国際結婚25年、私も彼も、なんとか頑張るための小旅行は?
銀婚式はエネルギー補充の旅で
離婚離婚と、いつも大騒ぎしてる。結婚式の時に周りの友人に半年で、別れると囁かれた私たち。よくここまでもったものである。
そしてこの記念日に、小旅行へ行くなど大それたことを考えるあたりが私も夫も相当馬鹿である。25年経っても何も習得していない! 一緒にいる時間が長ければ長いほど決めなくてはいけないことが多くなり、意見の相違で私たちは喧嘩をするのが常なのに。
何か、しないといけないという思い込みもやはり25年という数字がもたらしたものだろう。ただ初めに、それが、日本やイタリアでパーティというわけのわからない、まるで昔のバブル時代のようなことを夫が言い出したからには、わたしは驚いて彼を眺めながらあんぐりと口を開けた。それ以上聞きたくないので耳を塞ぎ大反対をして、なんとか小旅行に留めたのである。
オランダでの日常の寒さの疲れから二人ともどこか他の国へ行きたかったのは本当である。マルタ島とか、どこか島へ。(結局行きたいところの意見の相違と時間のなさでそれも決まらず)
それにしても一泊にしておいて買い物、食事で留めるのが大人というものだっただろう。途中喧嘩とかしなくて済む。(と思う。違うかも)
とにかく、バカで愚かな私たちは、気づいたら三泊でサウナ付きホテルを取り、日本食を楽しむために、オランダの自宅からひどく近い、Dusseldorfにいたのである。
Dusseldorf ここはよく来る街。いつもは日帰りの街である。
別にあ〜、これすごい、面白い、そういう発見はあまりない。行きたい場所もそれほどはない。
そういっても外食が続くのも、毎日ご飯を作ってる私からしたら、めちゃ嬉しい。今まで行ったことのない美術館へ行けることも嬉しい。指圧した後にゆっくりホテルでくつろげるのもいい。良いことは多いのだ。
美術館。行ったことのない場所とは、K 21美術館である。正確な名前は、KUNST SAMMLUNG NRWである。現代美術館である。
エネルギー補充第一、美術鑑賞!
テンポラリーのエクスポはマイク・ケリーだった。
あまり私の好みではないけど、それなりに楽しめた。
彼が、なぜ死んだのか気になったら、夫が「自殺だよ」と呟いた。
どうやら彼自身を実際に知っていたらしいが、私は彼の作品を見て、そりゃあそうだ。もうスーパースターや、ヒーローは生まれない時代だからなぁ、とぼんやり思った。
この美術館は、見応えのあるコレクションがたくさんある。部屋ごとに、セキュリティの人がいて、さすがドイツ、お金をかけるところを心得ている。
エネルギー補充第二、食!
いつもデュッセルドルフに来るといく、日本食レストラン。健康に食べるのは? 今更だけど、それを旅行の時は身に沁みて思う。日本食を家で食べる分には人それぞれだろうし、健康に食べれる。食べれるはずだ。
しかしでありますね……、外食となると、どこのレストランも、焼肉店、ラーメン店、居酒屋(野菜少ないメニュー)寿司店、うどん屋(天ぷら系が多し)。意外とであるが、日本食だけの外食ではきちんとしたバランスはとれない! 日本に比べて品数が足りないのという問題はある。値段も日本に比べたら3倍だから、簡単にオーダーできないのも本当ではある。
でも、でも、でも、やはり、言いたい。日本料理、意外と野菜少なし。
寿司も食べたけれど、何故か写真はない。寒すぎたので、熱燗を頼んだらメニューになくてもささっと作ってくれた加賀屋さん、素敵。
そして、イースター休みを取ってる日本食屋さんが多かった。もしこの時期にデュッセルドルフへ行く人は気をつけて。サイトの営業時間未定の意味は、閉まっているということである。(泣)
で、気づくと、私たちは二人とも便秘であった。旅行というほどの旅行ではないけど、確かに家にいるのとは違う、遠くへ来たわけではないのに。
多くの人が便秘が旅行の常ではあるけど、私はすぐに解消した。それは朝食にこれらを食べたから。↓参照
ホテルの朝食。ドイツの夕食のような肉食が並んでいたので、それを中心に食べたら解消。朝食を食べた後にスルリ! 基本私は肉食系である。便秘にいいと言われるヨーグルトなどやフルールを沢山食べていた夫は、家に帰るまでの数日間、便秘。冷や汗を垂らすような感じで頑張ったけれど、無理のようであった。お気の毒! 乳製品の食べ過ぎは、実は身体に良くない。
営業時間不明と書かれていて、行くとしまっている日本食屋を探すのをやめ、それでも開いている日本食屋は行き着くした私たちは、ヴェトナミアンや、中国料理へ向かった。
ホテルの近くはアジアンレストランがいっぱいあった。
モテのヴェトナム料理。カップル多し!
