マガジンのカバー画像

短編小説

14
運営しているクリエイター

記事一覧

魔法がとけた夜のこと

魔法がとけた夜のこと

 

 22歳になるまで、わたしは自分のことを特別な子だって思いこんでいた。
 でも、絵が上手かったり、足が速かったり、これと言って才能があったわけじゃなくて、結局のところ自分が平凡な人間だと気づいたのは、思う存分若くてきれいな時間を使った後だった。
 だれのせいでそう思い込んだかと聞かれたら、間違いなく、8年前に死んじゃったママのせいだった。

 子供の頃はそれでも絵を描くことが好きで、アニメの

もっとみる
音楽が聞こえる

音楽が聞こえる

 玄関を開けると、ギターの音が聞こえくる。
 その次に見えるのは窓際のソファに寄りかかる、ご機嫌なあの人の俯いた顔だった。ただいま。おかえり。今日の夕飯はなににするの。彼はそう問いかけながら、曲とも言えない音をいくつか鳴らして、私は、肉じゃがとカレーならどっちがいい、と冷蔵庫を開けながら聞き返す。しばらく手を止めて悩んだ後、カレーかな、といつも通りの答えを呟いた。それから、今度はちゃんと私でも知っ

もっとみる
蜘蛛

蜘蛛

 

 真夜中、巨大な蜘蛛を見た。

 それは掌を広げたのと同じくらいの大きさで、ベッドの真横にあるテーブルの隅にぴたりと静止していた。自分でもその気配に気づいて目を覚ましたのか、もしくは蜘蛛の夢を見たから起きたのか、よくは覚えていない。けれど、その後、テーブルから床にかけてゆっくりと下りる様子を、はっきりと視線の先に捉えていたから、私はそれから探すのも怖くて眠れなくなってしまった。
 二週間

もっとみる
恋愛小説

恋愛小説

 パソコンのデータを整理していたら、中学生のときにこっそり書いた恋愛小説が出てきた。冒頭の数文字を読んだだけで、大長編の物語が当時の思い出したくない記憶と共に急速に蘇ってくる。それをゴミ箱にドラッグするかほんの少し躊躇ったところを、隣でテレビを見ていた建一はすかさず気づいた。

「これ、ミズキが書いたの?」

 建一は興味津々で、私の太腿に乗せたノートパソコンに顔を近づける。私は全力で彼の体を押し

もっとみる
窓の庭

窓の庭

 アパートの窓から見える向かいの二階建ての一軒家は、来月に取り壊されることが決まった。会社から帰って何気なくポストを覗いたとき、工事のお知らせと、再来年完成する五階建てのマンションの見取り図が届いていた。
 部屋の内覧に訪れたとき、最初に惹かれたのがこの窓の景色だった。
 庭には一番大きなソメイヨシノをはじめ、立派な木々が伸びていて、玄関前も濃淡の異なる緑色と、薄紫色の花によってバランス良く包まれ

もっとみる
真夜中のディズニーランド

真夜中のディズニーランド

 

 真夜中に見かける隣の工事中のマンションは、まるでディズニーランドのアトラクションみたいだった。あの街に越してきたとき、そこはまだ閉院したばかりの病院で、しばらくの間廃墟として残っていた。けれど、オリンピックに向けた都市開発で大規模な工事が行われ、いつの間にかタワーマンションの建設が始まった。
アルバイトを終えた帰り道、駅から続くなだらかな坂を上りながら、私はその景色をじっと見つめるの

もっとみる
きみのことが可哀想

きみのことが可哀想

 

 だれも気づいていないけれど、ほんとうは、きみが特別可愛いものが好きだってことを知っている。ヘアゴムの留め具はよく見ると花柄が入っているし、パンプスに隠した両足のペディキュアだって蛍光のピンク色だ。しかし、残念なことに、それらはどれもほんの少しだけ可愛すぎていた。きみの容姿と言えば長身でスレンダー、黒髪のロングヘアーに切れ長の一重で、おまけに今年の春から新規プロジェクトリーダーに抜擢されるほ

