前回までは、製造業の未来に影響を与える外部要因について、政治的視点・社会的視点・経済的視点の3方向から様々なトレンドを確認しました。ここからは製造業に直接焦点を当てて、実際にどのようなトランスフォーメーションが起こっているのかを見ていきたいと思います。
前半パートでは、広く製造業全体で進むトランスフォーメーションを検証したうえで、日本の製造業が激動の時代を勝ち抜く上で必要な視点を、①デジタルトランスフォーメーション(DX)、②製品開発のトランスフォーメーション、③技術イノベーション、④ブランド構築から分析します。
後半パートでは、各産業別に業界が抱える課題と最新の技術トレンド、そして日本企業の最新の取り組みをご紹介します。
■「2025年の崖」問題に象徴されるDXの現在地
2018年に経済産業省が提唱した「デジタルトランスフォーメーション(DX)」は、産業の垣根を超えて企業の変革を象徴するキーワードの1つとなりました。経済や産業のニュース、企業の発表するプレスリリースや決算報告、展示会や講演会等々、このキーワードを見ない日はないと言っても過言ではないでしょう。ちなみに、Googleの日本語検索で「DX」を調べてみると、約20億件のコンテンツが検索されます。
比較のために、例えばグリーントランスフォーメーションを指すGX(グリーントランスフォーメーション)では数億件、近年SNSやマーケティングのキーワードとなっている「インフルエンサー」では数千万件ですので、DXという用語がいかにコンテンツとして発信されているかがわかります。
その一方でDXがどの程度日本の企業に浸透をできているかというと、独立行政法人情報処理推進機構が2022年に行った調査では、DXに取り組んでいる企業の割合が米国の約79.2%に対して、日本はわずか約55.8%にとどまっており、製造業に限ってみた場合も、米国の約78.5%に対して日本は約55.9%と大きく差をつけられています。
「製造業の変革期に求められる日本のトランスフォーメーション」の回でも触れたように、このような取り組みの遅れがデジタル競争力ランキングにおいて、OECD加盟国でも低位の32位(2023年版)という結果につながっていると考えられます。
こうした事態を予測してか、経済産業省は2019年の時点で「DX推進指標」を策定して、DXの取り組みが目指す方向性を明示しました。(図―1)
図―1:定性指標における成熟度の考え方
そこでDXの目的は、「データやデジタル技術を使って、顧客視点で新たな価値を創出していくこと」と定義され、多くの企業が陥りやすい罠として、以下の3点を指摘しています。
(1)どんな価値を創出するかではなく、「AIを使って何かできないか」と いった発想になりがち
(2)将来に対する危機感が共有されておらず、変革に対する関係者の理解が得られない
(3)号令はかかるが、DXを実現するための経営としての仕組みの構築が伴っていない
こうした問題意識を反映して、「DX推進指標」では「全社戦略に基づく」、「部門横断的推進」、「持続的な実施」といったキーワードが強調されています。
このようになかなか取り組みが進まないDXに対する懸念として、企業内の各部門で稼働する既存のITシステムが12兆円もの経済的損失を引き起こすという「2025年の崖」問題です。「日本の製造業に求められる4つの視点」の回でも指摘したように、こうしたレガシーシステムと呼ばれるものは、老朽化、肥大化、複雑化、ブラックボックス化の4点で弊害をもたらします。
具体的には、製造設計、調達管理、生産管理、品質管理、在庫管理、営業マーケティング、人事、経理等が個別に導入したシステムは、各部門における長年のオペレーションの結果、独自の発展を遂げて肥大化・複雑化します。
この結果、当該部門の業務にはカスタマイズされていても、他部門のシステムと連携をさせることができず部門を横断した業務は非効率なものとなってしまいます。
また老朽化したシステムはメーカーのサポートから順次外されていくため、維持管理コストの上昇を招くだけでなく、セキュリティー面での脆弱性を高め、最悪のケースでは従業員の異動や退職に伴うブラックボックス化を引き起こすリスクすらも抱えています。
■DXの推進を妨げる3つの要因と対策
では、「2025年の崖」問題で指摘されているようなリスクをはらんでいるにも関わらず、なぜDXがなかなか進まないのでしょうか。経済産業省のレポートで指摘された罠をヒントにその要因を推測すると、以下の3点の可能性を挙げることができます。
(1)DXの目的と手段の取り違え
(2)部分最適化と全体最適化の攻防
(3)システム改革に合わせた組織づくりの遅れ
1点目の罠は、「どんな価値を創出するかではなく、『AIを使って何かできないか』といった発想になりがち」というものでした。これは実施する改革が大規模なものとなり、そこに関与する人数が増えて実施期間も長くなるほど、社会のどんな組織でも起こりうる目的と手段の取り違えという現象です。
本来は会社として実現したい目的があり、その手段が改革であったはずですが、社内の意見対立などが続くといつの間にか改革を行うこと自体が目的となってしまうような事態は、皆さんも経験があるかと思います。
このような罠を避けるには、まず経営トップが意識改革を行い、全社的な基本方針を発表するだけでなく、各部門に対して具体的な行動指針を示して自らも積極的に関与をしていくことが必要となります。DXの取り組みの遅れを象徴する指標として、日本の企業ではCIO(最高情報責任者)の数が少ないことが指摘されます。
CIOの存在はDXの実行を専門的な見地からサポートするという意味では機能をするかもしれませんが、異なる部門間の利害を調整して全社的な戦略と整合性の取れたDXを推進していくためには、経営トップの強いコミットメントが必要不可欠です。
2点目の罠は、「将来に対する危機感が共有されておらず、変革に対する関係者の理解が得られない」というものでした。この問題の本質は、各部門が個別の利害を主張して全体の最適化が阻害されるという点にあります。