気づいていたけど、実は新鮮な野菜がのる、そして透明なブイヨンのフォーは、私はラーメンより美味しい気がする。
オランダではまだ美味しいところに出会えていないだけに、ちょっと、いやかなり嬉しい。お店は繁盛しているようで、私たちの後、続々と人がやってきた。
日本人が多い中華料理店は、
なんとなくとなく勘で入ったが、大当たり。日本人が多かった。日本人が多いところって美味しいのはどこでも一緒。
前から海外にあるどこにでもある中華屋に入ると感心していたことがある。
健啖な中国人の食べっぶりだ。
一人、あるいは二人でやってくる中国人。スマホ片手にかき入れる速さ。(カップルでも片方スマホ持ちででも食べる)、まるで一日食べてなかったかのような旺盛な食欲、真剣さを見ると、何気にこちらの食欲が減退する。
なんだか生きることへのエネルギーが違うのを実感する。
日本の駐在の人のつまみを少し食べて、飲みに走るというスタイルとはかなり違うのだ。あれはお腹が空いて帰ってから絶対にインスタントラーメンか、カップラーメンへ直撃するパターンである。あれは、悲しい。
単身できているのだろうけど、早く誰か同僚以外の友達を作ってもっと食を楽しんで欲しい。そして雨は、最初の日を抜かし毎日降り続く。
肉食な朝食
デジタル化の遅れが目立つドイツ
レストランで、日本人の駐在みんなが嬉しそうに話していたのがドイツのデジタル化の遅れ。
駐在の彼らだけではなく、私もいつも驚く。そして、オランダや北欧だけではなく、イタリアなどもかなりデジタル化されているのとをくらべると、相当の違いがある。ベルギーもフランスも、ポーランドも、こんな遅れはない。
オランダは、もはやスマホを持っていなくて生きていられる人は「奇跡の人」と呼ばれる。(、、、)
周辺国と違うこの政策はどういうことなのか? 全体主義に向かってないという意味では評価できるのか? (いや、ある個人が右翼政党を支持しているからといって、銀行が個人口座を閉める通知を出している最近のドイツ)
他のヨーロッパ諸国で使えるカードはドイツでは使えない。ドイツで発行されていないもの以外ダメなのである。クレジットカードでもそういうことが一度体験した。
一番の問題は、レストランや至る所で、キャッシュを要求してくるところが多いことだ。
だから、ドイツへ行く前は、普段行かないというか、その存在自体がなくなりそうなATMへ行くのが習いとなっている。
オランダ、小さな仕事は日本でいうところのPAYPAYがTikkiという形であるから、友達同士での会食も一人が払ってあとは、これでみんなで割り勘である。WhatsApp(日本でのライン)などのグループに一回その通知を送ると、受け取った人が、自分の口座を開いて払う。とても便利。
この前の能登半島のためのチャリティーヨガをされた方も、オランダへ来て早々だというのにすぐに使っていた。
小さなお金のやり取りは税金も発生しない(何回もというのは違う話)。
なんにせよ、このドイツならではのデジタルの遅れの意味を知りたい。ドイツの方、教えて欲しい。
三日目、喧嘩勃発
そして。
なんとなんと! 普段から喧嘩の多い私たちではあるけれど、まさかデュッセルドルフのKoningsallesで、喧嘩になるとは!
