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最近気づいたメンタルのお話|直腸がんstageⅣと生きる

こんにちは。

生きているだけでも気持ちの浮き沈みは起こるものなので、闘病中となるとそれがなお一層大きく強くなっても不自然ではないと思います。
“病気”ってめちゃくちゃ大きな脅威ですから。

私はもともと感情的になりやすいタイプです。
しかも、とてもわかりやすく顔に出る…。

そんな私の最近の気づきについて書いていきます。

これはメンタル不調では…?なエピソード

その1:近しいはずの人を怖く感じる

私にとって1番の味方と言っても過言ではないような人に対して、なんとなく怖い、距離を感じる、ということが度々あります。
いつも通り気軽に話しかけたいのに躊躇して、いざ声をかけてもタイミングが悪くて結局話し切れなかったり…。

それに対する私の自動思考は『どうして冷たくするの?私また何かしちゃった?』でした。
※自動思考=何かしらの出来事があった瞬間、ぱっと自然に浮かぶ考えのこと

…いやいや、どないやねん。どう考えても冷たくされているわけではなかったよ。私が勝手に怖くなってしまっているだけだよ。
すぐにそう切り替えようとしたけど、私の中に淋しさがしつこく残って抜け出せないような感じでした。

淋しさから人に連絡したいなぁと思うことも少なくありませんが、最近よく思うのは私情に人を巻き込んでは駄目だということ。

いやもう既に巻き込んでいるんですよ、私の闘病に付き合ってもらっている時点で。
今までも私のことで辛くて悲しい思いをさせてきてしまった人たちに対して、これ以上追い詰めるようなことはできない。今以上に私にリソースを割いてもらうのも申し訳ない。できるだけ、その人たちにとって悲しみの少ない今や将来になってほしい。

エゴだろうけどそういうことをぐるぐる考えて、でも淋しさや悲しみからなかなか切り替えられなくて、というときにふと気づきました。
私、メンタルよわよわになっている…!!(今更感)

その2:勝手に疎外感を持つ

上記と少し関連しますが、複数人で話をしているときに入れないタイミングがあります。話題によるものではなく、勝手に疎外感を感じてしまって。

『この人たちにとって、私なんかいなくても別に問題ないんだろうな』
そのときの私の自動思考はこれでした。

…なんでやねん。誰もそんなこと言ってないし、私が勝手にそう思ってひとりぼっちになっている気がしているだけだよ。

実際のところ、職場でも私が関与しなくなったところで回らない仕事はなかったし(スタッフ皆に負担はかけていると思う、ごめんなさい)、行きつけの居酒屋さんでも私があんまり行けなくなったところで何かが変わることはありません。

残酷だ~と思ってそういう事実にばかり翻弄されて、まわりを広く見られなくなっている。
本当は職場でも他のコミュニティでも度々気にかけてくれる人たちが沢山いるのに、その人たちの厚意を無下にしている私がいます。

私のメンタルとの向き合い方

自らの孤独感を見つめる

メンタルが弱っているとき、大抵の場合は視野狭窄に陥っています。
私の場合はもともと視野が狭めなので尚更狭くなります。

そうすると客観視が難しくなるわけですが、それによって自分が大切にしたいことだとかまわりにいてくれる人たちの思いが見えなくなってしまうのはなかなか危険なことだなぁと感じています。
私はひとりぼっちだと強く感じてしまったとき、死にたい気持ちがちょこちょこ出てきてしまいました。

孤独感を含むネガティブ思考の渦中にいるときには難しいかもしれませんが、そこからちょっと距離が取れたときには一旦自動思考に意識を向けて、それを分解してみる(何がそう思わせているんだろう?)のをお勧めします。
落ち込みからのリカバリーに役立つと思います。

できることなら落ち込みたくないししんどい思いは避けたいですが、冒頭でも申し上げた通り脅威が大きすぎるので感情の波が激しくなるのはもうしょうがないです。
でも、この状態がずーっと永遠に続くわけではありません。
脅威である病気が治まれば気持ちも軽くなりますし、もし一生付き合わなければならない病気だとしても気持ちの持ちようって少しずつ変わってくるものです。時間はかかるかもしれませんけどね。

これからも私には度々孤独感が出てくるんだろうなぁと思うと少し気が重くなりますが、大切なことは見失わないようにしたいです。
その為の工夫をもう少し確立できたらまた書きます。

では。
読んでいただいてありがとうございました。

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