見出し画像

自分の変化に気付いた時

ガーデニングも、もう何年やってるかわからない。

始めた時は、「よし!やろう!」と気合いを入れたわけではなく、ただ、自分で自分の心を癒やすためのものだった。

思い返せば、無意識にやっていたこと、潜在意識や宇宙に導かれてたのかもしれない。

あの頃は、本当に辛くて、どうしてこんな目に遭うのかわからなかった。

いじめ、パワハラ、不登校からうつ病、統合失調症にもなり、とにかく毎日が辛く、生きることそのものが辛かった。

それでも今は、日々の小さな出来事に幸せを感じ、感謝出来るようになったので、貴重な経験から、学びとしての大きな財産となりました。

なんとなく、今日の玄関アプローチの鉢を見ていたら、随分と自分も変わったなと感じました。

昔は、とにかく鉢を沢山置いて、色んな花を植えて、無理矢理に育てようとしたり、挿し木でどん増やしたりもしてました。

どんな趣味でも、あるあるなのでしょうが、やっぱりそこを通ってから、削ぎ落とす方向へと向かうため、それもまた無駄ではなかったとも思っています。

アクアリウムにハマっていた頃も、とにかく増やす、広げる、そして、崩壊しかけたところで引き返すってことも経験しました。

やっぱり、何をやっても同じで、この本質的な自分の根っこが変わらないと、同じことを繰り返すんだなあと実感。

今日見た玄関アプローチの姿は、鉢は3つだけ。

寄せ植えにはしてるけど、ゆっくり育つ木がメインで、花は少なめ。

手を加えようとは思わなかったし、ただそこに「在るがまま」を堪能している自分がいました。

こうした自分の姿に、「変わったなあ」と自分で感じていました。

沢山広げることよりも、ひとつをゆっくりと楽しみながら見つめる。

他のことは広げてもいいのだけど、全てをコントロールしないほうがいい、しなくていいという思いにふけっていました。

長く生きていれば、こんな日も来るもんだなあと。

仕事は楽になり、子育ても楽になり、生きることも随分と楽になってきた気がします。

「在るがまま」

この難しさは本当に奥深く、「在るがまま」でいられず「抗うこと」も、「在るがまま」の一部だと認めることで、もっともっと、楽になれるものです。

力を抜いて、流れるままに。

抵抗すべきところ、力を入れるところはしっかりと入れて、今日も楽しく生きていきたいものです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?