愛で赦すということ
私は、とある人の我儘に疲れていた。疲弊した環境にも疲れていた。
「愛で人を赦す」という事が出来なくなっていた。
「愛で人で赦す」という事は、容易くはない。
騙されても、利用されても赦すという事。
握り拳に良くないものを握りしめていたくない。
疲れるし、苦しい。
いつもポジティブでいられる訳では、ないけれど、
愛を持った自分でいるために、なるべくフラットでいたい。
人を信頼するという事は「裏切りさえその人の選択だと思えること」だと思っている。そう思える人間としか関わらない。
愛のなかで自分が自由になるため。自分が自分でいるために。
人に愛で赦す。
関りが簡単であるほど容易い。
そこに、要求がないから。
人間には、欲求がある。
関りが深いほど、相手に対してそれは生まれやすくなってしまう。
そんな時、ふと愛を忘れる。承認欲求が勝ってしまうのだ。
エゴを消すことも、隠すこともしたくない。
その中に居て「ひとを愛で赦す」
皆に愛を注ぎたい訳ではない。
せいぜい周りに居てくれる人間くらいだ。
その中に居て、愛に寄り添って、愛で人を赦せる人間でありたい。
人を赦すということは、自分に対しての癒し。
それがたまらなく好きなのだ。
これから、さらに「愛」と「赦し」で生きていきたいと思う。
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