見出し画像

ノートと筆記用具に関する試行錯誤 シャープペンシル編(10/31)・・・読書と書き込み

9月から使い始めたA5サイズのルーズリーフ。
これに記入する際、基本的には万年筆で書いていく。
ただ、時によっては万年筆がしっくりこないという日もある。
また、クリニックのプログラムで記入する用紙によっては、万年筆を使うよりも鉛筆系で書き込んでいったほうが良い場合もあって、ペンケースにはシャーペンと消しゴムもしっかり入れている。
シャーペンと消しゴムはそれなりに出番がある。

シャープペンシルで使う芯は2B。
学生の頃くらいまでは筆圧が強くて、Bくらいがちょうど良かったのだけれど、社会人になりペン類が日常の筆記用具になった頃から、強い筆圧で書くのが疲れる様になった。
その頃くらいから、シャープペンシルの芯は2Bを使うようになった。

ーーーー

読書と書き込み

丁度10年くらい前だろうか。
読書会というのに参加するようになった。
元々読書をすることは好きだった。
ただし、読む本は偏っているのが普通。
教養を得るための新書を読むのはたまにあった。
しかし、「知っている」けれど、そこに書かれている内容を自分に生かすということはしていなかった。
だから本は読むけれど、本に書き込むということをしたことがなかった。
それが、変わったのが10年くらい前。

その読書会は、本に書かれていることをどの様に活かしていくか、本物の教養を身につけるための読書というのがテーマだった。
その読書会のコーディネーターの人は、テーマに沿った本を必ず20冊くらい持ってくるのだけれど、その本を見せてもらうと、付箋や書き込みがいっぱいだった。

自分に足りないものを見せつけられたような気がした。

ちょうどその頃から、仕事に関する専門書を読むようになった。
仕事に関する専門書はそれなりに結構出版されている。
しかし、そういったものは若いころ、全然読んでこなかった。
目の前の仕事をがむしゃらにするので精一杯。
しかし、Facebookなどで同業者の方々と繋がるようになった際に「ヤバい」と感じるようになった。
仕事をし始めてから10年近く。
コツコツと書籍と向き合いながら仕事をしてきている人と、何も考えず、ただ日常に流されているだけの自分との差がとても大きいと感じた。

書き込みのルール

Facebookで繋がっている方々と読んでいる本についての交流も増えてきた。
その中で、読んでいる本のページの画像をFacebookにあげてくれることがある。それを見ると、ものすごい書き込みがあったりする。
また、直接交流することも増え、その際に本を見せてもらったりすると、これまたすごい書き込みがあったりする。
読書術に関する本も読むようになったが、いくつかのやり方があるみたいで、「直接書き込む」派、「ノートに書き写す」派、「写真に撮ってデジタルで管理する」派などがあるみたい。
三つ目のデジタルで管理するというのは、それこそ最近の技術の進歩によってできるようになったことで、それまではコピーしてファイリングという形だったと思う。それが、進化したという感じではないか。

自分は、本を買って、読んだだけで満足していただけだったような気がする。
読んでいないよりはマシかもしれないが、それでも次に繋がらない。
繋がったとしても、ものすごく遅いし、時間がかかる。
自分の特性かもしれないけれど、読んだものを頭の中で反芻し続けることで理解をしていくというのが常だったので、何度も読み直すのだけれど、何が大切なのかということに関しては、わからなかったりする。
直感ということではないけれど、読んでいて引っかかったところには、線を引いたりすることが自分には必要だと感じるようになった。

ーーーーー

色芯シャーペンを使うようになったのは

仕事上の書類などで校正をする場合は、基本的には赤のボールペンで書き込みをするのが普通だった。
ただし、この方法をそのまま読書に取り入れるのは目立ちすぎる。
また、インクによっては裏移りしてしまって、なんだかちょっと嫌な気分になってしまう。
蛍光マーカーを使ったりもしたけれど、ラインを引くことはできても書き込んだ字は読みづらい。
そこで、色鉛筆を使うようになった。
自分にとって見た感じが落ち着いて、それでなおかつ見えやすくて、字を書いても読みやすいのが青色だった。
ただし、普通の色鉛筆では、芯がすぐに太く丸くなってしまって、書き込もうとしても字をたくさん書けない。

そんな問題を解決してくれたのが、シャープペンシルの青芯だった。
今は、読書の際の書き込みは100%これ。
文庫本のような薄い紙質のものでも書き込める。

ペンケースの中に青芯を入れているシャーペンがすぐに見つかるように、シャープペンシルの軸が青色のものを探して、それを使うようにした。

色別の使い方

そして、これがとても使いやすいので、色を増やして3色(赤色、青色、緑色)にして使うようになった。
クリニックでのプログラムのプリントに書き込む際、自分の意見は普通に黒のシャープペンシル、他人の意見は青色のシャープペンシル、付け足しや重要なこと、自分にない視点だったことは赤色のシャープペンシル、そこから出てきたアイデアなどは緑色とルールを決めて使っている。
これは、基本的にシャーペンであろうがペンであろうが、同じようなルールに今はなっている。
ノートの取り方もそう。
iPadでメモを取るときもそう。
全て同じルール。

自分の特性と向き合う

こういう自分にとっての学びにつながる個人内のルールというのは、なかなか確立してこなかったことで、おそらくだいぶ損をしているのだろうなと感じる。
ルールを確立してからは、明らかに効率が良くなるから。
しかし、自分の特性か何か、本当に気分屋で「違う方法の方がいいのではないか?」と思ってしまう。飽き性なのか、落ち着きがないのか。
だから、あちこちが散らかることにつながる。
散らかるには、原因があるということ。
頭の中が混乱して、散らかっている状態というのは、そういうことなんだろう。
こういうのをADHDというのだと思う。
机の周りがとっ散らかっているのも、こういうことだと思う。

しかしながら、昔から台所とコンピュータの中身に関しては、散らかることがない。
おそらく、台所の使い方を母から学んだのだろうし、コンピュータのファイルの保存方法などはMS-DOSの時代から使っていたこともあり、ツリーやフォルダといった構造を使っておられた方々から自然に学んだのだと思う。
だから、どこに何があるのかということについては、すぐにわかる。

今の状態を冷静に考えていき、色々なところに自分なりのルールやルーティンを構築していかないといけない状況に来ているのだと思う。
クリニックの先生からは、
「記憶力が良いから、これまでそれでやって来れたけれど、当然ながら若さがなくなり、反して仕事の量が増え、脳が疲れ切るところまで来てしまった。脳の使い方を考えないと、何度も同じことを繰り返す。」
と言われているが、本当にそうだと実感することが多い。

今は、幸いなことに、休職して時間があるといえばある。
休職期間はあと半年を切っているけれど、その間に自然とそのルールを身につけた状態になることを目標にして取り組まないといけないなぁというのが、今日のnoteを書いていても感じる。
道具の使い方を考えていたけれど、そこから自分の特性や生き方についてまで今日はたどり着いている。
ヒントは、そこら中にあるということをとても実感している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?