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②24歳・社会人一年目にして希望から一気にどん底へ転落〜後編〜



トラウマ克服セラピストのともこです✨



6月から新企画をスタートするに当たって
(新企画の内容はこちら↓ めちゃくちゃオススメなので是非✨)



昨日から
今まで公開してこなかった
私のどん底時代のエピソードたちを
何回かに分けてご紹介しています/



第1話がまだの方はこちらからどうぞ↓



前回は
夢や希望でいっぱいだった大学時代から
幸先の良い?スタートを切った入社したての頃まで
お話させていただきました



今日は、早速
今回の挽回ストーリーのキモである




私が完全に
心と体を壊すキッカケとなった出来事について
触れていきたいと思います
(心の準備はOKでしょうか? 🤣)



この部分は、自分が意識している以上に
ダメージが深かったようで
あまり鮮明に思い出せない部分もあるんですが



トラウマセラピー的にいうと
「よく思い出せない」=「生存のためのストッパーが働いている状態」



専門用語で言うと
「解離」という現象が起きている状態で



ここを解放できると
「非連続的な変化が人生に起きる」
めちゃくちゃ大事な部分です✨



ですから、私も
“癒し残し”をクリアにしていくつもりで
書いていこうと思います✨



読んでくださる皆さまにとって


何かしらのお役に立てるように
心を込めて書いていきますので
是非お付き合いください ^^




②24歳・社会人一年目にして希望から一気にどん底へ転落〜後編〜




当時私が所属していた部署は
「町の人たちと協同で町づくりを行う」というのがミッションで



特に私が配属された施設は
合併間もない特別区ということもあり



他の施設ではない
新しい試みをしようとしていました



それは
企画を生み出す最初の段階から
町の選ばれた有識者の方々と話し合い



出てきたアイディアを基に
全ての講座や行事を作っていくことです



このやり方は
所属部署全体ではイレギュラーなやり方だったようで


一緒に働いていた先輩は
今までのやり方が通用しないし
気を遣うしで
戸惑っていらっしゃったようですが



私はとてもワクワクしていました✨



「これからどんな世界が待っているんだろう」

「どんなお話が聴けるんだろう…楽しみで仕方ない」



そう思っていました



が…



有名〇〇大卒、最先端の取り組みを行っている
有識者の方々からの情報やアイディアは



「それ、どうやって実現するの?」というくらい
壮大なアイディアの数々…



「確かに素晴らしいし、実現したら最高だと思うけど
 まだ人脈もスキルも無いし
 良いとは思うけど、どうしよう…」

「でも、私たちスタッフ側は新参者だから限界があるけど
 皆さんはこの町でずっと根を張ってこられた訳だし
 現実化の根拠をお持ちなのかもしれない…」



そう思い、素直に相談してみると




「その方法を考えるのがあんたたちの役目でしょ!」
という思わぬ返答



内心
「えーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」と
思いつつも、何も言えず



直属の上司や先輩に相談するも
「それ困るよなー」という共感は得られるものの
解決策が見つからない




「どうしよう…とりあえず、今日もらった情報を頼りに
 色々聞いて回るしかないか…」と



あちこち電話したり、色んな場所に赴いたり…



繋がった先の方々から
アドバイスやサポートをいただきながら



何とか
出てきたアイディアを1つ1つ形にしていく日々…



とても自分だけでは
実行しきれない仕事量だったので
勇気を出して
町の有識者の方々にも協力をお願いしてみるものの



なかなかサポートを得られず、残業の日々
(先輩も一杯一杯だし、高齢の上司にも頼める状況では無かった)



「疲れた…でも良いものを作りたい」
「後もうちょっとだから頑張ろう」



そう自分に言い聞かせながら
何とか完成したイベントチラシも



「何これ!こんなんじゃあダメ!」



あっさり却下



かなり傷つきつつも




「自分がまだ未熟だから仕方ない…」

「求められる要求は高いかもしれないけど、応えれる自分になったら成長できる訳だし…」

「もっと頑張ろう…」



と、休日も仕事に役立ちそうな
イベントや勉強会に出かける日々



当時は一生懸命で
全く自覚がありませんでしたが




完全に
「ワーカホリック」「心身症患者の性格特性」そのものです

※ 心身症患者の性格特性
 真面目、仕事中毒、模範的、頑張り屋、人から頼まれると嫌と言えない、自己犠牲的… いわゆる「良い人」!



