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アンゴラ&モザンビーク

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1990年代後半のアンゴラ共和国やモザンビーク共和国の様子や現地での経験、その後の変貌などをマガジンにまとめていきます。 ヘッダー画像は南部ウイラ州とナミベ州を結ぶいろは坂、否、… もっと読む
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#アフリカ葡語圏

ナミベの「ユーリイ・ガガーリン空港」で言われたことに「へっ?!」

アンゴラ共和国の首都モサメデス市(旧ナミベ市)の空港は かつて「ユーリイ・ガガーリン空港」という名称でした。 …ということだけは、以前も話したことがあります。 カーボベルデの「ネルソン・マンデラ空港」といい、 このアンゴラの「ユーリイ・ガガーリン空港」といい、 ポルトガル語圏の空港のネーミングセンスの無頓着さは やはり思い出す度に笑えてしまいます。 この「ユーリイ・ガガーリン空港」、初めて訪れた頃は トップ画像のとおり、空港っぽくない造りでした。 そして着陸する際の

こんなのもあるから困ってしまう…

昨日はタイピング室のコーディネーターのおばちゃんの話をしました。 日本語の記事なので、彼女の仕事からして「コーディネーター」 という単語が一番しっくりくるかなと思い、 そう表現したのですが、 現地での彼女のポストの名称は 「Supervisora【スペルヴィゾーラ】=監視員」だったか なんだったか覚えていないのですが、 最低限 「coordenadora【コオルデナドーラ】(直訳するとコーディネーター)」 でなかったことだけは確かです。 というのも、ポルトガル語の 「

アンゴラのラウンダバウト (環状交差点)

アフリカのポルトガル語圏の町々には ラウンダバウトが多く、 アンゴラは初めてという人の中には 首都ルアンダの市街地を車で走っていると、 「この町にはラウンダバウトが多いようですが、 パリなどのように放射状になっているのですか」 と聞かれることがあります。 それに対して私は、 「いいえ、『牛の胃袋状』です」 と答えることにしています。>笑 ルアンダの市街地って、こんな ↓ 感じで、 直線をガガーっと、一気に走れる道が少なく、 ちょっと行っては突き当り、 もうち

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ウアンボ (Huambo)市内

昨日この町の話をしたので、今日はウアンボの紹介に徹することにしました。 後ほど戦前の写真などもアップする予定です。ウアンボ市は首都ルアンダのように「ハチノス状」でないので快適です。映像は2017年のもののようです。

ウアンボ市 Now and Then

アンゴラ共和国の中央高原に位置する ウアンボ (Huambo) 州の州都ウアンボ (Huambo) 市 旧名ノーヴァ・リスボーア (Nova Lisboa) には、 植民地時代、市民の憩いの場所であった 「ルアカナ (Ruacaná) 映画館」と、 人気の衣料品店 「Nova York【ノーヴァ・イオルク】」(=ニューヨーク) が入った雑居ビルからなる 人気スポットがありました。 映画館の1階部分は皆が集える軽食店になっています。 映画館では、 ↓ 「マイ・フェ

ダイアナ妃が亡くなった時の不思議な話

ダイアナ妃が地雷原に足を踏み入れて話題となったのは 1997年1月のことでした。 彼女が訪れたのは、奇しくも昨日の記事でご紹介した アンゴラ共和国のウアンボ州でした。 それから僅か半年後の 8月31日、 ダイアナ妃は パリでの事故で亡くなっています。 ***** 私が初めてアンゴラを訪れたのは、1997年2月、 ダイアナ妃が訪れた翌月のことでした。 そして彼女が亡くなる前日の1997年8月30日、 当時、形だけ近くのアパートに住んで、 半ば同居のようだった母が、

世界のメジャーな都市名がポルトガル語では…

ブラジルのポルトガル語では アムステルダムのことを Amsterdã【アミステルダン】 というのに対して、 ブラジル以外のポルトガル語、つまり欧州葡語では Amsterdão【アムステルダゥン】 といいます。 地名は、発音の違いを除いて 両葡語間で一致することが比較的多いジャンルなのですが、 こちらのケースのように語尾が異なるものもあります。 この「アムステルダム」のように、メジャーな地名が異なると、 伯欧葡語話者双方が違和感を感じますが、 互いにどこのことな