毎日毎日歩きすぎで不機嫌になってる夫。便秘でもある。
少しでも雨が上がった時は歩きながらの仕事メッセージをスマホで送るようになり、時々同じ場所に止まったまま動かない。周りを見回す気はないようだ。
だんだん、私の奥底はムカムカした黒い泡でいっぱいになっている。何のためにオランダの家を離れて、わざわざ近いドイツへ来ているのか! 銀婚式のための記念旅行という名ではあるけれど、夫の仕事のしすぎのバーンアウト対策ではないのか? それは夫もわかっているはずなのに、、、、。
。。。。。 なんだか歩いていても一人で歩いている感が強い。
あ〜、友達と来ればよかったな〜。
私はため息をついた。
適当に入ろうとした日本食レストランもなかなか見つからない。あると思った場所にない。あれ〜。私も、少々疲れた。やはり雨の中は車がいいよ。
夫が、ぎゃぎゃー言い出す。「どこなんだ、レストランは!」
お腹が空いたらしい。子供か!
私は夫に優しくなれない。
「いい加減にして! なんで私が一人でレストランを探さないといけないの?」
体調が悪いのだろう。雨の中を便秘で歩き回るからである。もう食べないで、あなたはホテルで寝てくれと、私も言いたい。(あ〜、起きてそのままサウナに入ったら脳梗塞になるからそれだけはやめてくれ!)
「ねぇ、なんだかマフィアみたいだよ、その格好で怒ると!」
「これは君のパパが結婚祝いに作ってくれたスーツだ!」
いや、そこじゃない。中折帽子に手の振り回し、その言葉の大きさだよ!
「そこじゃないよ」と私が言うも、
夫の怒りは爆発。「離婚だ!」顔を赤くして、手を振り回し怒る。
えええ〜!
また離婚て大声だしている、それもこんなところで!
もう嫌だな。
私は、「わかった」と言って今まで来た道を後ろ側に歩き出す。
周りを気にはしていられない。とにかく喧嘩を仕掛けたのは夫である。
しばらく歩く。Ko Gallery (ショッピングモールで無印などが入ってるビル)へズンズン入る。後ろを振り返ると、
中折れ帽を被った夫が、トボトボ後ろからついてきている。
お腹がすいたのだろう。
そこに見る夫は、見た目はマフィアではあるけれど、まさに小さな子供である。
仕方ないので、私は歩くのをやめる。夫が追いついてきたので、「ねぇ、とにかくimmermannstraßeに戻って何か食べよう」と私は言う。
夫は無言でうなづく。
銀婚式で、小旅行は、そういうわけで、離婚、離婚とまた大騒ぎの旅になってしまった。
車を運転しながらオランダへ帰る道では微熱があるのを感じた。脚も震えている。
夫も具合が悪そうである。二人とも身体を休めるどころか、体を酷使したという感じだ。雨の中の歩きすぎは、本当にダメだ。
それにしてもよくわかったのは自分たちの計画への杜撰さ。去年早くにきちんとどこかの南の島の予約をとるべきなのだ。
反省、反省。
でも、それが私たちなのかもしれない。
この戦争が身近な各国で起きている中、どうも島とかいってウキウキした気分にはなれない。戦争中にも、遊べると思うしそれは悪くない。それができる人は気分転換がうまいし、集中力も高い。
アメリカの戦争映画とか見てると、その辺りが「人間が違う」と思う。
ミリタリーがベースではボール遊びをしたりしている様など。
でも、私たちはできないのだ!
それが、私たちなのだ。
銀婚式とは?
とりあえず、25年も頑張りましたという、よくわからない達成感だけはあった。友人の中には既に相方を亡くしている友人もいるから、それに比べたら、とりあえずお互いに相方が生きているだけでも丸儲け。
お互いに不安になりながらも、私も彼も、お互いの道が交わるように時々待ったり、後ろ側へ歩いたりそれを追いかけたり、そういう日々がこれからも続いていくような気がする。(たぶん、、、、、)
なんだかダラダラ長くなりました。ここまで読んでくれた人、ありがとう!