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気持ちが自由になっていく、やさしさの共鳴

こんにちは、Soniiです。
いつもありがとうございます!


コメントなどで、「やさしい気持ちになれました」と、いっていただけることがあるのです。ほんとうに、信じられない気持ちで、いつもいっぱいになります。

なぜなら、わたしはずっと、やさしさ、というのを、表に出すのがにがてで。

やさしいひとに、ずっと、あこがれていたからです。


おだやかで、やわらかくて、やさしいひと、っていらっしゃいますよね。

また彼のお話になってしまうのですが、彼は、おだやかで、やさしいひとだなと感じます。

お付き合いをして、1年半がすぎていて、毎週1回2時間ほど、Skypeでお話しているのですが、彼から、わたしの英語の訂正をされたことが、いちどもないのです。

母国語ではないため、文法や発音のまちがいが、あるはずなのに、いつも、やさしくゆっくりきいていてくれます。

それが、とてもありがたくて。

安心して、英語を、話すことができています。



わたしのまわりには、わたしのことを、ぜんぶ肯定してくれるひとが、何人かいます。とても、ありがたいです。

そういうひとのことを、わたしは、「やさしいひと」というふうに、感じていて、そんなふうになりたい、とずっと思ってきました。

あまりに大きな目標でしたので、2020年のノートのはじめには、「ひとりひとり、ひとつひとつに、とてつもない可能性がある。すべてを、肯定することからはじめる。」ということを、今年の目標のひとつとしていたのです。



昨日ふっと、「まわりを肯定する、ということが、いまは、できているのかもしれない」と感じました。すると、うれしくなって、知らないうちに、涙がこぼれていました。

ずっと、あこがれていた、やさしいひとに、いまは、なることができたようで。

こんなふうに、まわりに、やさしい気持ちで、接していたかった。肯定をしてさしあげたかった。

そう、できているといういまに、とても感謝をしました。

いつ、なぜ、こうなれたのかは、わからないのです。

ずっと、願ってきたから、かもしれない。

noteを書くことも、大きな助けに、なってもらったように感じます。ほんとうに、ありがとうございます。



これまでわたしは、まわりに、指摘をしてしまうことが、よくあったのです。

それは、やさしい気持ちからきているのですが、まわりの方にしてみると、触れられたくないことも、あったりするのですね。


わたしのまわりの、やさしいひとたちが、わたしを肯定して、なにも言わないというふうに、してくれるたびに、あたたかさと、ありがたさを、感じてきました。

まるで、「自分で、答えをみつけることができるよね」と、言われているような気がして。



指摘をする必要が、あるときもあります。

ことばをかける方が、いいときもあります。


もし、指摘をしてもしなくても、どちらでもいいときがあって、まちがったことをしていたとしても、肯定をしていって、存在そのものがすばらしい、ということを、みていくことができたとしたら。おたがいに、あたたかい気持ちでいることが、できるような気がします。

存在そのものがすばらしいから、どんなことをしていても、どんなふうに選択をしても、それでいいんだよ、とあたたかく見守っていることが、なによりの、まわりへの、助けになるように思うのです。


まちがいを、おかさないひとは、いません。

指摘をされて、なにかに気づくことができたとしても、ほんとうに自分で気づくまでは、同じことを、繰り返したりします。

自分で気づいていくように、見守っていることが、その方のために、なることだってある。

あたたかく見守る、ということは、無関心なのではなくて、「あなたにはできるよ」という、応援なのかもしれないのですね。



やさしさは、わかりやすいものから、わかりにくいものまでありますね。

ほしいやさしさと、もらえるやさしさが、ちがうときもあります。

いつの日にか、まわりにこんなにやさしくされていたんだ、と気づくことができたときに、くるしかった記憶は、やさしい記憶に、塗り替えられることもあります。

やさしさや愛は、とても、奥が深いものなのですね。



わたしのように、まわりに指摘をしてしまうことを、お悩みの方がいらっしゃったとしたら、「大丈夫です」と、心をこめて、お伝えさせていただきたいです。

きっと、ご自身のやさしい気持ちを、そのまま、すくってあげたい、流れるようにまわりに届けたい、と思うときが、やってくる。


2021年の目標のひとつにされてみると、来年のいまごろには、そうされているかもしれませんね。

ほんとうの気持ちに気づいて、自由にさせてあげることが、なによりも、自分のためになる、ということが、わかってきたり。

あたらしい時代は、そのような、ふんわりとしたやさしさに、気づいていくことができるそうなのです。


わたしの文章から、やさしさを、お感じくださっている方が、いらっしゃっるとしたら。

それは、お読みになってらっしゃるみなさま方の、心の中の、おやさしい気持ちが、共鳴しているから、なのだと感じているのです。

やさしい気持ちが、いつでもここにある。

やわらかくて、あたたかくて、やさしい気持ちが、ふるえて、「ここにいるよ」と教えてくれている、のかもしれません。


あたらしい時代では、やさしい気持ちでいて、きっと、大丈夫なのですね。

そのままの、やさしくて、敏感で、やわらかなひとでいても。

自由というのは、なにかを手にすることができる、ということだけではなくて、こうした、感情や気持ちの自由、ということも、あらわしているようです。

ひとをすきになったり、やさしくしたり、たすけたり、協力しあったり。

そうした、感性や気持ちの自由、というものも、あるのですね。


2020年の最後の満月です。

昨夜は、雨が降って、お月さまをみることが、できなかったのですが、満月の夜の雨は、豊かさとあたたかさを、はこんできてくれたように感じます。

そして今日は、風がぴゅうぴゅうと吹いて、寒い一日。

2020年のあらゆる大変だったことを、「もう終わったからね」と、あっけらかんと吹きとばしてくれたような、力づよくて、やさしい風でした。

すこしでも、響くことがありますと、とてもうれしいです。

今日もありがとうございます!

Sonii


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