ポルトガル語で「ラッシュアワー」は…

交通渋滞のことは、 ブラジルのポルトガル語(伯葡語)でも それ以外の葡語圏のポルトガル語(欧州葡語)でも Congestionamento伯:【コンジェスチオナメントゥ】 欧:【コンジェシティオナメントゥ】 又は、 Engarrafamento伯:【エンガハファメントゥ】 欧:【エンガらファメントゥ】 といいます。 「Congestionamento」 は英語の "congestion"と語幹が同じなので 分かり易いですね。 一方、 「Engarrafamen

この建物の色のトリビア

この建物、何を隠そう、 在アンゴラ米国大使館なのです。 アンゴラが産油国であること、 建物が目立つ高台にあることに加え、 9.11 以降、米国が有事体制を維持し続けていることもあり、 ネット上の静止画像も動画も 勧告を受けたり消されたりしてしまうようで、 こんなボケボケのものしか入手できませんでしたが、 実はこの建物、 出来立ての頃は黄色っぽいオレンジ色だったんです。 こんな ↓ 感じの色合いです。 竣工は、9.11 事件から1~2年経った頃だったと記憶していま

「中国か?」、「いや、中国化」

「これはどこ?」 と聞かれたら、 「中国のゴーストタウン」 と答えてしまう人もいそうな景色ですが、 これはアンゴラの首都ルアンダの Kilamba Kiaxi 【キランバ・キアッシ】 という地区の団地群です。 いわば、「多摩ニュータウン」とか、「光が丘」の類... といったところでしょうか。 この団地群の建設を行ったのは、 言うまでもなく中国です。 団地の分譲開始に遅れが生じ、 一時期は世界各国のネットニュースで 「中国がとうとうアフリカのアンゴラでもゴースト

見よ、このキンキラキンを!

まだまだアンゴラ話です。>苦笑 しかも、今日は吠えさせて頂きます。>爆! ***** アンゴラ共和国の首都ルアンダにそびえる このキンキラキンのビルは CHINA INTERNATIONAL FUND - CIFのものです。 全貌は、このとおり ↓ です。 ここで、まず手始めに 一吠え: 「CIF だなんて、貿易屋が混乱するような 頭文字語にするなっつうの!」 >笑 ***** な~んてことは置いといて~っと、 日本の JICA を含む各国の国際協力機関が

大きな蜘蛛と過ごした日々

モザンビークの田舎町でのことです。 実は私、いい歳こいて不良が直らない ヘビースモーカーなのですが、 ある時、 日本から到着して、 定宿の「定部屋」にチェックインして、 荷物から仕事道具とお土産を取り出して 事務所に向かい、 夕方帰宅して、 昼間はちらかしたままにした荷物を 定位置に片付け、 ホッとしたところで 一服しようかとベランダに出てみると、 動物園以外では見たこともない、 脚の先から対角線上の足の先までを測ったならば 20㎝ もあろうかという 黒く

大きな蜘蛛と過ごした日々(続き)

アフリカはモザンビークのホテルで 大きな大きな蜘蛛さんと 共同生活を始めた私ですが、 日を追う毎に お互い気心も知れてきて(笑) 蜘蛛さんは、夜明けとともにお出かけになり、 夕方帰宅するという、 非常に規則正しい生活を送っていらっしゃることも分かり、 煙草を吸うためにベランダに出る度に ちょっとした声掛けもするようになりました。 「あれっ、今日はちょっと遅かったんじゃない? あっ、私が早かったのか。笑」 「いやぁ、今日も暑かったね~。 昼間はどこか涼しいところに

大きな蜘蛛と過ごした日々(完)

「危害は加えない」 そう約束した蜘蛛さんの赤ちゃんを、 パニクっていたとはいえ、 踏みつぶしてしまった私...。・ ・ ・ 「私としたことが、なんてことを...!」 とっさに蜘蛛の巣に目をやると、 その一部始終を目撃してしまった蜘蛛母さんは、 明らかに動揺しており、 巣に留まったまま、おもむろに一歩後ずさりしました。 「ごめんなさい、ごめんなさい! 約束したのに。 あなたは約束を守ってくれたのに...!」 なんと謝っていいやら...、 しかも 謝ったところで、