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ブッダが目覚めた「縁起」とは何か? 『ブッダが説いた幸せな生き方』③

前回の記事では、『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)のなかで、著者の今枝由郎氏が、

「(一)条件付けられた生起(縁起)としての苦しみ」
「(二)ものごとの移ろい(無常)による苦しみ」

は、「苦しみの両面と見なしたほうがいい」と指摘しており、その点は、「ドゥッカ」(苦)の本質を考えるうえで非常に重要であると述べました。


では、「条件付けられた生起(縁起)」とは何でしょうか?


「縁起」については以前にも述べましたが、

今枝氏は、「ブッダが「目覚めた」のは縁起の法則」であると述べています。

また、この縁起とは縁(よ)って起こるということであり、「縁起はたいへん難しく、深遠であると考えられていますが、実はけっして難しいものではなく、単純明快なことです」としています。


 縁起の「縁」は縁るということですから、縁起とは「縁って起こる」ということです。何に縁ってかというと、それは原因に縁ってです。すべてのものごとは、原因に縁って、その結果として起こるということです。注意が必要なのは、原因はかならずしも一つだけではないということです。ただ一個の原因によって一個のあるいはすべての結果が起こるというふうには考えず、「さまざまな」ということばを加える必要があります。ですから「すべてのものごとは、さまざまな原因に縁って、その結果として起こる」と言えば、縁起の道理は尽きています。

今枝由郎『ブッダが説いた幸せな生き方』 119頁

 すべてのものごとは、さまざまな原因や条件が相互に関連し合い、その集合体として一時的にかりそめに成立しているだけ、すなわち「条件付けられた存在」であって、他のすべてのものから独立して存在しているものは一つとしてありません。こうした条件や原因がなくなれば、自ずと消滅する本質のことを、仏教では此縁性(イダッパッチャヤター)といいますが、仏教の中心的見解の一つです。

同上


すなわち縁起とは、

「すべてのものごとは、さまざまな原因に縁って、その結果として起こる」

ということであり、また、

「すべてのものごとは、さまざまな原因や条件が相互に関連し合い、その集合体として一時的にかりそめに成立しているだけ」

であり、「他のすべてのものから独立して存在しているものは一つとして」ないということです。

さらに今枝氏は、縁起理論のうち、たとえば「五支縁起」は、

(一)無知(渇望) →(二)執着 →(三)生存 →(四)誕生 →(五)老死(苦)

というように、「無知(渇望)を根源とし、執着、生存、誕生を介して、最終的に老死すなわち苦に至る因果の鎖を説くもの」ですが、

 縁起が無明すなわち根本的無知から始まっているとするのは、興味深くかつ意味深長です。

と述べています。

つまり、ブッダの教え(仏教)においては、「苦しみの出発点」は「無知」なのであるということがポイントなのです。


そしてこの「縁起」から「必然的に導かれる」のは「無常」です。

……次回へと続きます。


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