暗闇の写真家 #8
外界から閉ざされた暗闇が支配する部屋に一筋の光が差し込む。世界の多様性を訴えるかの如く濃淡のある光は超越的存在感を感じる。暗闇がなければ光はなく、光がなければ暗闇がないとでもいうように。射す光の先には陰翳(いんえい)が作り出す淡い光の情景が浮かぶ。
紀元前、人類は暗い部屋に外からの光を射影する事で屋外の景色を形に変えた。その手法は”カメラ•オブスクラ(Camera obscura)”と呼ばれ”暗い部屋”を意味しカメラの原型となった。
僕の母の父、つまりは僕の祖父は人類の知の産物を愛した写真家であった。しかし、色彩豊かな服装を身に纏い気の利いた帽子を被る洒落た写真家と相反し、”暗闇”が似合う海賊のような男であった。
”父”が去ってからだろうか。年に数回ほどだった祖父母宅への訪問は、月に2-3回と頻繁になっていた。
「よう、また来たか」
子供達が隣町の彼の家を訪問すると、彼は決まって言った。薄茶色の汚れたセーターを身につけ、羊毛のように縮れた白髪をボサボサに掻きむしる。髪の毛と髭の境目はなく干枯らびた髭をぶら下げ、長い人生で刻んできであろう何本もの皺を眉間に寄せる。体系や肌の色、目の色などが遺伝するように、髪質も遺伝子によって受け継がれる。僕は生まれながらにして縮毛のくるくるした髪の毛で構成されているが、彼の遺伝子が細胞に混ざり込んでしまっているのであろう。
「こんにちは、ガバ爺ちゃん」
子供達は彼をそう呼んだ。彼の名前はガバでもなくそれに類しい名前でもない。ただただ、彼の奇怪な笑い方がその呼び名の由来であった。
「おう、小僧たち、ちょっくらこっち来な」
地から這い上がったかような重々しく図太い声で彼は右手で子供達を招き入れる。しかし、姉も兄もぎこちない素ぶりで「お婆ちゃんにも挨拶してくる」といって走り去る。彼から発せられる何か不吉なものを呼び寄せるようなオーラは小学生である子供には少々強すぎる刺激なのであった。一方、穏やかで優しい笑みを有する祖母は、子供が気兼ねなく甘えられる天使のような存在なのであった。
でも何故か、僕はこの不吉で恐ろしい男が好きだった。
「ガッハッハ、こりゃまいった」
祖父はいつもの展開を予期できなかったとでもいうように、髭を触りながら豪快に笑った。彼がカリブ時代に生きる人物であったなら、間違いなく村人達の食料や金物を取り上げる海賊であったろうと思う。そして、この”ガッハッハっ”という豪快で脳天気な笑い方がガバ爺ちゃんと名付けられた由縁なのであった。
「なにかあるの?」
僕は彼に問う。
彼が何かを見せようとする時、殆どの確率で”僕しか”残らないようになっていた。というのも、過去に二、三回だけ姉も兄もこの”罠”に引っかかったからである。インドネシアで拾ってきた腐った柿を見せてきたり、モンゴルから盗んできた馬の爪を見せたり、悪趣味極まりない”盗賊品”をお披露目し延々と退屈な武勇伝を話すのだった。
「又郎よ、今日はいつもと違うぞ。これを見なさい」
僕は期待と懐疑心を混同させながら彼の言葉の続きを待つ。好奇心が人並みより少しだけ強かったのであろう、現物を見てから判断しない事にはその欲求を抑える事はできなかった。
祖父は小汚い机の上の埃を掌でさっと振り払い、黒いカバーで覆われた大きな本を机に差し出した。本の隅や中央部分は擦り減っており、幾度も人が触れて来た事がわかる。
「ほらよ、これはな俺が見てきたものだ、”俺にしか”見る事ができなかったものだ」
祖父はいつもより深くそして強い意志を感じる声で言った。そして、皺々(しわしわ)の手でその本をそっと開ける。長年の労苦を共にした最愛の友に握手するように。
彼がその”本”を見る瞳は今までにない輝きを解き放っていた。彼を纏う暗闇をこれほどまでに暗いと思った事はない。そう感じる程に、彼の目は背景にある闇を貫き潤いに満ち溢れた印象的な余韻を与えた。苦労の先に希望があるように、生命の先に死があるように、個々だけでは成り立つ事のない、双方が世に存在するからこそ成し得るのだと。
人生において障壁はつきものである。しかし、いざ目の前に立ちはだかる大きな壁を目にした時、その先にある物がどれだけ豊かで煌びやかなものであろうが、無情に押し寄せる深い闇暗に立ちすくむ。空虚になる冷たい心を感じ絶望の淵へと誘われ、いつしかその先にある光がないものだと感じる。
だからこそ、これまで経験した事のない苦しみや哀しみの先には、言葉にならない心で感じる喜びが待っている。