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スケッチ⑫

枕元に投げ出していた携帯電話が、小刻みなバイブレーションと共に弾むようなピアノの音を奏でる。

ハイドンのアレグロ、ヘ長調。
携帯電話に登録している連絡先に俺は個別で音色を設定している。
この楽曲が鳴るという事は、、未登録の電話番号だ。
今は何時だろう。ねっとりとした眠りの余韻が思案を曇らせる。
ぼやけた頭を呼び起こす様に深呼吸で体中に酸素を巡らせる。
汗が染みこんだ昨日からのシャツの湿っぽい感触が遅れてやってきて、俺は顔の前に群がる虫を払う様な顔で目を覚ました。
作曲に夢中になるといつもこうだ。
ソファに体を預け、一休みをするつもりがそのまま眠りについてしまったらしい。
今すぐに服を脱ぎ捨てて熱いシャワーを浴びたい気分だったが、傍らで急かすように鳴り止まない携帯電話を手に取った俺は通話ボタンを押した。

「。。はい、もしもし」
自分でも驚くほど低く気だるい声が喉からこぼれ落ちた。
「あっ、もしもし、東堂です。えぇと、北多川、、さん、、でしょうか。」
向こうから聴こえてきた爽やかな声に耳元を洗われる。
話し相手が誰なのか分かった俺は瞬間的に背筋を伸ばすと小さく咳払いをした。
「あっ、あぁ、東堂さん、どうも、こっ。こんにちは。」
現在時刻が判然としない俺は、ゼンマイが切れかけた玩具みたいなリズムで東堂さんへ言葉を返す。
乾いた喉に躓いた声はくぐもったままで、返事をした後に改めて少し大きな咳払いをした。
「北多川さん、大丈夫ですか。声がいつもと違う様に聴こえたもので。」
東堂さんは不安げな声で言った。
「あぁ、、すみません。昨晩遅くまで曲を作っていて、、今起きたんです。」
「なるほど、そうでしたか。お休みの所を起してしまった様ですみません。。」
東堂さんの言葉の中ほどを断ち切るように、いえいえと俺は応える。
そういえば、、昨夜VIVA OLAで東堂さんと別れた時、今日の午後に電話の約束をしていた事をぼんやりと思い出した。
どうやらずいぶんと長い時間寝てしまったみたいだ。

「昨夜帰宅して、改めて北多川さんの写真を眺めていたんです。それで、その、、一つ頭の中にあった思いが、確信になったといいますか、、」
東堂さんは散らばった言葉を整理するような喋り方をした。
話の中に句読点を打つように俺は返事をする。
「単刀直入に言います。北多川さん、私と一緒に、作品を作りませんか。」
「作品・・・」
「はい。一緒に。」
東堂さんにしては珍しい喋り方だと俺は思った。
自分の見えている世界(ビジョン)は、相手も全て同じ様にはっきりと見えているだろう。
完全な確信に満ちた完璧な誤算。堂々とした声とは裏腹に作品という言葉はあまりに抽象的だった。
「えぇと、、すみません。作品というと、、それはどういう意味でしょうか。」
文字通り作品としての全容が掌握できない俺は、努めて丁寧に東堂さんへ尋ねた。
「昨晩はあまり時間がなかったので、私も自分の中に唐突に芽生えたアイデアを北多川さんにはっきりとは申し上げにくかったんです。」
想いを充分にかみ締める様に東堂さんはゆっくりと話し出した。
「北多川さんの写真には強い生命力が宿っている。私はそう思うんです。初めてピアノの演奏を聴いた時、私はあなたのもつ人間性や、これまでの人生の様々な出来事をありのままに魅せられている様に感じました。あの日の演奏で頂いた感動を、北多川さんの写した写真達からも同じ様に感じて、私は胸を揺さぶられました。」
感嘆に満ちた落ち着いた声に携帯電話の向こう側の東堂さんの顔を俺は自然と思い浮かべる。恥ずかしくなるほど身に余る言葉の数々だった。

「そんな、、俺は、、俺は東堂さんの撮影した写真達に影響を受けてカメラマンに憧れたんです。本当に勿体無い言葉です。俺なんかに。。」

「北多川さん。」
突然に辛辣な声色で東堂さんは言った。

「はい・・・」

「正直に申し上げますと、、私は仙台であなたに出逢うまで、カメラマンとしてこの先長くやっていく自信を失いかけていました。」
短い溜息が聞こえ、東堂さんは自嘲するように少しだけ笑ってから話を続けた。

