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うさぎ🐰が教えてくれた「脱」の意味

あけましておめでとうございます。
卯年の2023年が始まりました。

わたしは、毎年お正月の書初めで、目標やテーマとなる今年の漢字1文字を書くのが習慣になっています。

今年は「」という漢字を書きました。

いちばん脱っぽく書けた「脱」


昨年の書初めは、「演」という漢字でした。干支に引っ掛けたつもりはありませんが、寅という文字が入っています。今年も干支である卯に引っ掛けたつもりはないのですが、「脱」に月という文字が入っていたり、「脱兎」という言葉があったりとうさぎに関連性があります。

さて、今年のテーマ「脱」ですが、脱ぐということではありません。服は脱ぎません。

昨年「演」という漢字を書きましたが、この漢字を選んだ理由は、ドラマツルギー的世界観を手に入れたからでした。人々は自分の欲求を満たすために「演じている」と考えると、社会現象や他者の行動の理由などが合理的に理解できると感じたのです。自分の中では、世の中で起こっていることすべてが説明できてしまうのです。

その結果、簡単に言うと、世の中すべてが見えてしまった感覚、社会の本質を捉えてしまった感覚、あくまで感覚ですが、そういった納得感のようなものが自分の中に生じてしまいました。「世の中こんなもんかな」という感覚です。
もちろん、知識として知らないことは無限にあるし、世の中すべてが見えたからといって、社会の行く末を的確に予想したり、思いどおりに他者をコントロールしたりできるわけではありません。
けれども、世の中すべてが見えたという感覚は、わたしの人生の物語をなんだかとてもつまらなく物足りないものにしてしまったのです。

ただ、すべての人間が「演じている」という解釈は、単なる先入観かもしれません。ほかでもない自分自身の行動について、社会の中で「演じている」という意識が強いからです。他者もきっとそうである、そうであってほしいという願望によって、こういった感覚が生じた可能性があります。
つまり、自分が社会の内側にいる状態で社会や他者を観察しているということが原因だと考えています。

なので、今年は社会の外側からアプローチしようということで「脱」という漢字を選びました。社会の内側から脱け出す、社会の中で身に着けたものを脱ぎ去るというのが今年のテーマになりそうです。自分で言っててもいったいどういうことかよくわからなくなるほどの超難題ですね。
とりあえず、「脱」という字について考えるところから始めてみたいと思います。


「脱」の意味は「取り去る」

さて、昨年同様、「脱」という漢字の成り立ちから見ていきましょう。

「脱」という漢字は、左側の「月」(にくづき)と右側の「兌」に分けられます。とくに右側の「兌」は、人が衣服を脱ぐさまを表しているそうです。このことから「兌」には、「抜き取る」、「取り去る」といった意味があるとされています。まさに「脱」の意味そのものですね。

ほかにも「兌」が付く漢字について紹介します。

  • 「税」 ➤ 民衆から抜き取るもの

  • 「鋭」 ➤ よけいな部分を取り去ったもの

  • 「悦」 ➤ 悩みを取り去った状態

「脱税」となれば、抜き取られるものを抜き取るということになりますね。


世の中にあふれる「脱」

最近では、かなりダツダツダツダツ聞こえるようになってきました。

例えば、
脱サラ、脱ゆとり教育、脱スマホ依存、脱格差社会、脱東京、脱プラスチック、脱炭素、脱原発、脱成長、脱資本主義、脱中央集権・・・

これら「脱○○」という言葉のほとんどは、すでに出来上がって定着してしまった既存の物事を「取り去る」という意味です。
社会が成熟期に突入したことにより、それまでは良かった物事の悪影響やデメリットが顕在化してきました。そのため、それらを否定する言葉が増えてきました。
また、経済成長や社会発展の限界も意識されるようになり、新たな成長や発展の糧として、既存の物事を問題視したり、否定したりすることが増えてきました。

