ブッダが目覚めた「縁起」とは何か? 『ブッダが説いた幸せな生き方』③
前回の記事では、『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)のなかで、著者の今枝由郎氏が、
「(一)条件付けられた生起(縁起)としての苦しみ」
「(二)ものごとの移ろい(無常)による苦しみ」
は、「苦しみの両面と見なしたほうがいい」と指摘しており、その点は、「ドゥッカ」(苦)の本質を考えるうえで非常に重要であると述べました。
では、「条件付けられた生起(縁起)」とは何でしょうか?
「縁起」については以前にも述べましたが、
今枝氏は、「ブッダが「目覚めた」のは縁起の法則」であると述べています。
また、この縁起とは縁(よ)って起こるということであり、「縁起はたいへん難しく、深遠であると考えられていますが、実はけっして難しいものではなく、単純明快なことです」としています。
すなわち縁起とは、
「すべてのものごとは、さまざまな原因に縁って、その結果として起こる」
ということであり、また、
「すべてのものごとは、さまざまな原因や条件が相互に関連し合い、その集合体として一時的にかりそめに成立しているだけ」
であり、「他のすべてのものから独立して存在しているものは一つとして」ないということです。
さらに今枝氏は、縁起理論のうち、たとえば「五支縁起」は、
というように、「無知(渇望)を根源とし、執着、生存、誕生を介して、最終的に老死すなわち苦に至る因果の鎖を説くもの」ですが、
と述べています。
つまり、ブッダの教え(仏教)においては、「苦しみの出発点」は「無知」なのであるということがポイントなのです。
そしてこの「縁起」から「必然的に導かれる」のは「無常」です。
……次回へと続きます。
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