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”フードイノベーションの未来像”から見えてきた食のパーソナライゼーションの新たな視点[後編]

「人類の食とウェルビーイング」のつながりを多角的に深堀りする、好評ウェビナーシリーズ「フードイノベーションの未来像」。2022年からは「食とパーソナライゼーション編」と銘打ち全6回のセッションをお届けしている。 1月27日(金)開催のvol.5では、ゲストに東京大学 総長特任補佐・先端科学技術研究センター 身体情報学分野教授の稲見昌彦氏を招き、人間の能力を拡張するテクノロジーの視点から個人やコミュニティの価値観や行動のゆくえを問い、日本における食のパーソナライゼーションの可能性と目指すべき姿に迫る。

本日は、本ウェビナーシリーズの議論から生まれたすさまじいインサイトを紹介する。是非、ウェビナーにご参加された方もそうでない方も、ご一読いただき、次回ウェビナーに向けての問いを深めておいていただきたい。
なお、12月27日(火)に配信した前編では、本ウェビナーシリーズの問いや意義を掘り下げた。そちらも併せてご一読いただくと、ウェビナーの背景を深くご理解いただけるだろう。

1.  パーソナライゼーション編の問いとは 

デジタルでの計測技術の民主化が進み、購買行動や好み、身体の状態、運動量、DNAや腸内細菌にいたるまで、容易に可視化することができるようになってきた。これに伴い、個人の選択を最適化するパーソナライゼーションはトレンド化し、Eコマースや動画視聴サービスなどではもはや当たり前となっている。食産業においても同様だ。これまで大量生産大量消費でスケール化させてきたグローバル飲食品メーカーも、新興フードテックプレーヤーも「パーソナライゼーション」を新たな価値提供の源泉とみて、事業開発を進めている。
一方で、食のパーソナライゼーションが進んだ未来はどうなるのだろうか。人の生活や社会、そして地球は、豊かになっているだろうか?豊かにするためには、産業はどうあるべきか?これから新たに登場する技術は、この領域にどのようなインパクトを持つか?

産業全体として、こうした論点を問うてみることが重要ではないか。この考えがこのシリーズの出発点となった。こうした問いにアプローチするために、我々は各回のテーマを下記のように設定した。

vol.1:「Web3は食のパーソナライゼーションを加速するか?」(データサイエンス)
vol.2:「分散化する“わたし”は何を食べるのか?~文化人類学から見た食のパーソナライゼーション」(文化人類学)
vol.3:「自由意志を疑う~食べたいものを決めているのは誰(何)?」(法哲学)
vol.4:「We-Modeと食~“わたしたち”は何を味わっているのか?」(ウェルビーイング)
vol.5(次回):「(仮)Quantified Selfと食~デジタルツインが拡張する食のパーソナライゼーション」(テクノロジーによる人間能力拡張)
vol.6(TBD):総括 (vol1-5からビジネスへの意味合いを再抽出)


なお各セッションの論点は前回の記事でもより詳細にご確認いただける。

多様な領域から議論することで、データ活用の前提となるWebの進化によるパーソナライゼーションへの影響や、人間が根源的に価値を感じるもの、人が社会の中で感じるウェルビーイングの構造など、パーソナライゼーションへの示唆はもちろん、人と社会の本質を浮き彫りにすることを試みた。

2. 現在のパーソナライゼーションの負の側面

前提として、明確な目的を持っている場合、それに対する最適な選択肢をレコメンドしてくれるパーソナライゼーションはとても便利だ。実際筆者も、目標体重と期間を入力すると摂取すべきカロリーや栄養量が可視化され、食事内容に沿って不足栄養やその摂取方法が分かるアプリを使っていたことがあり、その便利さは享受している。しかしながら、今のパーソナライゼーションが普及しすぎると、負の側面も出てくる恐れがある。
1つ目は、企業による経済合理性の追求による目的の歪みだ。企業がデータを占有している状態では、データが企業の目的達成のために使われてしまい、その結果、生活者の健康が阻害される可能性がある。 vol.1のゲスト慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章氏の言葉を借りれば、プラットフォーム企業が経済合理性を追求すると、アルコール依存症者にアルコールをレコメンドする・糖尿病患者に甘いものをレコメンドする、ということになってしまう。
2つ目は、主体性や自律性を奪いかねないことだ。人が自分で身の回りの出来事をコントロールできているという感覚は、実はウェルビーイングにとって非常に重要だ。レコメンドという形であらゆる選択が自動化されてしまうと、この感覚がいつの間にか失われてしまっていることになりかねない。
3つ目は、人々が無意識に持つ価値観を無視してしまう危険性だ。可視化しやすい指標によるパーソナライゼーションが普及しすぎると、価値観がその指標に画一化されていくおそれがある。行き過ぎると、例えば健康ファシズムのような世界が待っているかもしれない。

