最高級のレストランへの招待状(特別であることの理由) #4
我が家が外食に行くためには招待状が配布されることが条件であった。
招待状はチラシの裏紙が使われ名刺ほどのサイズに綺麗にハサミで切り取られていた。
「ハニーハニーレストランへの招待状」
達筆な字で書かれたその手作りの招待状は特別な時だけに子供達が集うボロボロの食卓テーブルに朝置かれていた。
誰にとっても誕生日とは365日の中で特別な日である。単調に過ぎ行く時間の中で”その日だから”という当人だからこそ知るその人だけのプライスレスなひと時は、いつもとは違う最も超越した日であってほしいと願う。
子供達も同じように、誕生日を今か今かと待ち焦がれる理由があった。僕の誕生日は2月1日であり1月31日には、白馬の王子が迎えるシンデレラのような気持ちになり眠れなくなった。畳5畳ほどの部屋に敷かれた薄手の布団に、川の字で寝る母と兄姉を横に、夢の王国へ誘(いざな)われる誇らしげな気分に浸り自分の頰が火照るのを感じる。
朝起きると神々しく光を放つ宝石のように、招待状が置かれている。
「見て見て!招待状が来た!」
定期的なイベントであるから姉も兄も自分自身さえも知ってはいるが、それを手に入れた喜びは声を発せずにはいられなくなる。
子供達の誕生日が招待状が郵送される条件であった。
不定期に招待状が届くこともあった。
子供達3人の誰かが賞状を手にするような賞賛を学校から得た時である。姉はピアノをおばさんから習っていたため、音楽の授業でよく活躍していた。兄はとりわけ絵が上手であり、美術の先生からは一目置かれている、と小学校ですれ違う兄の同級生から聞いていた。姉は音楽の授業での賞、兄は人権ポスターや交通安全ポスター、動物愛護ポスターなど年間に複数あるイベントにほとんど最優秀賞を獲得していた。
「あなたはピカソなの、ピカソはね自分の時代を作り上げたのよ。青の時代、ばら色の時代、アフリカの彫刻の時代、彼の心情の変化から導き出される芸術の数々は周りの人々の時間を刻ませたのよ」
母は意味深そうに兄によく話していた。
「だからあなたは時代をつくるの。これからいろんな事が待ち受けているかもしれないけど、あなたはその中で聞いたこと、見たこと、感じことをそのままに受け止めて生きていくの」
母は新聞の切れ端に写る”ゲルニカ”が描かれた絵を指差し、白い歯をニカっと見せて兄に語るのであった。
兄はその意味を理解していたかは知らないが、独特の画才を発揮し、同級生では描くことができない芸術を生み出していた。
一方、僕は違った。歌も歌えなければピアノの鍵盤が奏でる音さえもわからない。りんごの絵を描く事でさえ、歪な赤い円形に緑の四角が重なっているような残念な画才であった。合唱コンクールもポスターコンクールも何一つ賞を得ることができなかった。
だからこそ、「誕生日」という最強の切符は僕にとってかけがえのない特別な日であった。
人によって”特別”とは変わってくる。人によって変わるからこそ特別と言える。そして、”普通”とは明確に区別され特異な位置付けとして確立されるのである。
母がクリスマスでもなく正月でもなく子供達の生誕の日を”特別”とさせた理由は僕には今もわからない。それは母だけが知っているのである。
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