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もの書きに、私はなるっ!!!

ソラノカナタ、noteデビューします

はじめまして、ソラノカナタと申します。
ついに私も、noteはじめました。

私はブログもSNSもやっているのですが、noteってそれらとはまた違う雰囲気を醸し出してて、キラキラとした輝きを放っているように私には見えるんですよね。
自分の感情を率直に表現するのには、noteが最も適しているんじゃないかなって感じたんです。

誰にも言ってないこと、胸の内に秘めてきたこと。
ブログやSNSでは書ききれないことや書きづらいことも、誰にも邪魔されずに、赤裸々に。
noteなら、なんだか自由自在に書けそうな気がしてワクワクしています。

インターネットやSNSが普及したおかげで、今やプロじゃなくても誰でも文章を書いて発信できるようになりました。いい時代です。

面白いな〜
上手いな〜
センスあるな〜

……と思わず唸ってしまうような文章を書く人が、世の中にはごまんといます。
一億人総ライター時代といってもいいくらいです。

そのなかから、自分の文章を見つけて読んでもらうことは容易ではないです。
現時点ではまだ何者でもない私の文章を、面白いと思ってくれて、わざわざ時間を割いてまで読みたいと思ってくれる人がいったいどれくらいいるのだろう。それを考え始めると、気が遠くなる思いがします。

まずは私の存在を知ってもらえないことには、たとえ私がどんなに面白い文章を書いたとしても、誰にも読んでもらえないわけですよね。だから、

とにかく、書く。書いて、発信する。
そして私の存在をアピールする。

まずはここからのスタートです。

私の頭はいつも、書きたいことであふれています。
言葉たちは時と場所を選ばず次から次に浮かんでくるので、収拾がつかなくなってしまうこともあります。
そんな言葉たちをまとめてカタチにするのは、なかなかの重労働です。
でもそれが楽しくもあるから、やめられないんですけどね。

そんな私の頭のなかにあることを、思いの丈を、存分に吐き出したい。
これまでに蓄えた知識や経験も含めて、書いて書いて書きまくりたい。

私にしか書けないことを書くことで、私にしかできないやりかたで、生きやすい世界をつくることに貢献する。

これが私のいまの夢です。


もの書きへの強いあこがれ

「もの書き」になることは、子どものころからの私の夢でした。
夢というより、「絶対いつかなるんだ!」と思っていました。

もの書きへのあこがれを抱くきっかけを与えてくれたのは、祖父でした。
私の祖父は、新聞記者でした。

祖父が私の父に宛てた手紙を読んだことがあります。
それは、私の誕生を祝う手紙でした。

消印は私が生まれた日。私が生まれたのは夕方だったので、知らせを聞いて筆を執り、すぐに投函してくれたのでしょう。
白い縦罫の便箋には、淡い青色の万年筆で書かれた流麗な文字と文章。
何もかもがカッコよすぎて、どれくらい大人になればこんな粋な手紙が書けるようになるのだろうと、私は強く心惹かれました。

1冊だけ、祖父の遺品の詩集も持っています。
仕事の傍ら趣味で多くの詩や小説を書き遺していたという祖父の手作りの本。
他にもたくさんあったのだけれど、遺品整理のときに他の親族に持っていかれて父の手元には1冊しか残らなかったそうです。父が大事に持っていたその1冊を、私が譲り受けました。

文章を書いて、自分で本をつくる。
創作というものの魅力に取り憑かれてしまったのは、このころからなんだろうなと思います。
私も、自分が生きた証として、何か作品を遺したい。

「おじいちゃんのような、もの書きになるんだ!」

いつのころからか、そう思うようになっていました。
その思いは心のうちに秘められたまま、月日は流れ流れました。


書くことは、生きること

子どものときから話すことは苦手だったけれど、書くことは得意だった私。
小学校から高校まで、通信表にはどの先生からも

「感情表現に乏しく口数が少ない。だが文章にするととても素晴らしく、いつも感心させられる」

ってなことばかり書かれていました。

私が書いた作文や日記はことごとく褒めちぎられ、勝手に学年代表に選ばれたり。新聞や雑誌に投稿すれば、けっこうな確率で採用されたりもして。

「あなたは作家になりなさい」
「カナタちゃんは作家さんになるんでしょ」


ってなことばかり言われていました。

私にとって、書くことは生きること。
私は書くために生まれてきたんだ、と信じていました。

けれど、作家になるなんてそんな簡単なもんじゃないよって、幼心に思っていました。
まだまだ人生経験が浅く若いうちは、人の心に響く文章を書くなんて無理だと一丁前に感じていたのです。

もっと人生経験を積まなければ。もの書きになるのは、それからでも遅くない。
そう思った私は、20歳のときに音楽活動を始めました。
幼い頃から歌をうたうことも大好きだったから。


書いたり、歌ったり。とにかく表現することが好き

文学と違って、音楽は数分間で作品が完結します。
その頃の私は、創作に時間がかかる文学よりも音楽のほうが手っ取り早いなんて、生意気にも思っちゃったんですね。

同じ「表現する」という行為でも、書くという行為は自分の内側に向かっていくのに対し、歌うという行為は外側に向かっていく表現方法。
後になれば浅はかな考えだったなぁと思えるのですが、ずっと自分の内側にこもって動けなくなっていた私には、外側に向かって動き出すことが必要だったのです。

書くのにしても歌うにしても、何かしらの表現をすることが好きなんです。
本を読むだけ、音楽を聴くだけ、といった受動的な趣味があまり好きでないようで、とにかく自分でも何かがやりたくてしょうがないんです。

そんな動機で始めた音楽だったのですが、歌を本格的に勉強しだしてから、歌の奥深さに惹かれてどっぷりとハマってしまい、やめられなくなってしまいました。

書くことも歌うこともどっちも同じくらい大好きだから、どちらかだけなんて選べない。
それでも、いずれはもの書きになるんだという夢だけは、忘れることはなかったです。


いよいよ夢へ向かって歩き出す

「ライター」になりたければ、今日からでもなろうと思えば誰でもなれます。Webライターのお仕事だったら、クラウドソーシングで探せばいくらでもありますからね。

けれど「もの書き」って、そうはいかないと思うんですよね。
軽々しく口にしちゃいけないような気がしていて。

自信をもって堂々と「もの書きをしてます!」と胸を張って言えるように。
おじいちゃんに、ちゃんと報告できるように。

私は、もの書きへの一歩を踏み出します。


さぁ、時は熟した

私も生まれてもうすぐ半世紀。

いつか自分のやりたいことをやる!
50歳になるまでにはきっと、なりたかった自分になる!

そう心に誓って、すでに40代後半。

人生経験はしっかり積んできました。
まだ充分ではないかもしれないけれど。

これだけいろんな経験を積んできたんだから、きっと何か面白いものが書ける!……ハズ。

できるだけ多くの人たちに、こんな私の存在を知ってほしいなって思ってます。
こんなポンコツでも、なんとか楽しく幸せに生きてるよ、って。

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