そらかぜほし

インプットしたことをアウトプット。「好きにいきる」「らしく生きる」をかんがえる毎日。答…

そらかぜほし

インプットしたことをアウトプット。「好きにいきる」「らしく生きる」をかんがえる毎日。答えはわかってるんだと思う。やるか、やらないか、それだけだよなぁ「自分の中に愛がある人でありたい」人生のテーマは「赦し」「受容」「執着を手放す」・・・これがなかなか笑

最近の記事

あなたは、あたしに「わかってない!理解してない!」と言い放ったけど、何を理解して欲しかったんだろう。あなたの寂しさ、理解できてなかった?

    • 好きに生きる

      この一年「好きに生きたらいいねん」ってよく言われてきた。 簡単に私の「好きに生きる」って考えた。 「時間、曜日に縛られない生活」だった。 私に「好きに生きろ」と言った人の言葉の意図は汲んでないかもしれない(笑) 言われた最初は戸惑った。 「好きに生きるって何?」って。 自分勝手と自分を自分の真ん中に置く違いがよくわからなかったから。 好きに生きてるようで好き生きたことがないのだ。 「誰かのため」「何かのため」に生きてきた。 そこに存在意義も見出したし、後悔はない。 でも

      • ココロの整理整頓

        先日、友人と喧嘩をした。 喧嘩というか、我儘に耐えれなくなって、こちらが「もう縁が切れてもいいや」と感情を一気にブチ撒けてしまったのである。明らかに失敗だった。 余裕がない環境にあったのもあるのだ。あちら側だけが悪い訳ではない。 我慢をし過ぎれば傲慢。まさしく、それだ。 普段は「この人こんな人」で許してきたし、言い返すこともなかった。人なんて良いとこ悪いとこあって人だ。人間だし。 何が悪かったかと言えば、自分を正当化して文句を言ったことだろう。人を否定して、自分を肯定する

        • 愛で赦すということ

          私は、とある人の我儘に疲れていた。疲弊した環境にも疲れていた。 「愛で人を赦す」という事が出来なくなっていた。 「愛で人で赦す」という事は、容易くはない。 騙されても、利用されても赦すという事。 握り拳に良くないものを握りしめていたくない。 疲れるし、苦しい。 いつもポジティブでいられる訳では、ないけれど、 愛を持った自分でいるために、なるべくフラットでいたい。 人を信頼するという事は「裏切りさえその人の選択だと思えること」だと思っている。そう思える人間としか関わらない。

        あなたは、あたしに「わかってない!理解してない!」と言い放ったけど、何を理解して欲しかったんだろう。あなたの寂しさ、理解できてなかった?

          自分に嘘をつく

          人間は自分に嘘をつく。 その時は「しあわせの為」につく嘘だろう。 無意識かもしれない。気づいてないかもしれないし、気づいてないフリをするかもしれない。脳は「嘘」を「嘘」と認識できない。それを続けると分からなくなる。「しあわせ」なのか「我慢」なのか。 それを「しあわせ」とは言えないかもしれない。 いつか、ひずみは必ず出てくる。 「好き」のパワーは凄い。 「お金」のパワーも凄い。 しあわせを勘違いするくらいのパワーはある。 自分の居心地。 ココロの在り方。 ココロに正直である

          自分に嘘をつく

          どーでもえぇわ。で楽になる。

          ふいに出た言葉。 どーでもえぇわ! 小さなことで傷つくときがある。 小さなことが自分のなかで大きくなってしんどくなる時がある。 往々にして、人間関係。 というか、ひとり、周りに面倒なのが居て、振り回される。 離れたらいいのだけど、相手傷つけそうで、「友達に信頼を裏切られたと思ったら、この人、またひねくれた毎日を過ごすんかな」と思うとできずにいた。どこで文句言われようがそれはいいのだけど。 でも、そんな毎日も疲れた。 あんたなんか、どーでもえぇわっ!て思える(笑) コ

          どーでもえぇわ。で楽になる。

          好きに生きるって何?

          今、私自身が節目に立っていることもあり、この1年で「好きに生きたらえーねん」とよく言われてきた。最初は、まったく意味がわからなかった。 ●働きたくない→でも、生活あるじゃん? ●結婚したい→候補すら不在 etc.が脳内グルグルした。 言葉を文字で理解は出来ても、具体的には理解できなかった。 自分に身についてない習慣で「いいな」と思ったものは人を真似て会得することにしてあるんだけれど、働いてない人は、当然、働かなくても生活出来る環境にある。私は違う。 次に人に聞いた。楽しそ

          好きに生きるって何?

