第47回「変身とミーハーと菊の花」

毎回毎回、何を書こうか特に決めずにnoteの執筆画面を開く。

秋華賞の予想noteを書くと言っておきながらやってませんが、多忙のためなにとぞご了承ください。負けたので。

ということで今度こそは菊花賞予想。

加えて、振り返り第二弾。
私にとっての変身と、ミーハーと、菊花賞。

第47回。もうすぐ50回。

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男の子ならば変身ヒーローにあこがれるものである。
この多様性の時代にこんなクソデカ主語を使うことは憚られるが、少なくとも男児が変身ヒーローにあこがれることはマイノリティーではないだろう。

私も例外ではなく、変身ヒーローにあこがれ、いろいろあって今も立派な特撮オタクです。

最近思うのは、人はどうして人をキャラクターの枠に押し込めようとするのだろうということ。気持ちはわかる。誰が味方で、誰が敵で、彼はこういうキャラで、あの子はこういうキャラだ、と定義した方がわかりやすい。かくいう私もなんとなくそうやっている。

エンタメを学び、作るようになり、人の多様性にわかりやすくアプローチする方法を考える。その一つが、正と負の面を作ること。そういうキャラクターを作ること。
しかし実際の人間はもっとぐちゃぐちゃなはずだ。
統計学的にその人の行動を分析し、このときこう言っているのだから、あれはこういうキャラクターだ、と枠に押し込めるのは危険な気がする。

なにか特定のヒーローを例にとるのではなく、広く変身ヒーローと定義し、その複合的なカタルシスを無視すれば、それはただの変化に他ならない。青春ものにおける心身の成長も、言ってしまえば変身だ。

私もまた、変身している。

変身ヒーローへのあこがれはきっと、プラスに作用している。変化していくことを否定しないからだ。変化、あるいは強化……、進化。そういったものを、否定しない。難しいのは決して肯定ばかりではないことだが。

例えばあのヒーローは、特定のアイテムの組み合わせで見た目が大きく変わる。大きなアイテムを使えばもっと変わる。あるいは、パワー特化、スピード特化、といった変化をする。

人間の適応能力を、この変化、変身と当てはめれば、私は今の環境に合わせて変身している。
それは、私自身の力と、学びと、運と、夢との距離とか。そういうものをひっくるめた、環境、に適応しているということ。

キャラクターの枠に無理やり当てはめることのリスクは、決して他人にだけ向くものじゃない。自分自身がどういう人間なのか、人はたびたび見失うし、それを恐れている。むしろ自分自身こそ、キャラクター化することでふわふわした概念を固定化していこうとする。
すると、変化に対して、否定的になってしまう。

カクヨムで執筆している作品。かつて私は、ほぼ毎日のペースで800字以上の作品を書き、連載していた。あるいは、毎月3000字×4話以上の作品を書いてストックして、継続的に更新していた。
先日その更新ペースがついに2週に1回になった。

さてこれを肯定的にとらえることは、自己弁護だろうか。
まぁ多分そうだ。自己弁護だし、詭弁だし……、忙しかったんですよ、っていうのは言い訳だし。
余談だが、私は就活において「忙しいことをやらないことの言い訳にしてはいけない」などと啖呵を切った。社会なめんなという話である。わかってるけども。余談終わり。

冒頭記載したように、このnoteはとりとめもない。すなわち、だれかに何かを伝えることを意図していない。だからこそ何も考えずに執筆画面に向き合える。

ここまで執筆してきたもの、こなしてきたこと。それらすべては、私の血肉となっている。キーボードを叩くスピードは速くなったし、書く文章も、以前よりレベルアップしているだろう。
数値化できないことを学んでいてよかったと、こういうとき心底思う。結局思い込み万歳なのだ。

これもまた、変身。
私は、その変身を否定しない。

最近色々なアニメやドラマを見ている。見れば見るほど、書きたい欲が沸き上がる。
ミーハーな私は、直前に見た作品のジャンルに引っ張られるのだが、最近はマンガ原作のアニメが多いせいか、あるいは学校での漫研のせいか、運命なのかもしれないが、マンガを描きたくなってきた。

思い返せば私の創作の原点はマンガだった。『バクマン。』に影響されてマンガを描き始めた。小学校では絵の上手い友達と二人で作品を作った。
中学校でライトノベルに出会い、そちらへ傾倒していくことになる。

絵が下手だからと、毎日ノートに落書きをしていた。おかげで、高校では中の上くらいの画力だったと思う。大学は環境的にミジンコ以下ですが。それはそれでいい。

ふと思う。あのままマンガを描くことを続けていたら、と。

しかしそんなたらればに意味はないし、正直興味はない。私は今に不足を感じていないし、正直マンガを描くのは今からでも間に合う。
これからどうなるのかわからないが、どうなったとしても、中学校で選んだ小説を書くという変身も、これから先マンガを描き始めたとしても、その変身も、私は否定しない。

私は私のミーハー的マインドを認めていく。

これはポジティブシンキングなどではない。
なぜなら人間はキャラクターの枠に収まらないから。

複雑かつめちゃくちゃな、混沌とした自意識の中で、とりあえず一歩踏み出すための……。
コンパスというには脆弱で、道しるべだとか、一縷の光だとかいうには矮小な精神性。
その辺の枝を道に立てて、倒れた方に進むくらいの、そんな感じ。

…第47回 了

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菊花賞はガイアフォース。
というのも私は、牝馬と芦毛、白毛の馬にいい思いをさせてもらっているから。すなわちソダシのことだが、今回は菊花賞。

3000という距離や東京という馬場を考えると、2600で結果を残しているディナースタや、東京優駿で3着のアスクビクターモア、東京GⅡ青葉賞の勝ち馬プラダリアも注目。

最も強い馬が勝つという菊花賞。
私は某ゲームにおいて、黒い刺客にボコされまくった因縁のレース。

最近勝ちがないことも含め、雪辱を果たすべく、いざ、参る。

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