「北多川さんはよくご存知かと思われますが、私の作品には基本的に色というものが存在しません。勿論、初期の頃の写真には加工が施されていないものも何点かありましたが、最近のものは全て白黒が殆どです。私がそうした作風に固執するのには明白な理由があります。北多川さん、少しだけ、お話しを聴いていただいてもよろしいでしょうか。」

無意識に頷く仕草をしながら、はい。勿論。と応えると、俺は東堂さんの話に耳を傾けた。

「ありがとうございます。私が写真家として軌道にのるキッカケになったのは、歓楽街を写した自主製作の小さなフォトブックでした。当時の私は、まるで露天商のように時間を見つけては路上でそれを並べて販売しながら町々を撮影する日々を送っていました。自主製作のフォトブックの売り上げで生活ができていればよいのですが、名の知れぬカメラマンの写真集はそう簡単に売れるわけもなく、実際には清掃業のアルバイトで得た収入が、私の生活の支えでした。
そんな日々の中、ある時一人の男性が私の写真集を偶然購入してくれたのです。その方はとかく私の写真を褒めてくださいました。本来なら素直にそこで喜ぶべきなのかもしれませんが、その方は長い遊楽の帰り道らしく相当に酒に酔っていたんです。くしゃくしゃに丸まったお札で代金はちゃんと頂きましたがろくに写真も眺めずに只、すごい、すごいとだけ繰り返していました。作品が売れるということ。時としてそれが冗談じみた悪ふざけの対象にもなりえることを知りました。しかし、冷やかされる事には慣れていましたし、しばらくすると私は彼とのその夜の出来事を早々に忘れてしまいました。
それから数日後に電話が鳴ったんです。彼からでした。私は清掃業のアルバイトの休憩中で、40階建ての高層ビルの窓辺で缶コーヒーを片手にぼんやりと雲を眺めていました。最初に電話に出て声を聴いたとき、僕は彼の事をすっかり忘れていましたし、相手も相手で本当にこの番号が私のものであるか不安そうな話し方でしたから、頭からぎこちない会話だった事をよく覚えています。」

東堂さんは再び自嘲するように短く笑った。

「彼は言いました。君にもう一度逢いたい。逢って話しがしたい、と。
その夜の事はなにひとつ覚えていないけれど部屋に転がった私の写真集をしばらくして見つけ、数ページ眺めてから巻末に綴られた連絡先に電話をかけたとの事でした。
私は、、あの日のひどく酔っ払っていた彼の馬鹿にするような笑い方を思い出し、彼の落ち着いた声色が不自然に感じてしまい、俄かにその言葉を信じられずにいました。ですが、彼がとある広告代理店に勤めていると聴いて、軽く逢うだけならという理由で相手からの要求を承諾したんです。
待ち合わせ場所に行っても誰もいない。あの日の様に冷ややかな悪戯に付き合わされて終わるという考えは頭の隅にはありました。ですが、私は心のどこかでそれを打ち消したかった。ここからもしかしたら何かが大きく変わるかもしれないという淡い願いがあったんだと思います。予感。胸騒ぎとでもいいましょうか。そんな気がしたんです。
雨が降った日曜の午後でした。幸いにも不安視していた出来事は起こらず、待ち合わせの時刻ぴったりに彼はやってきて、近くのファミリーレストランで対話をする流れになりました。湿気で表紙が折れ曲がった私の写真集をテーブルに置き、ぱらぱらとページを広げた彼は、その中の一枚の写真を指差しました。
それは、一人の女性。。少女といったほうが正しいかもしれませんが、街の中に佇む若い女性を被写体に撮影したものでした。
彼は自分の名刺を写真集の横に差し出し私に深く頭を下げて詫びてから、その写真を現在進行させている広告案件の一つに使用させてほしいと率直に話しだしたのです。」
黙ったまま東堂さんの話を聴いていた俺は、ふと駅前で昔観た巨大な看板広告を思い出した。
確か、、未成年とその保護者達に向けた警笛めいたメッセージのものだったと思う。
角ばった巨大な書体の文章も目を惹いたが、破れたニーハイソックスと高いヒールを履いた吊り目の少女が、レンズの向こうにいる俺たちを鋭く睨みつける写真が横文字と双璧を成すほど鮮烈で、至極印象的だった。

