【読書記録】『生きるとはどういうことか』 #2
前回に引き続き、『生きるとはどういうことか』の読書感想です。
苦い思い出を甘味にする。身近なことで考えれば、苦いコーヒーを砂糖で味つけする。そうすることで飲みやすくする。例えとして、これが近いのではないだろうか。
大人になれば、苦いコーヒーもそのまま飲める人もいる。それは、それくらいの苦さにはもう慣れていてへっちゃらだから、甘味をつける必要はない。つまり、苦しいできごとに慣れすぎて何ともないという状態だ。
苦いコーヒーを子どもの頃から飲める人は「大人だな」と言われたりする。これは中々言い得て妙な表現のように思う。つまり、その頃から辛いことには慣れているとも捉えられるわけだからだ。
(まあ、単に苦いことが好きな味という人もいるだろう)
また、現代社会は苦が悪という暗黙の了解があると言っている。
これをさっき考えた、コーヒー論に紐づけてみたい。
少し古いが、上記リンクの2022年に行われた年代別のコーヒーに関する調査を元に書く。
コーヒーが好きな度合いの調査では、年代が上がるほどコーヒー好きな人が増えていることが分かる。
このグラフの20代は30%がコーヒーが好きではない・飲めないと回答しており、やはり若い世代ほど苦みは嫌なことであり、避けたいと考えているのではないかと思った。
また、普段のコーヒーの飲み方のアンケートでは、ホットのブラックコーヒーを好んで飲む人は年代ごとに増加している。
しかし、予想に反して、20代がブラックコーヒーをアイスで飲む人が他の世代に多かったり、ミルクを一番入れるのも20代だと思っていたが、そうではなかった。
そもそも、普段のコーヒーの゙飲み方はコーヒー好きの人のアンケート結果なので、苦手なことを避けるという点では一定水準を超えている。
なら、単にコーヒー好きな人が年齢層ごとに増加することが苦手に対する耐性がある証拠になるのではないだろうか?と思ったりした。
では、なぜ歳を取ると苦みを求めたくなるのか。
p93の引用によると、嫌なことは思い出したくないだけで覚えているはずだと。とは言っても、その苦しみと向き合いたい。そんな気持ちから苦みを求める。はたまた、p97のように、苦しみがあってこそ今の生活がある。そのことを思い出させるためにあえて苦いものを飲んでいる。
私は人生には多少の刺激のようなものが必要だと考えている。ずーっと甘いものだと飽きてしまう。逆に苦いものばかりだと苦しい。そんな状況に刺激を与えるものがコーヒーであったりするとも考えられる。
どれも万人には受け入れられないような答えに感じる。
*
最近感じるようになった。現実は変わらないのに、自分に置かれた状況を鑑みて現実を過ごすと、全く別物のように感じる。
自分の置かれた状況を加味するという行為自体が、頭の中のできごと。それを通して現実を見る。その現実を自分の状況を通して解釈するのも頭の中のできごと。そう考えれば、どちらも頭の中というのは分かる。
*
自然の定義は都合の良いように解釈されていると書かれている。地震や台風、噴火は頭から抜けており、移植や養殖した木も自然と言う。
ならば、こう考えたらどうだろうか?と。
なるほど。
例えば、身体に出来た傷に対して、意識がいくら「このまま放っておけ!」と思っても身体は勝手に直そうとする。私はこう考えて、確かに身体に対して人工と自然を当てても理解できるなと思った。
自然にこの考えを適用すると、自然の浄化作用に当たるだろう。汚染を勝手に取り除く働きがあり、意識的に自然を良くしようとは誰も思わなくても元に戻る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?