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#53『一人称単数』(著:村上春樹)を読んだ感想【読書日記】
村上春樹さんの『一人称単数』
普段読書をしない方でも目にしたことはあるであろう「村上春樹」という名前。僕も村上さんの作品は読みたいとは思っていたものの、どこか独特で難しい印象があったので中々手を出せずにいました。その中で本作は、短編集なので入りやすいのではないかと思い手に取りました。
このような方にオススメの本です
村上春樹さんの作品は未読
東京ヤクルトスワローズのファン
ビートルズが好き
いつもと違う読書体験がしたい
あらすじ
人生にあるいくつかの大事な分岐点。そして私は今ここにいる。
――8作からなる短篇小説集、待望の文庫化!
ビートルズのLPを抱えて高校の廊下を歩いていた少女。
同じバイト先だった女性から送られてきた歌集の、今も記憶にあるいくつかの短歌。
鄙びた温泉宿で背中を流してくれた、年老いた猿の告白。
スーツを身に纏いネクタイを結んだ姿を鏡で映したときの違和感――。
そこで何が起こり、何が起こらなかったのか? 驚きと謎を秘めた8篇。
収録作:「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「『ヤクルト・スワローズ詩集』」「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」「一人称単数」
「一人称単数」の世界にようこそ。
感想
人生に影響はないような出来事でも、ふと思い出し心を揺るがすことはあるかもしれない
読みにくさはなかったが、「感じる」要素が強い印象だった
驚きと謎を秘めている8つの短編集。主人公が過去に体験したちょっと不思議な出来事が描かれています。村上さん自身が主人公とわかる短編もあり、エッセイや私小説のような感じでもあります。
村上春樹さんの作品はこれが初読みでした。読みにくさはなかったけど、「感じる」要素が強い印象でした。言葉にするのが難しいけど、共感する部分があったり、学びを感じられたり。「愛」「勝ち・負け」「偶然」「人生」などについて、別の視点から見たような感じがします。人生に影響はないような出来事でも、ふと思い出し心を揺るがすことは僕にもあるかもしれません。
短編の中では「クリーム」「ヤクルト・スワローズ詩集」「品川猿の告白」が好みです。
具体的に表すのは難しいけど、「書く」ではなく「描く」という表現が合っているのでしょうか。真っ白なキャンバスに自由に描いているような。間の補足説明や「まるで〇〇みたいに」の比喩表現が多く用いられていた印象です。
意味を汲み取れたかも分からないけど、面白いという感情が不思議と残りました。普段と違う読書体験をしたような感じです。
『一人称単数』を読んで、村上春樹さんの他の作品も読みたいとの思いがわいています。
印象的なフレーズ
「ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が。そんなときは何も思わず何も考えず、ただ目を閉じてやり過ごしていくしかないんじゃないかな。大きな波の下をくぐり抜けるときのように」
「クリーム」
そう、人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。
「『ヤクルト・スワローズ詩集』」
もちろん負けるよりは勝っていた方がずっといい。当たり前の話だ。でも試合の勝ち負けによって、時間の価値や重みが違ってくるわけではない。時間はあくまで同じ時間だ。一分は一分であり、一時間は一時間だ。僕らはなんといっても、それを大事に扱わなくてはならない。時間とうまく折り合いをつけ、できるだけ素敵な記憶をあとに残すこと――それが何より重要になる。
「『ヤクルト・スワローズ詩集』」
「私たちは誰しも、多かれ少なかれ仮面をかぶって生きている。まったく仮面をかぶらずにこの熾烈な世界を生きていくことはとてもできないから。悪霊の仮面の下には天使の素顔があり、天使の仮面の下には悪霊の素顔がある。どちらか一方だけということはあり得ない。それが私たちなのよ」
「謝肉祭(Carnaval)」
「私は考えるのですが、愛というのは、我々がこうして生き続けていくために欠かすことのできない燃料であります。その愛はいつか終わるかもしれません。あるいはうまく結実しないかもしれません。しかしたとえ愛は消えても、愛がかなわなくても、自分が誰かを愛した、誰かに恋したという記憶をそのまま抱き続けることはできます。それもまた、我々にとっての貴重な熱源となります」
「品川猿の告白」
私のこれまでの人生には――たいていの人の人生がおそらくそうであるように――いくつかの大事な分岐点があった。右と左、どちらにでも行くことができた。そして私はそのたびに右を選んだり、左を選んだりした。
(中略)
そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。もしひとつでも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。
「一人称単数」
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