「私が写真家として求められるニーズの始まりがそこで誕生しました。
それから私はその少女の写真の使用料で清掃業のアルバイトを辞めてもしばらくは生活ができる環境を手にすることができました。
しかしながらその一件で写真家として名前が公表されることはなく、このままの生活を続けるには、自分を売り込みながらクライアントからいただけた仕事を次々にこなさなければなりません。
めまぐるしい日々の中、私は季節毎入れ替わる広告に使用する写真を提供する仕事を契約し、ひたすらに写真を撮り続けました。
クライアントが求める今の世の中を、鋭角に、そして新鮮なまま切り取る。それが私に求められた只ひとつの事でした。
ある時、印刷業者の手違いで私の撮影した写真が白黒の状態で採用されてしまい、排他的な印象がその時の広告の文言と共鳴して偶然に破壊的なエネルギーをもつ作品が生まれました。
当初は印刷業者の失態に騒いで私に詫びてきた広告会社の方々も、いつのまにかその偶然が生んだ広告に対する世間からの反響に棚からぼたもちというような笑みを浮かべていました。
その日から私、というよりも、、「東堂瞬」という存在にはカメラマンとして成功していく為の呪いみたいなものが付き纏うようになりました。
初めての写真集のテーマは全編がモノクロというものでしたし、何を写したのか判別もできない程の一面の闇が広がるページもありました。撮影した私ですら被写体が何だったのか分からない。現代的だとか、究極的アートだとか各所で異様に騒ぎ立てられ、私の何処か煮え切らない気持ちとは裏腹に、世間の反応は滑稽なほど右肩上がりでした。」

東堂さんはそこまで話すと、こちらに聴こえる深い溜息をひとつついた。

意外だった。俺が尊敬するカメラマン、東堂瞬。眩しく光る憧れ。
彼には成功への華々しい道筋が生まれた時から出来ていて、運命的な強い力で、ごく自然的にここまで生きてこれたのだとばかり思っていた。
テレビの向こうの芸能人に、一般人が浮世離れした魅力を感じるのと同様に、東堂さんに対して俺が抱いてた彼の人生図は一点の曇りもない青空の様に澄みきってきらきらと光っていた。
それ故に、東堂さんの才能が世に認知されたきっかけが、彼の積み重ねてきた努力によるものではなく、小さな偶然から(事故といった方がしっくり来る)始まったことが、俺には信じ難かった。

「こうして、私の名前が自分を置いて一人歩きしている状況に、時々怖くなります。あの偶然から始まった不安定な連鎖が、いつかなんの前触れもなく崩れて消えてしまう。そして、そしていつかそうなった時、私の、東堂瞬としてのカメラマン人生は、果たして自分で満足のいくものだっただろうか。自分にそう問いかけてきました。
そんな折、仙台で素敵なピアニストに出逢いました。北多川さん。あなたです。」

俺は黙って東堂さんの次の言葉を待った。

「北多川さんのピアノ演奏には、言葉で語る以上の様々な色彩が感じられました。都会で気付かぬ内に排他的な色に染まっていた私には、あなたの奏でる音色はとても眩しかった。そして、気付いたときには私は自分から北多川さんへ声をかけていた。説明できない不思議な引力が働いた。そんな感覚でした。重ねて、北多川さんが全盲だということが私にとっては衝撃的でした。
広い世界をありありと目にすることが出来る私が、カメラマンとして、東堂瞬として、欠けている何かをそっと啓示されたような気持ちでした。
北多川さん、私は先日終了した仙台での個展とは別に近々自費で小さな個展を改めて開くつもりです。その会場で、ピアノを、弾いていただけませんか。
私があなたの演奏を聴いて心に受けた感動を、多くの人々に同じように感じていただきたい。そう思ったんです。」

「東堂さん、、本当にありがとうございます。僕のピアノで、東堂さんの人生になにか小さな力を与えられたこと、光栄に思います。というか、、ちょっと信じられないですね。。東堂さんのような方にこんなお話をいただけることもなんだか他人事のように感じてしまって。」