町の人との埋まらない溝や溜まっていく疲れに
不安を抱えながらも
とにかくやるしかない



必死で取り組む中で
思わぬところから沢山のサポートをいただくことができ
(地元新聞などにも取り上げていただいたり、不安だった集客も何とかクリア)



何とか無事に、イベントが終了✨



ちなみに、このイベントは市全体としても
先進的な取り組みとして
後に賞をいただくことになりますが



今までで一番
仲間作りが出来なかった取り組みが
人生で一番評価された感じで



私の中に悔しさや虚しさ
恥ずかしさや疑問が残り続けることになります



とは言え、ここまでの話を聞くと

「社会人最初の頃なんてみんなそんなもんだよ…」とか
「中身はともかく早い段階で評価もされてるんだし、贅沢だよ」


そんな声が
読者の皆さまの中から聴こえてきそうですが



私の心身がこんなにも早く限界を迎えたことには
理由がありました



・直属の上司が認知症だった
 当時直属の上司は、70歳を超える大ベテランの方でしたが
 早い時は、その日のうちに記憶が曖昧になってしまう😵

 進捗の報告の度に、最初から説明しないといけなくなるので
 プロジェクトの終盤頃には説明時間が1時間以上に及んでしまう
(紙ベースでの共有も試みていたが、慎重かつ心配が強い方だったので結局口頭でのやり取りに💦)

 町の人との会議で、あんなに事前に打ち合わせた内容をすっかり忘れ「聞いてない!」と連呼 😱

 人格者で、個人的には大好きでしたが
 仕事のやり取りに関しては
 こちらがノイローゼになりそうだった💦



・先輩との温度感

 私の就職先は、業界自体マイナーで
 私のようにやりたくて入っている方は、少数派だった

 「本当はもっと知名度やお給料の良いところに行きたかった…」
 「でも、上手くいかなかったから、仕方なくここに来た…」

 といった本音を先輩からお聞きすることも多く
 色んな場面で、かなりの温度差を感じていました💦

 また、元々非正規雇用の職場だったのが
 私の入社少し前くらいから正規雇用の道が拓け
 その狭き門を希望していた先輩たちの間に
 何とも言えない緊張感が漂い

 大学で専門的に学んできた私は
 他の先輩たちの多くがまだ持っていない
 受験資格を最初から持っていたので
 (そういった点もあってか?)

 話しかけても
 よそよそしい反応を返されることもしばしば

 それでも、めげずに相談に乗っていただく中で
 「それは、この職場では実現は難しい」とアドバイス頂き
 断念したアイディアが

 後日、相談した先輩の施設でイベントになっているのを
 目にすることもあり
 町の人とショックを受けたこともありました 😱

 


また、仕事面だけでなく
当時間借りしていたおばあちゃんも認知症で
(田舎過ぎて、間借りできるアパートが当時は他になかった)




朝の出かけ間際に
寂しくて行って欲しくないおばあちゃんと
どう折り合いをつけるかも毎日悩んでいました💦



他にもまだあるけど、
(まだあるの!? 読者さまの驚きの声 🤣)



今振り返ると
本当に




そもそも
落ち着いて仕事に取り組める環境じゃなかったし
心身ともに干からびて当然だったなと 😰




そんな中で
「よくやったな、自分」と思います



でもね
やっぱりこんな生活長く続かなくて



欲かった正規雇用の募集要項を取り寄せたものの



「私、本当にここでずっとやっていけるんだろうか…」

「頑張れば採用されるかもしれないけど
 益々組織の中で孤立してしまうかもしれない…」

「これが、本当に私の望んでいた働き方、生き方なんだろうか…」



そんな不安や疑問が、日毎に大きくなり
応募書類を眺めては
何も書けずに時間だけが過ぎていく…



私の心は完全に方向性を見失い始めます



そして最後に、トドメの一撃が…



認知症の上司とのやり取りに困り果て
たまたま相談した本局の方が
人事に話をしてくれたのか



高齢の上司が
急遽その年をもって退職の運びとなります



「私が相談したからかも…」
複雑な思いでそれを聞いていたところ



ある日突然
他の施設の先輩から私宛に電話が入ります




ものすごい剣幕で



「何であんなこと言ったの!!!」

「※△%※△%□ ※△%□※△%□… !!!!!」

(最初の一声しか記憶にない)



という怒号の声



その瞬間
私の全身から血の気がサーと引き
そのまま前に突っ伏して
目からは大量の涙…



「ちょっと!聞いているの!!!」
(と、多分言っていた気がする)



受話器から聞こえる声に
返したくても言葉が出ない…



もう限界だったんだと思います




「ちょっと大丈夫!?」
近くにいた
普段仲良しじゃない先輩も取り乱すくらいに
なんかヤバイ状態だったようで



家族に連絡をとってくれ
そのまま実家に強制送還



何とか回復して職場に復帰をするも
今度は高熱が出るようになり



さらに1週間近く
ベットの中で過ごします



沢山泣いて、汗もいっぱいかいて
熱が下がる頃には
体重が10kg減っていました



ストレス性のニキビが
顔中に広がって



もうどうしてこんなことになったのか
何で自分がこんなことになってしまったのか
本当に分からなかった



苦しいし
それでも何とかしたくて
色々頑張ってきたけど



頑張れが頑張るほど
返って状況が悪化していくばかりで



「何がいけなかったんだろう…」

「私の何が問題なんだろう…」



そんなことばっかりグルグル考えて




最初の頃あんなにあった
夢や希望、自分ならできる!という気持ちはすっかり無くなって



自分も誰も信じられない…



私は



心から笑ったり
人と向き合ったりすることが
できない状態になってしまいました…





to be continued…



























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