もっとみる
日曜日の夜、美由紀は考えた。

日曜日の夜、美由紀は考えた。

 日曜日が終わる夜に、美由紀は夕食を食べながら考えた。

 一人分の料理をするのはもったいないからと買ったスーパーのお総菜コロッケと、温めた冷凍ご飯、せめてもの健康への気遣いで並べたもずくパックと豆腐たちは、なんの味もせずに彼女の舌を滑り去っていくだけだった。そもそも、味なんてなかったかもしれない。音量を落としたテレビの音は、さっきから他人の笑い声ばかりで、なにひとつ面白くない。でも、人生って本来

もっとみる
絵を描く

絵を描く

 絵を描くことが好きだった。
 完成したときに、間違いなく、自分が描いたものだって一目でわかるから。子供の頃、母親に怒られるのに部屋中にらくがきをして回ったのは、そういう特別なしるしを残すことが単純に好きだったのかもしれない。

 高校の美術の先生に勧められるがまま、私はごく自然な流れで、美大受験の予備校に進んだ。予備校にはひどく変わっていると思っていた自分よりも個性的な人がたくさんいて、クラ

もっとみる

紫色のチェックのシャツ

 占い師の女は私の目を見つめて、こう言った。
 あなたの運命の人は、紫色のチェックのシャツを着ています。えっと、他になにか特徴はありませんか、と私はすかさず尋ねたけれど、占い師はもったいぶって残りの十分間うなるばかりで、結局服装以外のヒントはなに一つ与えてくれなかった。
 新宿東口の狭い占い屋を出て、とりあえず近くのスターバックスに入り、私は二階から大通りを見下ろしながら運命の人を探した。さっきの

もっとみる
花

 花が嫌いだ。
 あれを見ているだけで腹が立つ。

 子供の頃から、私は性別が女の子だって理由で、花柄のワンピースを着せられてきた。それだけじゃなくてスカートやシャツも、靴下も、ハンカチや水筒だって、とにかく目につくありとあらゆるところに可愛らしい花の模様がプリントされていた。もちろん本物の花も、公園や学校の校庭、隣の家のバルコニー、道路の端に至るまで、見渡す限り咲き乱れていた。花を見ているだけで

もっとみる
同棲

同棲

 

 冷蔵庫からビールを取り出して、後ろを振り返ったときだった。

 さっきリビングのソファに座ってお笑い番組を見ていたケンイチは、豚になっていた。いや、そんなわけがない。あの人は豚を身代わりに、どこかに行ってしまったのかもしれないと思って玄関を見るけど、使いこんだスニーカーは脱いだ跡のまま斜めにずれていて、ソファにいる豚はこちらを見つめて、まるで私を呼ぶように鳴き声をあげた。ブヒ。ブヒヒ。

もっとみる

短編小説「ランナー」

「ランナーはな、病気なんだよ」
 午後のワイドショーのランニング特集を見て、パパはため息混じりに呟いた。

 テレビ画面には、カラフルなウエアに身を包んだ話題のランナーたちが、休日の道路を埋めつくす様子が中継されている。沿道の人々は目を逸らして道を譲り、アナウンサーとカメラマンは、両手の隙間からこわごわと覗く。ランナーたちは頬を桃色に染めて、時に手を叩いて大声で笑ったり、また時に涙を流したりしなが

もっとみる

短編小説「家族写真」

 お酒に強くない彼は、ビールを二杯も飲むと饒舌になった。
 一杯目ではお互いの近況報告をし、二杯目では彼の営業に回る取引先の愚痴と二人の息子の話をして、そして三杯目にはいつも決まって、初めてする話をしてくれた。雑居ビルの五階にある半個室の居酒屋は、一昨年から通いつめたせいか、まるで私たち二人の小さな家のようにさえ思えた。
「九回裏でサヨナラ満塁ホームランが出たら、だれだって奇跡だって思うだろ。だか

もっとみる