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嫌な「状態」の自分≠嫌な自分。

まるで濃霧の中を歩いているかのような感覚で、11月の森を歩き抜いた。
濃霧が時折晴れ間を見せるようになって、最近では薄霧の中を少し軽やかに早歩き。たまにスキップ、しっとりとした空気を深~く吸って、吐いてみたり。そんな心の余裕を少しずつ取り戻せている感覚がいま、自分の中に確かにある。
だからこそ、その感覚を取り戻すまでの過程をメモにして残しておこうと思い立った。


以前の自分には、心に元気がない状態でも、身体がどんなに疲れていようとも、立ち止まって自らの状態をチェックするという習慣は皆無だった。
心や身体の元気がないときに限って、キラキラしている人がやけにまぶしく見えて…いや、もはやまぶしさを通り越して目がやられてしまったり、ポジティブな言葉のシャワーにだって「けっ」と斜に構えてしまったり…。普段は素直に応援できるはずの他人の成功や幸せさえも、自分が「ダメ人間」だという事実を底上げする烙印のようにさえ思えてくる。

でも、そうやって心の中に突如現れるやさぐれた、捻くれ者の自分がいつもふとどこからやってきて、どこへ去っていくのかというところになかなか目を向けることができなかった。

自分の「外側」、例えば自分の態度や反応といった表層部分に向ける意識がどうしても先行してしまうから、だんだんとそんな自分に嫌気がさしてくる。
そして、そんな状態にある自分を責める言葉に限ってひどくきついものだったりもするから、あっという間に抜け出せないvicious circle(悪の循環)に陥ってしまう…。
そうやって大きな波や深い沼をいくつもくぐりぬけて、最近やっと、初めて自分の心に「今、心に元気が足りていないかな?スローダウンしてみる?」と声掛けが出来るようになってきた。

このシンプルな声掛けの習慣を続けて気付いたことがある。それは、自分が「なりたくない、嫌な自分」の状態にまみれているときこそ、外側に見えている反応だけでジャッジするのは御法度だということ。
そういう時こそ、静かにその反応の「裏」の部分に目を向けて、root cause (根本的要因) と直談判する。


「いったい、(本当のところは)何が起きているんだい?」


最初はそれこそモヤモヤとした、実態のない答えしか返って来なかったりもする。
自分でも認めたくないような事実と向き合わなきゃいけない羽目になったりもする。

でも。

物事ってなんでもそうだけど、表面や一部だけを見て判断したところでsustainableじゃない解決策しか見つからない。根本と向き合うことで初めて、本質が見えてくる。それは、自分の内側との対話に限ったことではなく、きっと世の中のすべての物事に対して言えること。
根本を覗き見てしまったことで無視できない問題があちらこちらに点在する様を目の当たりにして、解決策が一筋縄でいかなくなることだってしょっちゅうだ。
それと同様に、自分自身を観察して「裏のウラ」なんかを突き詰めていった結果、より複雑化していく問題も少なくない。
そして、それを一つ一つ紐解いていく作業にはそれこそ忍耐も根気もいる。
それでも小さな、新たな発見の連続によってジタバタと同じ穴にはまってもがく時間は確実に短縮されていたりもするから不思議だ。


好きになれない自分が顔をのぞかせたとき、「どうしたの?」とただ聞いてみる。

"Self-love" なんてカタカナにするとたったの5文字で聞こえもいい。自分を愛せなくて他人をどう愛する、とか脳内ではそれこそウン万回と繰り返しているかのような決まり文句だってこの世には存在する。
それでも、言い聞かせてるとか、そういうのじゃなく、本当に心から自分を好きだと胸を張って言える人ってこの世にどのくらいいるのだろう。

自分の状態を正しく観察、把握する癖をつけていないと、危うく嫌な状態にある自分=自分の全部だと勘違いしそうになってしまう。

嫌な「状態」の自分を、「嫌な自分」とイコールで結びつける。
これは、すごく危険なことだったりもする。


そのとき自分がその「状態」にあるのにはきっと何かしらの理由があるということ。
その理由はきっと複雑で、一夜にして解明できないかもしれないけれど、それでもきっと探し出す価値があるものだということ。
だから、表面に出てきた「嫌な部分」だけで何となく自分を丸ごとジャッジするのは時期尚早だということ。


少なくともこれを念頭に置いて自分の心の状態を潔く認めてしまうことで、セルフラブとまでは行かなくても、"Self-acceptance" へと一歩踏み出すことはできる。

なにも「自分を愛する」なんて大げさなことがいきなり可能にならなくていい。マイナスからいきなり120に持って行こうとしなくていい。でも、自分の心の「状態」を正しく把握しておくのと無視しているのでは、自分への寄り添い方だって変わってくる。

だからこそ、ただ、観察する。

なにもジャッジせず、心に今日も問いかける。


「今日はどうだい?」


これはきっと、家にいて比較的自分と向き合う時間が取れる今だからこそ出来る習慣づけかも知れないから。



Peace.



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