パーソナライゼーションは、これらの負の側面を克服しながら、さらに個人や社会に豊かさをもたらすことはできるのか?そしてそのカギは何か?ウェビナーシリーズから得られたインサイトは3つだ。

3.  Key insight①~Web3はパーソナライゼーションの目的を拡張する

まず、近い将来Web3でのデータ活用の根本的な変化がパーソナライゼーションに与える影響だ。

Web1.0では一部の人が情報発信を行い、ほとんどのユーザーは閲覧メインだったが、今は、通信技術の向上と端末の普及によって、双方向コミュニケーションが可能なWeb2.0の時代に来ている。Web2.0の次に来るWeb3では、個人に関わるさらに多くのデータを、個人が主権を持ちながら統合的に活用していくと予測されている。そのような社会では、企業による経済合理性の追求は難しくなる。生活者がデータの主権を持っていると、生活者からの信頼が得られない限りデータを活用することができないからだ。むしろ、生活者がそれぞれの「目的」に応じて必要なデータを用いてパーソナライゼーションができるようになる。
さらに、これまで測定できていなかった情報を可視化することで、新たな価値も生まれると予測されている。食で例をあげると、収穫したタケノコ一本一本にタイムスタンプを付与し、おいしい時季に採れたタケノコがNFT化される。これがパーソナライゼーションを通じて生活者に届けば、眠っていた食の価値が発掘され、正しく評価されていく。その中で、食が本来持つ多様な価値が開放され、個人レベルだけでなく社会や環境などの各レベルでの豊かさが多元的に連関して拡がっていく社会になるのではないか。

Web3はパーソナライズされたプロダクトやサービスの実装を加速するだけではなく、その「目的」を拡張する。その先に、多元的で豊かな社会が浮かび上がってくる。これが、vol.1から得られた示唆である。

『WIRED』日本版によるvol.1まとめ記事&音声アーカイブはこちら(メンバーシップ限定)

4.  Key insight②~食に対する価値観の三層構造

次に、人間が持つ食に対する価値観の構造だ。
vol.3の議論の中で京都大学大学院法学研究科教授の稲谷龍彦氏は「主体性」のモデルの西洋と日本との違いを示した。西洋では、「人間=個人」モデルであり、神や法が示したあるべき姿に沿って個人が自由意志に基づいて行動することが期待される。一方日本では、「人間=間柄」モデルであり、人間は周囲との間柄で相互依存的に定義され、その中でよりよい方向を見つけて進んでいくことが求められるという。

議論を経て、我々は人間の食に対する価値観を三層構造で解釈した。1つ目が「強目的」だ。体重や体脂肪率の目標、疾病やアレルギーなどによる明確な食事制限がこれにあたる。そして2つ目が「弱目的」。栄養管理や健康など、明確な制限はないものの顕在化している緩い目的がこれにあたる。そして3つ目が「無意識の価値観」だ。これは、生活者自身も自覚できていない価値観を指し、周囲とのインタラクションで流動的に変化する。ほんの一例だが、お茶の歴史を知ると急にお茶がおいしく感じられてくるような現象は、お茶に対する無意識の価値観が、歴史という知識によって立ち現れることで起こる。

