ってるから、僕はなんて呼んだらいいんだろうって」
「へ?」
「あなたと妹と、二人してユウでしょう、どう呼べばあなたの事って気付いて貰えるんだろうって、ずっと考えてみるんだけど、いい考えが浮かばないんです。正直言って、現在社で取り組んでいる研究課題よりも難しい問題です。数式が全然通用しない」

「・・・ユウ、で、いいんじゃ?」
「ん?呼び捨てですか?!」
「そう」
「そ、それはちょっと、いきなり女性を。え、それはちょっと・・・心の準備ができていませんから」
「雄大」
 佐伯くんの肩が跳ねた。
「たった今から私もそう呼ぶことにするわ。だからあなたも。それと敬語もついでに禁止ね」
「ええ!?待って下さい」
「敬語禁止よ」

「・・・ま、待って。ええと、だから、せめて――ユ、ユ、ユウさん」
「ダメ。もう待ったなし。いつまでも佐伯くん佐伯さんっておかしいなって思ったでしょう。私も思ってたわ。だから今からもう呼び捨てで構わないから」
「時間を下さい、脳内会議する時間を」
「敬語使うなって言ったでしょう」
「そんな・・・」
「ついでだから白状しとくけど、あなたの言う優しい佐伯ユウなんていないわ。私はそんなにできた人間じゃないの。丸二年もなんとなく・・・・・一緒に過ごしてたんだから知ってるでしょう。どうする?フルなら今よ、こんな優しくない人間、あなたには相応しくないと思わない?」

「嫌だ。僕はあなたがいい」
「――」
「僕はあなたじゃないと嫌だ。あなたと一緒に居たい」
「・・・誰と?」
「ですか――だから・・・ユウ、さんと」

 まあ、いいか、今日の所は。こんなにいっぱい言って貰ったんだもの、十分、幸せだわ。

「ありがとう」

 それっぽいこと、一個も無いけど、お互いが良いなら、自分たちのペースでいっか。そう開き直れたら何だか安心して、思わず笑みが零れた。ふいに楽しくなって、もう一度ありがとうって言おうとしたら、佐伯くんの腕が伸びて来て、ぎゅって。


 冬、時々、予想外。

 今年のクリスマス、それっぽいこと、一個あった。

                             (fin)



あなたに  心から メリークリスマス

この記事が参加している募集

私の作品紹介

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。