成熟社会では、思いつくアイデアはひととおり試されてしまったし、解決可能な問題は解決されし尽くしてしまいました。いわばネタ切れの状態なのです。そんななか、ネタがないので既存の物事を否定したりして、みんなダツダツ言うのです。

さらに、「脱」を付けるとフレーズとしてもインパクトが増します。「ダツ」という発音はタ行かつ濁音であるため力強く聞こえます。そのため、政治家のマニフェスト、政府や企業の目標やスローガンなどに多用されるようになりました。

この既存の物事を取り去るということは、今後も続くであろう成熟社会のトレンドです。物事を取り去って過去に戻すにせよ、新しい何かに替えるにせよ、そうしたらそうしたでまた何か違う問題が生じたり、成長や発展の限界が訪れたりして同じようにダツダツ言い続けるのです。あくまで社会の中の連続的な変化でしかありません。結局同じところをぐるぐる回り続ける、ということが将来にわたって続くことでしょう。

「脱○○」というのも所詮は社会の内側の話です。自分でも「脱エリート」などと標榜していた時期がありましたが、「脱エリート」などと言っている時点でエリート意識が出てしまうのです。
そうではなくて、社会の外側にネタを見つけようとする試みなのです。

わたしがしたいことは、この「脱○○」すら取り去って「脱」するということです。


超ポジティブな「脱」

さて、わたしの今年のテーマは、社会の内側から脱け出す、社会の中で身に着けたものを脱ぎ去るということでした。また、「脱」は「取り去る」という意味でした。したがって、わたしの今年のテーマは、「自分の中から社会を取り去る」と言い換えることができそうです。

ニュアンスとしては、仏教用語の「解脱」に近いかもしれません。ただべつに煩悩を取り去ったり、悟ったりするわけではないし、ましてや洗脳のようなことでもありません。

あるいは、「脱社会」というものとも違います。ためしに「脱社会」という単語をグーグル検索すると、20年ほど前に宮台真司氏らによって、凶悪な少年犯罪の要因を分析する用語として提示されていることがわかります。ここでの脱社会とは、社会から個人が逸脱して自分本位になることを指しているようです。

「自分の中から社会を取り去る」ということは、宗教でも自分本位になることでもありません。
「自分の中から社会を取り去る」といっても、もちろん社会と繋がっていて、生活するうえでは、物やサービスを利用するし、仕事をして対価をもらうし、SNSやブログで表現もするし、いろんな人たちとコミュニケーションするでしょう。

くわえて、なにかを否定したり問題視したりするものでもありません。世の中にあふれる「脱○○」には否定の意味がありましたが、そうしたものではありません。そもそも、「自分の中から社会を取り去る」目的は、世の中すべてが見えてしまった感覚からの脱却であり、自分の物語の可能性を広げることです。それは、超ポジティブでウェルビーイングなはずです。
具体的にどういうことなのかは、正直なところ、自分でもよくわかってません。


「脱」の意味はうさぎが教えてくれた

今年の書き初めでは、「脱」という漢字を100枚以上書きました。書いているうちに偶然文字がゆがんだり、かすれたり、にじんだりして、文字の一部が何かに見えてきたり、面白い表現を思いついたりといったことが起こります。
とくに今回の書初めは「脱」なので、脱線することを意識しました。

そしたらなんと、うさぎ🐰が爆誕しました!

うさぎの「脱」


干支とは関係なく選んだ漢字ですが、最終的にうさぎが現れました。自分でもなぜここに到達したのか不思議です。しかし、これがわたしの「脱」をよく表していて運命を感じます。

扉の向こう側(外側の世界)に月があって、うさぎがその扉をくぐって月へと向かう様子に見えますね。
この瞬間、漢字という社会に共通の概念を取り去って自分らしい字が書けたなと思いました。まさに「脱」した感覚です。

外側の世界は宇宙空間のような暗闇が広がっています。そこで輝く月を見つけるのです。
「脱」とはそういうことだとうさぎが教えてくれました。

世間的には今年は飛躍の年ということのようですが、そんな世間を脱して、いざ外側の世界へ。


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