システム全体の最適化が達成されている状況を経済学の用語では「パレート最適」と呼びますが、こうした全体最適が無理なく実現されるためには、ある部門の改善が他の部門にとって不利にならないようにDXが設計される必要がありますが、実際にはそうでない状況も多数発生します。
例えば、新システムの導入に関する各部門の利害は複雑で、部門の立場から見た場合、一概に移行によるメリットがあると判断はしにくいでしょう。「個別最適より全体最適が重要」という意見に真っ向から反対する人は少ないでしょうが、実際のケースでは何が全体最適なのかが見えにくいことも多々あります。
また、新システムの要件をめぐる部門間の綱引きも十分に予想できます。例えば、話を単純化して社内のA部門とB部門がお互いに協力をして新たなシステムに移行をすればお互いにベネフィットを得られる状況があったとします。
ただしシステム移行にはそれに伴うオペレーションの変更等様々なコストもかかります。仮にA部門のみが移行を行って、B部門が行わなかった場合にどうなるかというと、A部門にとってはシステム変更に伴うコストを払ったにも関わらず、B部門が協力しなかったため新システムが十全に機能せず、移行によるベネフィットも受けることもできなくなってしまい、却って以前より状況が悪化する事態となります。
B部門から見ても同様の関係が成り立っている時、両部門にとっての合理的な行動はお互いに新システムへ移行しないということになってしまいます。このように、どの部門もその他の部門の協力を得ないとベネフィットを増やせない状況を「ナッシュ均衡解」と呼びます。
こうした状況を避けるためには、各部門が全社戦略の下で協力をできるような環境を経営陣が作っていく必要があります。各部門の情報を透明化して信頼関係を醸成しながら、改めてDXが自社の企業価値の向上につながることを説いていく必要があります。
ここでも大事なポイントは、経営トップの強いコミットメントと、顧客視点での新たな価値を創出するという大目標です。
3点目の罠は、「号令はかかるが、DXを実現するための経営としての仕組みの構築が伴っていない」というものでした。これは経営トップの号令に対して従業員が取り組む意思を持っていたとしても、DXを実際に推進していく組織やそこで活躍できる人材や利用できるノウハウが足りていないという問題につながります。
各部門が日常業務を抱えている中で、自主的に改革を推進することを期待するのは無理筋です。DXのような全社的な改革には専業の担当者や部署が必要となり、そこでプロジェクトを主導するスタッフには専門的な知識やノウハウが求められます。
特にDXがなかなか進まない原因について人材不足を指摘する声はしばしば聞かれます。改革のノウハウは外部ベンダーのコンサルティングを仰ぐことも可能ですが、実際の社内調整やその後のメンテンナンスには専門の人材を社内で確保する必要があります。
またDXが目指す組織が機能していくためには、全ての従業員が最低限のITスキルやリテラシーを身に付けることが求められます。既存の従業員のリスキリングも、DX成功には欠かせない要素であると言えるでしょう。
■勝てる製造業におけるDXに向けて
ここまでの議論は、製造業に限らず全ての産業で起こりうる課題と対策でしたが、最後に「勝てる製造業におけるDX」には欠かせない製造業ならではの留意点も確認しておきたいと思います。
(1)海外現地法人を巻き込んだ改革
(2)GXや地政学的リスクへの対応の視点
(3)ものづくりのあり方が変化してきていることへの対応
製造業大手の多くは海外展開を行っており、中小のサプライヤーでもこれに合わせて海外現地法人を抱えている企業は多数あります。DXはこれらも含めた全社的な取り組みを行う必要があるため、これらの現地法人も一体となって改革を行っていく必要があります。
言語や商習慣が異なる海外を巻き込む難しさはありますが、一方でDXはグローバルなオペレーションをより効率的に進めていくチャンスと捉えることもできます。これまで現地で完結していた一部のオペレーションや業務が可視化されることで、グループ全体が生み出す企業価値を高めていくことも期待できるでしょう。
「諸外国の『ものづくり』の状況とトレンド②」で示したように、製造業を取り巻く環境として、脱炭素の国際合意に取り組むGXやコロナパンデミックやウクライナ紛争で顕在化した地政学的リスクは、無視することができない要素となっています。どちらの問題も自社内だけで完結するものではなく、グローバルなサプライチェーン全体で取り組んでいく必要があります。
こうした外部との協力も視野に入れてシステムの最適化を図っていくことが、製品エコシステム全体の競争力を高めることにつながるのではないでしょうか。
最後のものづくりのあり方の変化については、「メーカーと部品メーカーの主従関係の変化②」で詳しく述べたように、製品のアーキテクチャーの変化や市場ニーズの多様化により、企業の将来価値を左右する製品開発にも大きな変革を引き起こしています。こちらについては、次回詳しく解説をしたいと思います。(山縣敬子・山縣信一)
<<Smart Manufacturing Summit by Global Industrie>>
開催期間:2024年3月13日(水)〜15日(金)
開催場所:Aichi Sky Expo(愛知県国際展示場)
主催:GL events Venues
URL:https://sms-gi.com/
出展に関する詳細&ご案内はこちらからご覧ください。
<<これまでの記事>>
諸外国の「ものづくり」の状況とトレンド①
日本の製造業の歴史を紐解いてみる
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日本の製造業の競争力を低下させた構造的要因
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