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別れの街

3月から忙殺気味で、土日はその隙間を埋めるように観たい展覧会(が今年は目白押しなのだ)に行っている間に、季節は新緑から初夏へ移っていた。
GWに入って、ようやく録り溜めていたものを観る時間を作ることができ、先日録画しておいた"SONGS"を観た。

ちょうど昨年の秋頃に"Guilty"について書いたが、

その前に取り上げた“別れの街“と併せて、地上波で歌われることは滅多にないので、今回は貴重な回だったと思う。

“別れの街“は男性の女々しさを前面に出した曲だということは、以前も書いたとおり。
今回の番組で、小田さんが『“女々しい“って男の為の言葉だから』と言っていた、とマーチンさんが当時の話をされていたのが、とても印象的だった。
女々しい部分を認めることが、ひとつの男らしさだということ。
それを隠さずに素直に曲に書いてきた、小田さんの潔さ。

東京の街の夕暮れ(私の中では勝手に、少し肌寒くなって来た頃のイメージ)。
良く歩いた道を、車で一つひとつ辿ってみる。
助手席にさっきまでいた人の、残り香。

たぶん彼は分かっているのだ。
勝手に揺るがない心を過信して、言葉の裏にある強がりに気づけず、身勝手に振る舞った自分のことを。
見えない誰かのところに、“君“は行ってしまったのだろうか?
それはただ、別れの口実だけであって、そんな人は本当はいないのかもしれない。
でも、どちらにしても離れてしまった心はもう、取り戻せない。

そんな風に情景を思い浮かべながら、また花井愛子さんのエッセイのフレーズを思い出している。
『ユーミンの曲は、連続ドラマの最終回。小田さんの曲は、ドラマの途中の回をうっかり観てしまった感じ。“今まで“と“これから“が気になってしかたないのだ。』と。

本当にその通りだと、30数年経った今も思う。
“その先“が気になって、観続けてしまうドラマのように。
当事者からは視えない角度から観ている者にとっては、すべて歯痒くて仕方がない。

この曲の彼が、“君“を追いかけたのか、それとも気持ちをしまって背を向けたのかは分からない。
ごく普通のドラマだったら、ここは気持ちを殺して去り、長い月日が流れた後に、“もしも、あの時追いかけていたら“と一抹の後悔と、“あの時は若かったね“みたいなお茶の濁し方で終わるのだ、と思う。
でも私は『君のことしか考えられない』という(女々しさ全開の)想いがあるなら、戻れないほど遠くに行ってしまう前に伝えるべきだと思うし、そこから新たに始まるドラマの方を観てみたいと思う。

そんな風に“その先のドラマ“が気になる曲は、30数年経ってもなお、私の心を捉えて離さないのだ。

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