          無意識を意識するということ

          10年ほど前「無意識を意識する事を大事にしてみてください」と言われたことがある。当時は全く意味がわからなかった。意識してないから無意識なんでしょう?と思っていた。 無意識で動くものの代表が臓器。呼吸とか。 クセも無意識な仕草。 とりあえず、「無意識に心で感じるもの」とじっくり向き合ってみることにした。 まず気づいたのが、私は「怒られること」にトラウマ的な何かを持っているということ。ビクビクするのだ。デンとしているように心がけた。ビクビクするものに人は更に怒りをぶつけるから

          無意識を意識するということ

          「ひとり」と「孤独感」

          最近よく、「一人は好きだけれど、孤独は苦手」という言葉をキーワード的に目にする。私のそう感じる人間のひとりだからかもしれない。 ここで指す「孤独」とは「孤独感」なんだと思う。 誰しも、ふいに感じることがあるだろうあの不安定な雰囲気の感情。 苦手だわぁ・・・。 一例に過ぎないけども、孤独感を感じているとき、「何かをジャッジ」していることが多い気がする。 ●「あんな事言わなくても」 →簡単に言えば人のせい ●「彼氏がいたらこんな想いしないのに(多分、そーでもない)」 →彼氏がい

          「ひとり」と「孤独感」

          星野源「うちで踊ろう(大晦日)」

          紅白で歌われた星野源の「うちで踊ろう(大晦日)」に 「ハッ!」とした。あたしのなかで星野源は「生活」を歌う人。 一時期大好きで5大ドームツアーのうち、3つのドームに足を運んだくらいだ。 「生活」への寄り添い方が変わっている。 今、世の中が変わってしまったから。 しかし、コロナ禍のもとの生活を歌いあげた。 そして、この人は「ひとはひとりだ」と言う。 あたしが星野源を好きな理由のひとつだ。 ひとは、「それぞれ」であり「ひとり」なのだ。 きれいごとを歌わない。 紅白バージョンは

          星野源「うちで踊ろう(大晦日)」

          チャレンジの時かな。

          今、悩みがある。 ま、よくある「恋愛沙汰」ですよ。 悩んでも答えなんて出せないから悩んでるんだろうし、 答えを持ってるから、正解か不正解なのかで悩んでるのかもしれない。 要は悩んでも仕方ない事で悩んでいる。 そこで、見つけた解決策! 「悩みはひとまず置いといて、何かにチャレンジする」 悩みは解決せずとも、いい時間の過ごし方をしたいから。 悩みをじっと見つめてても、仕方ないと思うんだよね。 特に恋愛沙汰なんて先方は変わらないんだから。 何事も「離れてみる」ことは大事かもしれ

          チャレンジの時かな。

          トリオでソロキャンプ

          可笑しな日本語⁈ 各自が道具、テントを持ち、 それぞれが自分が用意した食事をする。焚火を囲み、語らう。 みんなが同じテントで寝て、同じ食事をするキャンプとは、似て非なるもの。 「合わす」と言う事が最小限でいい。 それぞれが、好きな事するし。 距離感がちょうどいいのだ。 いつもは、「ソロデュオ」と呼ばれる2人ソロキャンプなんだけど、今日は、フルメンバー3人。 人と関わる際、 あたしが大切にしているのが距離感。 近づき過ぎない事。 相手の全てを知っている必要はないし、 「合う」

          トリオでソロキャンプ

          自分を愛する。

          あたしは、新年早々に、叔母に「もっと自分を愛してね」って言われた。 自分を愛する事と、好きに生きる事は似て非なるものだと思う。 もしかしたら、自分を愛する事の方がコツが必要で、難しいかもしれない。 人は時に「自分軸」がぶれる。 とても居心地が悪いので、悩んだりする。ぶれる理由は、大抵、人間関係ではないだろうか。 「この人、嫌いじゃないんだけど、合わない」人だったり、コントロールしようとする人が周りに居たり。 そんな時は、コツコツと自分の事をする。「自分」にフォーカスする。

          自分を愛する。

          愛の持ち方がわからなくなる…

          人と自分は違う。 生活、性格、生き方、言葉。 人それぞれ。 わかってても、愛を持って接する事がある。 普段は、人にわざわざ愛を配らない。 愛って備わってるものだと思うから、「溢れた分をお好きに持ってってくださいモード(笑) 配ると疲れるし、配る必要もないし。 今日は、「あたしがあたしでいること」に文句言われまして。 いや、ペットボトルをテーブルに置く位置とかで。。。理由が細かすぎて疲れた… 帰り際「ありがとう」が言えなかった(笑)あんまり、ありがたくなかったから。言ったほう

          愛の持ち方がわからなくなる…

          時々、noteが恋しくなる

          誰にも言いたくない事がある時、 ひとりで何を考えるでもなく考え込んでる時、 誰かにわかって欲しい時、 noteが恋しくなる。 Twitterとは違う。 noteで呟きたくなる。 基本、ここは「ひとり」だからかもしれない。誰もあたしを知らない場所。 それか心地いい。 愚痴の掃き溜めにする気はなくて、 大切な場所。 シンプルな自分になれる。

          時々、noteが恋しくなる

          愛って流れるもの、流して行くもの

          愛は「在る」ものだとわかっていても力んだり、無理をしては流れて行かない。循環しないのではないだろうか。 無理して、頭で考えて、「愛を」と思うより、素直に「やりたい事を」やっていくと結局は愛に繋がる。そして、楽しい。ウキウキする。 怖れのなかにいるとそれが出来ない。いや、愛が循環してないと怖れのなかにいるのかもしれない。怖れのなかにいる時こそ、愛をどんどん循環させていく。 大きなことでなくていい、嫌な事は嫌でいい、無理に誰かを赦そうとしなくていい。ドーナツ屋さんで、ドーナ

          愛って流れるもの、流して行くもの