これらを主体性のモデルに当てはめると、強目的や弱目的は、あるべき姿に向けて行動するという意味において、西洋的である。西洋で今、個別最適化という意味でのパーソナライゼーションが発達していることは当然の流れと言えるかもしれない。一方、無意識の価値観は、周囲との関係の中で相互依存的に定義されているという意味で、日本的である。特に日本であるべき食のパーソナライゼーションは、この無意識の価値観を開放することで、生活者のウェルビーイングの可能性を開くようなものではないか、と我々は考えた。

『WIRED』日本版によるまとめ記事&音声アーカイブはこちら:vol.2vol.3(メンバーシップ限定)

5.  Key insight③~生活者と共に変化していくパーソナライゼーション

そして最後に、無意識の価値観を開放するパーソナライゼーションの在り方についてだ。
実は、ある文化を見ると、人と人との間でパーソナライゼーションのようなものが起こっている。vol.2のゲスト、立命館大学先端総合学術研究科教授の小川さやか氏によると、タンザニアでは、食事は基本的に大皿に盛られ、それを皆が手で取って食べる。それぞれ自分の食べられる分だけを取って食べていても、同じタイミングで皆が食べ終わるという。誰かが途中で加わると、元々いた人がのろのろ食べ始めたり、ある人が苦手そうな食べ物を他の人が率先して食べるなど、実に自然に互いの行動を調整している。この行動に、ヒントがあるのではないかと我々は考えた。

そして、このようなインタラクションは人と人との間だけでなく、微生物、機械、歴史、土地との関わりの中でも起こる。vol.4でドミニク・チェン氏は、「発酵」に着目して2つ事例を紹介してくれた。1つはぬか床だ。人がかき混ぜるぬか床は、少しずつ微生物の構成が変わり、その微生物が腸内細菌に影響し、…と人と微生物がひたすらインタラクションを繰り返す中で、家庭ごとに全く異なる味になっていく。もう1つがどぶろくだ。ドミニク氏が岩手県遠野市に旅行した際に飲んだ現地の自然栽培米でつくったどぶろくは、その土地に百年スパンで流れる歴史とのつながりを感じるような、筆舌に尽くしがたい味がしたという。
ドミニク氏は、ウェルビーイングの専門家として、人の価値観は常に変化し続けていることを想定すべきだとも強調する。人は、周囲と「We-mode」的なインタラクションをする中で、互いのアフォーダンスを高めあいながら偶発的な出会いを経験しているというのだ。
パーソナライゼーションを始めとするテクノロジーもまさに、人と「We-mode」的にインタラクションしながら共に変化し、人に豊かな変化のプロセスをもたらすものであるべきではないか。それによって、生活者が食の新たな価値に気づき、より一層ウェルビーイングを高めていくことができる。これが、各回のゲストとの議論で得た我々の今の答えだ。

そしてそのためには、食の「意味」や「文脈」がますます重要になるのではないか。産業側も生活者側もこれをいかに多く見つけるかが、ウェルビーイングのカギを握っていると思う。この議論は今回は割愛するが、またどこかで取り上げたい。

6. 次回に向けた問い:

今回は、現在のパーソナライゼーションの負の側面や、日本人の価値観やそれに応じたパーソナライゼーションの在り方についての議論を紹介してきた。しかし未来の社会で、どのような形でこのパーソナライゼーションは実装されうるのだろうか?Web3時代のテクノロジーにより、人間や社会の存在の仕方が大きく変わる可能性がある。そのような中で具体的にどのように、新しいパーソナライゼーションの在り方を実現できるだろうか。
1月27日(金)19:00に開催する次回ウェビナーでは、ゲストにテクノロジーによる人間の能力拡張「自在化」を研究する稲見昌彦氏を迎え、Web3時代に個人やコミュニティがどのように「自在化」するかを紐解きながら、パーソナライゼーションの可能性を探る。
ウェビナー当日はZoomで質問を受け付ける。また、1月31日(火)19:00に開催するインタラクティブトークでは、『WIRED』日本版の松島編集長・シグマクシス田中宏隆・シグマクシス岡田亜希子と参加者の皆さまとの相互議論・ビジネスへの意味合い抽出の場を予定している。本記事を最後まで読んでくださった皆さまから、是非ご質問やご意見をお寄せいただきたい。

次回イベントの詳細・申込はこちら:


(Written by Miyako Fukumoto)