憧れの東堂さんと共に、一つのアートを作ることが出来る。
こんなことが起こるなんて、本当に微塵も想像できなかった。
俺は言葉をゆっくりと選んで話しながらも、嬉しさを隠せない突飛な出来事に思わず顔がほころんでしまう。
ひょっとしたら俺はまだ長い夢の途中なのではなかろうか。
空いたほうの片手で頬を摘み、子供じみた確認方法を試してみたが鈍い痛みと中途半端に伸びた髭の感触が指先に残った。

「やらせてください。その、作品に、参加させてください。」
数秒の沈黙の後、俺は東堂さんに向けそう答えていた。
「ありがとうございます。北多川さんと出逢えた事は、必然の様な気がしてなりません。その機会も、もっと早くでもなく遅くでもなく、正に【今】という時だからこそ感じた事です。」
東堂さんの言葉で俺はこれまでの数年間を俯瞰する。
駅のホームで倒れ、視力を失い、病院のベッドで江美に抱かれながら絶望した日。俺の体を強く抱きしめながら、江美は何度も何度も大丈夫だと声に出していた。
だけど、あの頃の俺は夢半ばの自分に訪れた不運に取り憑かれ、江美の励ますような純朴な優しさがどうしようもなく鬱陶しくて腹立たしかった。
入院して数日間食欲もなかった俺に、江美は好物のベトナム料理を作って病室にもってきてくれた。でも、俺はそれに一切手を付けずベッドに横になっていた。
退院して堕落していた俺を呼び覚ましてくれたのは稀有な友である神谷の言葉と、ボタンが壊れたCDプレイヤー。
そして、江美が物置部屋に持ってきてくれていた実家の電子ピアノだった。
俺は、目が見えなくなってから体に纏わり憑いていた真っ黒なものを懸命に振り払う様に必死になって鍵盤を叩いていた。
猛々しい演奏からこぼれた音色は熱情や怒りというよりも、後悔や懺悔に近しいものばかりだった。
神谷は、あいつは最後に俺に言っていた。
その命を投げ捨てられるくらい、ピアノに人生を懸けてみろ、と。
三年前あいつが見えない所で動き見つけてくれた店のお蔭で、俺はピアノを演奏する機会を得ることが出来た。
カメラマンという夢は絶たれたが、あの頃はいなかった認知してくれる人々の暖かな喝采や言葉を受け、俺は江美と共に豊かな毎日を送れている。
穏やかな日々の中でテザやバンドメンバーという大切な仲間も出来た。
そして、そうした日々の中、東堂さんと出逢った。
目が見えなくなって絶望していた俺を救い、ここまで導いてくれたのは一度は手放した人の繋がりや友情だった。

東堂さん。と、呼びかけてから俺は続ける。
「昨日、遅くまで作っていた曲なんですが、これから聴いていただけませんか。」
突飛な言葉だとは思った。だけど、東堂さんに、聴いてもらうべきだと、いや、どうしても今聴かせるべきだと俺はその時、強く思った。

「えぇっ、いいんですか。是非、聴かせて下さい。」
東堂さんは驚きつつも高揚した声をあげた。

「ありがとうございます。ちょっと待っていてください。」
テーブルの下に置かれた収納ケースから、首にかける携帯ホルダーを取り出し手早く繋げた。
携帯電話を首にかけた俺は、電子ピアノが置かれた部屋の隅へ移動する。
察するに現在の時刻は夕方か、それに近しい時間だろう。
幸いな事にいつもこの時間は隣の住人は仕事で外出している。俺は電子ピアノにぶらさがっていたヘッドホンをジャックから引き抜いて床に置いた。
ボリュームのつまみを上げる。

「東堂さん、聴こえますか。」
「えぇ、問題ないです。聴こえていますよ。」
スピーカーにしていた携帯から、少しざらついた音質の声が返ってくる。

「それじゃあ、聴いてください。」
東堂さんはその言葉には応えなかった。
黙って音が鳴る瞬間へ向けて耳を澄ましているのだろう。
先程思い出していた過去の出来事を、もう一度走馬灯の様に頭に巡らせる。
色あせた場面写真が大きな渦の様になって体の中心から両手の先へ流れていく。
「神谷、、江美、、ありがとう。」
コンダクターが演奏前に指揮棒を構える様に小さくそう呟くと、俺は鍵盤の上に乗せていた指に力を入れた。



自費出版の経費などを考えています。