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NBA JAPAN GAMES観戦!人生の夢が叶うということ①〜不登校からの現在〜

2022.9.30〜10.2
さいたまスーパーアリーナにて
NBA JAPAN GAMESが!開催されました!🏀
あの、カリーさんが!八村塁くんが!
優勝したウォーリアーズが!日本に来る!!!!

と、知った時は
えっ!えっ!日本に来るの!?来れるの!?と。

息子の夢はNBA選手一本で
小学〜中学三年生(今ここ)まで夢中になれたもの。

中2で不登校になり
あまりのストレス、我慢だったのに
気づけてやれぬ母。いや、気づいていたのに
乗り切れる問題だと、乗り切れるはずだと
ちゃんと聞いているふりをしつつ
みていたのは本人ではなく、世間一般、将来の息子を思った一般的な考えが根底にあったのが
今となっては反省すべき点。

【学校恐怖症】という病名がついてしまった。
本人は学校に行きたいのに、行こうとすると強烈な腹痛。ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅると大きな音が普通にしていてもかなり聞こえてた。辛かっただろうに。行きたいのに、行けない。
玄関でいつもうずくまり、腹痛に耐えきれず病院へ行く日々。
蕁麻疹が出ては、飲み薬と塗り薬。
腹痛には痛み止め。

治らん。
1ヶ月経っても良くならず
幼少期に通ってた病院へ。

「お母さん、学校から離してあげてください。」
これは薬を飲んでも治るものではない。と。

毎日担任からかかってくる電話にも私が病んでしまいそうになっていたタイミングだった。
看護師さんに、お母さんがんばってるよと声をかけられてブワッと溢れ出す涙。泣こうと思ってないだけに止められなかった。

心療内科へ予約をすることに。
10件位断られると、さすがに母のわたしも病んでくる。予約しても一年先。今診てもらう必要があるのに、今は新規はとっていない、と。

やっとのことで症状を話したら
むりくり時間をとってくれた心療内科で診てもらうことに。その頃には円形脱毛もあり、私も息子もショックだった。
そこまで追い詰めさせてしまっていたんだと受け止める。
わたしの癌摘出手術後の養生期間は
まるまる息子の看病へとすりかわる。

1日の猶予もないのかと一瞬思ったが
母ひとり子ひとりの環境であれば
息子を優先するのは当たり前だし、そうしたかった。

息子に与えられたのは
大量の薬。

腸は腫れ上がり、痛みで眠れない日々。

薬漬けの日々がスタートした。
ここからが本当の意味で戦いであり、
本当にもがいた日々だったと
今だから言える。

続く。



と、2022年10月に
ここまで下書きして止まっていたのを
今になって公開してみます。

なぜなら、無事中学を卒業し、高校入学が叶い
3日連続登校時間にどうにか行けてることが現在で
今なら言えるとなったから。

渦中にいると、SOSもなかなか出せないほど
必死なのだと思う。
がんばってきた軌跡を残そうと思う。

2023.4.12



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