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ブッダの基本的な教え<縁起>とは? 【苦しみの矢をまず抜いて心のストレスを減らす生き方】③
苦しみの矢をまず抜いて心のストレスを減らすために、これまでブッダが説いた基本的な教えである「四聖諦」と「八正道」について述べてきました。
ブッダの重要な教えとしては、ほかに「縁起」があります。
日本ではよく、良いことが起こりそうな様子を見ると「縁起がいい」、不吉な言葉を耳にすると「縁起でもない」と言うことがありますが、吉兆に関するこの「縁起」という言葉自体は仏教から来ています。
仏教のいう「縁起」とは分かりやすくいえば、この世に孤立して存在しているものは何一つなく、物事は相互に関係し合っていることで成立している、ということです。
つまり、「すべては相対的であり、相互依存しており、相互に関連しており、何一つとして絶対ではなく、独立していない」ということです(参考 ワールポラ・ラーフラ『ブッダが説いたこと』 岩波文庫)。
なお、「縁起」の別の言い方としては「相互依存的生起」などがあります。
ものごとはほかのものから独立して存在しているように見えるが、実際はほかのものの存在や性質に依存している。これが縁起だ。木々は日光や水を必要とし、日光や水などほかのものとかかわることで変化しつづけている。小川や湖や海は雨を必要とし、雨は小川や湖や海を必要とする。人は空気を必要とし、空気は人が息を吸ったり吐いたりしなければそのような組成になっていない。
いいかえると、どんなものも本来的な存在をそなえてはいないということだ。どんなものも現行の存在の材料をすべて内部に持ってはいない。どんなものもそれ自体では完結しない。それが空の概念につながる。あらゆるものは本来的な独立した存在性を欠いている。
(『なぜ今、仏教なのか 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学』 ロバート・ライト 著 熊谷 淳子 訳 早川書房 p246~247)
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たとえば、コンビニエンスストアで買ってきて毎日何気なく食べているお惣菜にしても、テーブルに並ぶまでに、作物を育ててくれた人、運んでくれた人、調理してくれた人、売ってくれた人、など、様々な人が関わっていることが分かります。
また今ご飯を美味しくいただくことが出来るのは、土台としてお皿やテーブル、おうちがあるからです。
日本ではよく「おかげさま」といって感謝の気持ちを表しますが、すなわち「縁起」とは、目の前のお惣菜は「私」がお金を払って買ってきたからあるのだ、といったように一つの原因によって結果が生じているわけではなく、ほかのものとの関係性によって成り立っているということです。
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ではブッダは「縁起」をどのように説いたのでしょうか?
ブッダは神や宇宙原理といった不変の実体ではなく、「縁起」という「これによってあれがある」という原因と結果の関係によって、世界の成り立ちを考えたのです(参考 立川武蔵『ブッダから、ほとけへ』)。
実際にブッダが縁起をどのように説いたのかについては判明していないとされていますが、ブッダの縁起の教えを後に弟子たちがまとめたものに「十二縁起(十二因縁、十二支縁起)」があります。
この「十二縁起」とは、苦しみが生じる因果関係の連なりのことです。
無明 ‐ 行 ‐ 識 ‐ 名色 ‐ 六処 ‐ 触 ‐ 受 ‐ 愛 ‐ 取 ‐ 有 ‐ 生 ‐ 老死
無明(むみょう)……「根本的な無知・煩悩」
行(ぎょう)……「意思作用」
識(しき)……「判断作用」
名色(みょうしき)……「認識の対象」
六処(ろくしょ)……「認識する器官」
触(そく)……「器官と対象との接触」
受(じゅ)……「感受作用」
愛(あい)……「コントロールできない欲望」
取(しゅ)……「執着のこと」
有(う)……「存在」
生(しょう)……「苦の発生」
老死(ろうし)……「避けられない苦悩」
(参考 釈徹宗『いきなりはじめる仏教生活』)
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この十二縁起の解釈については様々ですが、仏教学・宗教哲学が専門の竹村牧男氏は、『心とはなにか』のなかで、アビダルマ(ブッダが説いた法を研究したもの)における胎生学的解釈を紹介し、十二縁起について以下のように述べています。
この十二縁起の説は、たんに無明から老死までの十二の順番の解明よりも、その解明によって究極的な原因が突きとめられたということの方が重要です。私たちの生老病死すべてをもたらす根本の原因は何かを究明して、最終的に無明にたどりついたことが一番の発見なのです。
この十二縁起のプロセスを正確に理解するのは難しいため、一つ一つの項目についての解説は省略させていただきますが、ここではまず「避けられない苦悩」の原因には、無明という「根本的な無知・煩悩」があるということを知っておいていただきたいと思います。
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