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聖徳をまとう_二/故郷にて(2)

  ◇

 矢も楯もたまらず、惹かれるように向かった先は八城邸だった。インターフォンの付いた豪奢な門柱を目の端に捉え、それから、邸を囲う白いモルタル壁に私は背をもたせかけた。

 首をひねり斜め後方を見上げると、キューブ型デザイナーズハウスの屋上テラスが蒼天を四角く切り取っていた。白亜の豪邸だ。天頂から降り注ぐ陽光は強く、佇立する私の脳天をジリジリと焼いている。

 河下美月は「ここ」にはいなかった。それどころか一年半前には事故で命を落としている。ここまでは自分で調べたことだ。疑念は無い。しかし、ユミは――彼女は「ここ」にいたのだ。間違いなく。あの日、今すぐそこにある門柱の前に。大きな瞳が、長いまつげが、白い肌が、淡く香る髪が、空色のワンピースに包まれて、クリーム色のカーディガンを翻して、確かにいたのだ。

 土曜日の昼間だ。誰か在宅しているだろうか。ユミと私の年齢はそう変わらないはずだから、ひとまず旧友という設定を入り口にして、細かいことは成り行きに任せよう。いざとなれば走って逃げてしまっても良い。

 私は、ユミの本当の名前を知らない。出てきた相手によっては言葉を選ばないといけないだろう。

 私は奥さんの友達で――

 私は娘さんの友達で――

 亡くなったと聞いて驚いてそれで――

 それで――何だ? 私は何を知りたい。たまさかに得た閑暇の時間を費やしてまで。

 ふと気付けば、インターフォンに自分の指がかかっていた。

 私は――

「何だ、君は! さっきから人の家をまわりをうろうろと!」

 空気を切り裂くように朗々とした声が響いた。門扉の隙間から声のほうを見やると、敷石の辿り着く先にある玄関ポーチに四十がらみの男がいて、私を睨めつけていた。嘆息するやいなや、こちらに向かってくるが、思いがけず鷹揚なその歩みに不気味さを覚える。

私とその男は、錆一つ無いプロバンス風の鉄門扉を挟んで向かい合う格好になった。

 上背は私よりありそうだ。百八十くらいだろうか。細身だがたるみの無い鍛えられた肉体の上にエキゾチックで彫りの深い顔が載っている。黒目がちな瞳が値踏みするように私を見据えている。

「八城だが……」

 男はバリトンボイスで短く言った。

「あの、私は、ユ……奥さんの友人で――」 

 遮るように、私の鼻先に男――八城の掌が迫ってきた。

「ちょっと待て」

 八城は腕を引くと、そのまま今度は目頭に指を当てて、考え込むような仕草を取った。膝まで丈のある黒いロングジャケットが微風になびく。三十秒は沈黙していただろうか。つと顔を上げると、八城はその薄い唇を開いた。

「君か! 私の妻をつけていたのは! 澄子の仕事のことは知っているんだろうね」

 ユミの本当の名は澄子――。

「ああいう仕事のことをどう思うかは人それぞれだ。君と議論するつもりは無い。だが、ひとつ言えることは、妻が、澄子がどんな仕事に従事していたところで、それでもって、君に苦しめられないといけなかった道理は無い。君の浅はかな行為が澄子を死に追いやったんだ!」

 言葉が私に突き刺さる。私がユミを、いや、澄子を殺した。

「澄子はもともと精神的に不安定なほうだった。ストーカー気質の君が妻の身元をネットや何やらに書き込むのではないのかと苦しんで、不安で、それに耐えられなくて死を選んだんだ。自分が何をやったのかわかっているのか!」

 八城は一息に悪口雑言を私にぶつけると、侮蔑のこもった表情で私を見下ろす。

「お前を……君を見ていると冷静ではいられない。今日はお引き取り願いたいが、連絡先は寄越して欲しい。良いね?」

 有無を言わせない調子だった。黙って首肯する私に携帯電話を出せと言う。手に持ったまま八城に見えるよう差し向けると、

「名前は?」

「藤村、秀太」

「電話番号は?」

 番号を告げた。おもむろに八城もスマートフォンを取り出したかと思うと、画面をタップし始めた。直後に、私の持つスマートフォンが点灯してすぐに暗転した。一瞬、表示された見知らぬ番号。

「私の番号だ。八城宗光。藤村さん、今どき身元なんていくらでも調べる手段はあるんだ。逃げるなよ」

 吐き捨てるように言うと、八城はジャケットを翻して背中を向けた。庭を横切り、やがて扉の閉まる音と共に消える男の姿を私は黙って見つめるしかなかった。

 逃げるなよ――

 牽制する八城の口角が愉快げに上がったように見えたのは気の所為か。

 漠たる感情を抱えたまま、私は時の経つことも忘れ、その場に立ち尽くしていた。

 その声が聞こえるまで。

 あんた――

 あなた――

 暫しの時間を要して、しゃがれ声が私に投げられたものと気がついた。振り向くと、いつの間にか一人の老婦が背後に立っており、物珍しげに私を見上げていた。

「あたしは、そこに住んでるんやけどね」

 くいと自分の肩越しに親指を向ける。老婦の背後には古びた木造住宅があった。八城邸の隣家だ。

「奥さん亡くなったのにどうしてまたケンカの声するのかと思ってね」

 皺に埋もれた線のような老婦の目がわずかに開いた。

「幽霊かと思って出てきたよ」

 閑談に応じる気にはなれず、黙したまま私は老婦の脇をすり抜けた。ただ、歩きたかった。

  ◇

 駅への道すがら、八城に突きつけられた言葉の数々が繰り返し胸の内に痛痒をもたらす。冷静に考えて、彼が糾弾する私の行為が何らかの法的な罪に問われることは無いだろう。が、それでも到底反駁など考えようも無かった。好奇心は猫をも殺すという。命こそ奪われはしないが、好奇心に起因する行動の果てに自尊心を奪われた私は異国の教戒に思いを致す。

 早晩、八城から連絡があるのだろう。

 八城宗光――どこか聞き覚えがあるような。あの尊大な男が何を要求してくるのか。真綿で首を絞められるモラトリアムを過ごそう。

――続(二/故郷にて(3)へ)

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