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【科学者#005】権力と戦い続けた現代人体解剖の創始者【アンドレアス・ヴェサリウス】

天文学分野において教会側から弾圧された科学者には、以前紹介したガリレオやコペルニクスがいました。
今回は、医学の分野で教会側からの圧にも関わらず、人体解剖について人々に伝え続けた医学者アンドレアス・ヴェサリウスについてです。


アンドレアス・ヴェサリウス

ヴェサリウス

名前:アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius)
出身:神聖ローマ帝国(ベルギー)ブリュッセル
職業:解剖学者、医者
生誕:1514年12月31日
没年:1564年10月15日(49歳)


研究内容

ファブリカ

ヴェサリウスの一番の功績として挙げられるのは、『ファブリカ』という全7巻の本の出版です。

ファブリカ

ファブリカは日本語で『人体の構造について』と訳され、ヴェサリウスが自ら行った人体解剖に基づいて描かれた詳細な人体解剖図です。
解剖図はヴェサリウスが描いたのではなく、オランダの画家ファン・カルカルが描いており、独特なポーズで書かれているものが多いです。
本文は666ページで、300以上の木版の図が記載されています。


生涯について

幼少期~大学時代

ヴェサリウスは今のベルギーのブリュッセルに生まれます。
家が代々医学関係だったのもあり、少年の頃から解剖学に非常に興味がありました。

幼少期はネズミ、イタチ、トリ、イヌなどを好んで解剖していました。

1528年ヴェサリウスはルヴァン大学に進み、ギリシア語、ラテン語、アラビア語を学びます。

その後、1532年に父親がカール5世の従者として任命されたこともあり、1533年から3年間パリ大学へ進み、医学を専門的に学びます。
この時期にヴェサリウスは人骨の蒐集(しゅうしゅう)に力を入れます。

ヴェサリウスは人骨を主に墓地へ行き蒐集していました。
土葬された死体の棺桶から地上に露出していた人骨を集めて研究していました。
他にも、カール五世の軍隊に外科医として勤めていた時、処刑された罪人の死体を密かに盗み出していたりもしています。

人骨を研究していたヴェサリウスは人体構造について、これまで教えられてきたことと相いれない多くの事実を発見しました。

この時、医学で広く信じられていたのが『ガレノスの書』でした。

ガレノス

ガレノスは129年頃から200年頃の人物で、臨床医としての経験と解剖の知識によって古代における医学を築き上げた人です。
そんなガレノスが残した著書を『ガレノスの書』と言い、解剖学以外にも哲学や文献学についても執筆しており、全部で22巻もの本を残しています。
その中でも17巻からなる医学関係の『身体所部分の用途について』という本を残しています。

さらに、ヴェサリウスはイタリアに留学しており、そこでオランダの画家ファン・カルカルと知り合います。
このカルカルは、のちにベサリウスの著書ファブリカの解剖図を描いた画家です。


教授時代

ヴェサリウスは大学卒業後パドヴァ大学に入り、医学博士の試験に合格します。
そして合格して数日後、23歳でパドヴァ大学の解剖学・外科学の教授となります。
ヴェサリウスは1546年までの9年間この教授職にあたります。

それまでの大学の解剖学の授業は、『ガレノスの書』を教授が朗読し、それに合わせれ助手が死体を切り開いて内臓を学生に示すのが一般的でした。
しかし、ヴェサリウスはこれまでの授業とは異なり、自ら死体を解剖し学生に教えました。

ちなみに、研究材料である死体をできるだけ多く集めるために、死刑のやり方や日時について裁判所に特別に依頼していました。


ファブリカの出版

1543年ヴェサリウスは普及の名著『ファブリカ』(人体の構造について)を出版します。
しかし、これを出版したことによりいろんな方面から非難の声が上がります。

大学や医学者方面からは、その当時信じられていたガレノスの学説とは相いれないものが多かったので非難されました。
さらに、聖句(聖書の箇所を意味する語)に反していたので宗教界からも反発がありました。

様々なところから非難の声が上がったため、最終的にヴェサリウスはパドヴァ大学を辞めざるおえなくなりました。


大学を辞職したあと

ヴェサリウスはパドヴァ大学時代にハプスブルク家の医師として宮仕えしていました。
その縁で大学辞職したあと、フェリペ2世の侍医となりスペインへ転居しています。

さらにヴェサリウスは、自分のファブリカに対する中傷に対して、各地で実際に解剖をしながら丁寧に説明していきました。
しかし、宗教界からの反発は特に根強く非難は無くなりませんでした。


最後について

ちなみにヴェサリウスは妻帯しており、子どももいました。

ヴェサリウスが49歳のとき、妻と娘と3人でブリュッセルに旅立ちましたが、その途中でヴェサリウスは家族と別れてひとりで聖地巡礼の旅に出ます。

その旅の途中で、イオニア海の小島で暴風雨にあい座礁し、病気になってしまい死んでしまいます。


現代人体解剖の創始者

昔から信じられていたものを鵜吞みにせずに、自分自身で解剖し探求した解剖学者アンドレス・ヴェサリウス。
ファブリカを出版したことにより、色々な方面から反発を受け、大学を辞めざるおえなかったりと、苦労も多かった科学者だったと思います。
しかし、ヴェサリウスが残した多くのものは、今の医学の発展にかなり影響を与えたのではないでしょうか。
批判されても各地で解剖し説明したりし、最後まで伝え残そうとしたヴェサリウスを少しでも知ってい頂けると嬉しいです。


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