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「女の身体」から離れたい。だから痩せていくしかなかった

もう痩せていくしか手段がなかった

私は小さいころから男女の違いや男女格差に敏感で、女である自分が大っ嫌いだった。自分の身体が女の身体であることはわかっていたけれど、初潮が来るまでは「私の身体の中身の部分は男である可能性だってまだ残っている…!」と本気で思っていた。

小5で初潮がきたとき、大泣きした。女にしか来ない生理が自分にも来てしまい、「自分も女である」ということが確定してしまったから。

それでも学生時代まではほとんどを女子校で過ごしていたおかげで、自分が女であることを意識する機会がなく、平穏に過ごした。

大学を卒業し、社会人になって初めて彼氏という存在ができた。男嫌いのはずの私が、男に恋をした。悔しかった。苦しかった。私は女だった。身体だけでなく、心も。
付き合いだしてからは、男という存在と自分との違いにただただ苦しんだ。それでも完全に彼に依存していた私は、彼から離れることができなかった。

どうしても男の身体になりたいその身体が羨ましくてしょうがない。女であるこの身体から逃れたい。と心底思うようになった。胸や子宮をとることはできるのか、ホルモン注射をしたらどうなるのか、とか本気で調べだした。

けれどどれも現実味がなく、なんだか違うように感じた。その時点で今世ではこの望みは叶えられないと気付いた。

この頃、何件もカウンセリングを受けた。多分、10人以上のカウンセラーと話をした。けどどのカウンセリングも効果はなかったし、カウンセラーにも理解してもらえた感覚は得られなかった。

もうだめだ。この苦しさから逃れる方法はない。もう自分を消してしまおう。でも、自分で自分を殺める勇気はなかった。

そこで手にした手段。それがガリガリになることによって女の身体を手放すということだった。そこからは徹底的に食事制限をし「自分の身体くたばれ」と思いながらきっちりと運動をおこないガリガリの身体を手に入れた。

こうして私は摂食障害に陥っていった。

「辛い」と言えないから摂食障害になる

ある摂食障害のドキュメンタリー映画に出ていた方が、「ガンで闘病している人に対して、不謹慎だけど『いいよね、同情してもらえて。ガンになる方がまだまし』と思っていた。」と話していた。私自身はガンの方と比べるのはいくら何でも…とは思うが、感覚的にはなんとなく私にもわかる。

摂食障害になる人っていうのは多分、外から見ると至って「普通の人」なんじゃないかなと思う。一見すると、なんの不自由もなく過ごしているように「みえる」人。むしろかなり恵まれているんじゃない?とも捉えかねない人。

だからこそ、「苦しい。辛い。」と口にすることができない。だって、同情なんてしてもらえないから。それどころか、「そんな恵まれているのに『助けて』なんて甘えたこと言ってんじゃないよ。もっとつらい人なんていくらでもいるのに。」と言われてしまうから。

私の場合もそう。親に何不自由なく育ててもらって、仕事もあって彼氏もいて、健康な女性としての身体も持っていて、世間的にみればかなり恵まれている方だと自分でも思う。

だからこそ、どこにもこの苦しさを表現することができなかった。絶対誰にもわかってもらえないと思っていたから。

身体をけずり、自分にとって理想の身体を手に入れた今、正直なところ元の身体には戻りたくないと思っている。

いや、そうではなく。

摂食障害を手放したくないという気持ちがどこかにある。「摂食障害であること」以外でこの苦しみを表現する方法を私はまだ見つけられていないし、「ガリガリに痩せていること」以外に女であることの苦しみから逃れる手段を私はまだ知らない。
こんなこと言ったら、また、甘えてるとか言われるのかもしれないけど、新たな表現方法を見つけるなり、新たな解決の糸口を見つけられるまではしばらく摂食障害からは離れられない。これからもお世話になってしまうと思う。

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