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【科学者#014】ニュートンの人気の影で重要な業績を残した科学者【クリスチャン・ホイヘンス】

ニュートンと争った科学者として、前回ロバート・フックの話を書きました。

実は、ニュートンと争った科学者は他にもいて、比較的有名な科学者だとライプニッツや、今回紹介するホイヘンスがいます。
ホイヘンスは光についての研究をし出版するのですが、同じような時期にニュートンは『光学』を出版し、そちらが人気になりホイヘンスはそれほど注目されませんでした。
今回は、そんな多くの業績を残したのにも関わらず、ニュートンの影に隠れてしまった科学者クリスチャン・ホイヘンスについてです。


クリスチャン・ホイヘンス


名前:クリスチャン・ホイヘンス(Christiaan Huygens)
出身:オランダ
職業:数学者・物理学者・天文学者
生誕:1629年4月14日
没年:1695年7月8日(66歳)


業績

天体関係

ホイヘンスは手先が器用で、望遠鏡などの光学機器を自分で作っていました。

ホイヘンスは20歳を過ぎたころからレンズ磨きを習い、職人技並みの技術をを身につけて望遠鏡などの光学機器を自分で作るようになります。
そして、25歳のときの1655年に土星の衛星であるタイタンと、1656年に土星の輪を発見します。
1600年代には土星の衛星があと4つ発見されていますが、それを発見したのは、以前紹介したジョバンニ・カッシーニになります。


光学関係

ホイヘンスは、光学の分野でも様々な業績を残しているのですが、その中でもホイヘンスの名前がついているのがホイヘンスの原理です。
このホイヘンスの原理によって、直感的に屈折や回折の現象をうまく説明できるようになりました。

ホイヘンスは、1678年に光の波動説の基本原理として、波の伝播に関する仮説を提案します。
その中で、ホイヘンスの原理光の直進反射屈折についてふれています。

その後、1690年に光についての論考を出版しており、光の波動説について提唱しています。
さらに、ホイヘンスの死後1703年には屈折光学を出版します。

この「光についての論考」と「屈折光学」の2冊については、光学の歴史上とても重要なものなのですが、ニュートンの『光学』が人気だったので、当時はその影響もあり注目されませんでした。


生涯について

ホイヘンスの祖父も父親も大臣で、由緒ある家柄にホイヘンスは誕生します。
父親はコンスタンティン・ホイヘンスで外交官をしており、自然哲学を学んでいました。

デカルト

実は父親の友人がルネ・デカルト(1596~1650年)で、ホイヘンス家に客人として迎えられていました。
幼少期のホイヘンスは、このデカルトから数学や哲学の影響を受けていたのではないかと言われています。

16歳までホイヘンスは学校には通わずに、自宅の家庭教師の指導を受けていました。
家庭教師からは、幾何学、機械模型のつくり方リュートの演奏などを学んでいました。

1645年~1647年にはライデン大学で法律と数学を学びます。

20歳過ぎごろには光学機器を自分で作るようになり、1654年にレンズを研削し磨くための新しい方法を考案します。

1656年には、サイクロイド振り子時計の特許を取得します。

この他にもホイヘンスは、物体の衝突についての研究を行い、衝突に関する運動量の保存則を確立したり、振り子の周期に対する「緯度の効果」について説明を行います。

さらに、『遠心力』という言葉をはじめてつかったのもホイヘンスなんです。

1660年にはパリへ移動して、そこでさまざまな科学協会の会議に参加し、科学者たちと交流をします。

パスカル

そして、この時期にブレーズ・パスカル(1623~1662年)などの数学者と知り合い交流を持つようになります。

ホイヘンスは数学に著しく長けていて、サイクロイド曲線の研究を行ったりもしています。
さらに、微積分法の先駆者のひとりであり、円周率πの計算を行うなど、数学に関する研究も多く残しています。

1663年には、ホイヘンスはロンドン王立協会の外国人会員に選出されます。

1666年、ルイ14世によってフランスの科学アカデミーが設立し、その一員になり1681年まで活躍します。
ホイヘンスは会員になることによって、高額の年金と専用の居住、そして実験室が贈られました。

パリの科学アカデミーで活躍していたころは、音響学や真空の本性、静電気などの研究をしていました。

ライプニッツ

1672年には、ホイヘンスとライプニッツがパリで出会います。
そこでライプニッツはホイヘンスから数学を学びます。

ニュートン

同じ年には、ホイヘンスはニュートンの光の理論について知り、特に色の理論について批判しました。

イギリスでは、ホイヘンスはニュートンやボイルとは出会っており、ニュートンに対しては賞賛はしているのですが、同時にニュートンの研究に対して万有引力などについて信じてはいませんでした。

これらのことによって、ニュートンとホイヘンスは仲があまりよくないと書かれることが多いです。


ホイヘンスという科学者

ホイヘンスは、本当に多くの重要な業績を残しています。
それにもかかわらず、実はその研究を引き継いでくれる研究者がほとんどいませんでした。
そんなところからも、もしかしたら有名になりきれなかった原因があるのかもしれませんね。

ロンドン王立協会にも、パリ科学アカデミーにも両方に選出され、様々な業績を残してくれた多才な科学者。

ホイヘンスの素晴らしさが少しでも伝えることができたのなら嬉しく思います。

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