見出し画像

9月1日 通院メモ ようやくなんだか腑に落ちたこと

これは、通院メモに加えるべきかどうか迷うが、おそらく自分の双極性障害と本当に向き合うために必要な事と思い、ここに書き記す。

ようやく・・・

ようやくと言うか、やっとと言うか。
自分の今の状態について納得し、今後の生き方について前向きに捉えられるようになった。
正直なところを言うと、休職してからここまでの半年間、いや実際はもっと前から、いつ自分に踏ん切りをつけるかという事ばかりに意識が向いていた。

ものすごい勢い、振り幅の混合状態。

自責と他責の行き来の激しさに、「早く楽になりたい」ということしか頭に浮かんでこなかった。
それは、自分のこれまでの生き方、人に対しての行為、取り組んできた事、仕事の上で頑張ってきたと思っていた事などありとあらゆる事に対し、様々な絶望感を抱いてしまう様な感覚があったから。
他責になったかといえば、揺り戻しで自責に触れる。激しい自己嫌悪と絶望感。これが、根本的なところにずっとあり続けた。
その絶望感を抱えながら、いくら治療に取り組んだとしても良くなるわけがない。だから、治療やリハビリにも中途半端な取り組みになっていた。
「こんなことして、何になる。」
そういう思いが、頭の中の中心にあったから。

きっかけは読書

そんな半年間ではあるが、全てが後ろ向きになっていたわけではなかった。
前向きになれるかどうかはわからないが、読書に取り組んでいた。
特に、古典と言われるような本に触れる機会が少し増えた。

プラトンの「ソクラテスの弁明」、「クリトン」、カミュの「ペスト」、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、シモーヌ・ヴェイユ「自由と社会的抑圧」、スタンレー・ミルグラム「服従の心理」、吉本隆明「共同幻想論」、三木清「人生論ノート」、有吉佐和子「恍惚の人」、色川武大「うらおもて人生録」・・・

あげ出すと切りがない。
まだ、購入はしているが読んでいない者もある。
レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」は読めていない。
万葉集も読めていない。
アドラーの「人生の意味の心理学」も読めていない。
しかし、こういった本には共通したものが存在する。
それは、考えて考えて考え抜いた人の姿。

これらの本は、最近の本ではない。
古いものだと、ソクラテスの話など紀元前400年前後になるから、それこそ2400年も前の話。
しかしながら、書かれた時代は古いが残っているものというのは、時代を超えて人類に学びや気付きをもたらすだけの価値があるのだろう。そうでなければ、消えてしまっているはず。

こういったものを読むことによって、感じたことは何か。

過去の人も、様々な課題に直面し、それに対して誠意を持って取り組んでいたという事。

それを知ることが出来た。

それに対して・・・

さて、自分の生き方はどうだったのか?

よく、周りの人たちに共通して言われる台詞があった。

「何になりたいの?」
「どうしたいの?」

なぜ、そう言われるのかようやく見えてきた。
つまりは、自分が空虚である事が周りの人たちには見えていたという事だ。「何になりたいの?」といった方々は、自分が人のモノマネをしているだけという事を見抜いていたという事だ。

出てくる言葉が、人の言葉を借りたものでしかないというのをわかっていたのだ。

だからこそ、質問される訳だ。

生き方の問題

古典を読むことにより、自分の無知さ加減を本当に思い知らされた。
はっきり言って、まだまだすぎる。
だからといって、読書量のとても多い人に今更追いつくことは出来ない。後悔して過去に戻り、若い間から書籍を読みあさったり学び直したりすることも出来ない。

これからを生きるしかないのだ。

今、自分がこの状態にあるのは、他人のせいでも自分のせいでもなく、自分という人間の生き方の問題だったのだろう。

リハビリのおかげで、自分という人間がどんな性質を持っているかという事を嫌というほど認識させられている。
これから、双極性障害と付き合いながら生きていくために必要な事は、再び調子が悪くならないように自分の状態を把握(モニタリング)し、判断して行動に移す(セルフコントロール)力を身につけることである。
だからこそ、認知行動療法を行っているのだ。薬で認知の力は一時的に良くなったとしても、自分の性質がわかっていなければ必ずずれが来て、再発するに決まっている。その事がわかっているから、クリニックでは化学合成薬を使わず、身体の調子を整えるという漢方薬程度の処方しかしないのだ。

今、取り組むべき課題は、ものすごく単純だ。
しかし、それを妨げる状態が自分の内面にあった。

謙虚に生きる

自分が無知である事を悟り、周りの人たちがそれぞれ持っている知や能に対して敬意があれば、生き方の姿勢、学び方の姿勢というのは自ずと定まってくるはず。

ようやく、そこと向き合う「覚悟」が持てるような状態になった感じでもある。

自分にも他人にも「謙虚」でなかった。
おそらくその一言に尽きる。
だから、最終的に自分の命さえ大切に出来ないような状況になってしまった。

今、できる事を積み重ねて行く。
それだけしか今は出来ない。おそらく、そうやって生きていくしか出来ない。しかし、それこそがこれからを生きていく唯一の生き方でもあるのだろう。

自分にも周りの人たちにも、謙虚に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?