第50回「エモーショナルに中てられて」

気が付けば第50回です。
振り返りしつつ、マイルCSの予想をしつつ。

ゆえあって東京に滞在しているため、その感想をば。

盛りだくさんでお送りします、第50回。

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ここまでの振り返りもかねて、第1回

実はここ最近、身の回りで謎のnoteブームが来ており、これが類友というやつか、と感動しております。多分違いますね。
Creepy Nutsさんの『パッと咲いて散って灰に』が刺さったため書き始めましたが……。この時期就活だなんだで色々と追い込まれていたため、メンタルキープというか、息抜き的な意味合いが大きかったのもあると思います。

そんな息抜きも、10。

20。

30。

40と来ました。

ほぼほぼ競馬の話ですね。
第41回も競馬の話。

CBC賞の今村騎手の競馬は圧巻だったのを今でも覚えています。記事中で少し触れてますね、ちゃんと。
第42回は七夕賞。

第43回は出走一時間前に書き始めました。

この辺からパソコンの調子が悪くなっている。

タイトルで明記されますからね。
そして第45回。

ここを最後に、ついにパソコンがぶっ壊れたことで更新をお休みしておりました。その間も買ってはいたものの振るわず。
そんなこんなで10月に再開した第46回。

この辺からちゃんと、というか序盤の流れを汲みつつ競馬予想の形になりましたね。
やはり書けていない間も書きたいことは湧き続けていました。

これまでを肯定し、それを否定する変化をしたとしても、その変化を肯定する、という心構え。究極的な自己救済、です。

それは、自分のふがいなさを強く自覚するからこその行動。あるいは、理想が高すぎるのかもしれません。

そうやって挑んで変化するから、無限に人はおいしい。
そういう話で、ここに到達しました。

特にここ5回は、自分を見つめなおしつつ、noteを書いてきました。
自分をつかもうとしていたんだと思います。自分がどこにいるのか、確かめたかったんだと思います。
とはいえそれを誰かに聞いても、満足のいく答えは返ってこない。
それは別に相手に落ち度があるのではなく、いわゆる、真理というか、真ん中を突くような意見を求めるわりに、自分でそれを自覚できていないから。

人は多色多面なものだと思うあまり、確かに存在する極端かつ不変の部分を見落としていました。
私は他者に対して、知った風な気になることが多くあります。なまじ他人に興味があって、考える時間があるから、この人はこういうものだ、と思う。それがよく作用することもあれば、そうではないことも多々あります。

ですがこれ、人類というカテゴライズに対しても発動していたのかもしれません。相手がどうこうを、人間だから、とひとくくりにして考えることを放棄していた。
とんでもない怠慢ですね。

堂々巡りの思考のスパイラルの中で、行く道を決めていけるのは、やはり人との会話や、関わり。最近とくにそれを実感しています。

その一端として、東京という土地の空気感があります。

感情。エモい。東京の街は、どこでも、物憂げな表情で夜空を眺めたり、コーヒー片手に黄昏れば、だれでも絵になります。
それはこの土地の空気が、生きた人のにおいがすることと関係がある。私はそう考えました。

たくさんの人が、それぞれの生活を営んでいる。めちゃくちゃな人もいれば、そうではない人も大勢いて、営みが交錯して街を織り成している。
人が多いから、イコールエモーショナルも多い。事件も、変化も起きやすい。遭遇しやすい。

人との関わりは、直接的なコミュニケーションに限った話ではありません。ちょっと街を歩いて、すれ違う人に想いを馳せる。常に自分の視界に他人が映り込んでいるということは、常にだれかの生活のモブであるということ。

私はミーハーです。
そんなエモーショナルには、簡単に中てられてしまいます。
だって好きなんだもの、人間。

…第50回 了

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マイルCSは、ソダシ。
個人的にソダシの見た目が好きなのは多いにあります。顔、身体。何が悪いんだ! しかたないじゃないか!

とはいえ、1600での実績は十分。軸馬として、相手は人気上位馬が固いような気がします。

その中で、10歳のベステンダンク。血統が好きというだけの理由ですが、可能性がゼロではないのが、競馬の面白いところ。
大大大どんでん返しがあったら、大熱狂。

楽しみです。明日予定あるので見られませんけど。

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