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【読書感想文】間違って入ったカレー屋がやはり間違いだった話

 先日紹介した『文章添削の教科書』を読みました。その感想です。

 (※以下は、あくまでも個人の感想です。)

 結論から言うと、期待外れの内容でした。多少でも、自分の仕事に役立つかと思い買ったのですが、益すること少なし、といった感じ。当然みなさんにも……いや、読むかどうかはこれを読んで、ご自身でご判断ください。

 著者は渡辺知明氏。法政大学卒業後、日本コトバの会に入会し、現在、コトバ表現研究所所長、日本コトバの会講師・事務局長とのこと。これ以外にも、著書がたくさんありますね。お生まれの年を見ると、私よりもご年齢が全く上の方でした。あと、こうした会があることも、私は不勉強で、全く知りませんでした。

 まえがきやあとがきを読むと、この本で最も言いたいことは「添削しながら読むと本をより深く理解できるのでおすすめ!読む力も書く力も身に付くよ!みんなもやってみてね!」ということのようです。なるほど、校正者や私のような添削指導者向きに書かれた本ではないようですね。この段階で「あれ?ちょっと違うお店に入っちゃったな」という感じ今日はカレーの気分かなぁってカレーのお店のドアを開けたら、「あぁ、こっちのカレーね……。はいはい。いやぁ、こっちかぁ。こっちじゃないんだよな」という気持ちになりました。

 まあ、いいや……。もう口が「カレーの口」になっていますから、私は店を後にしません。テーブルにつき、来た従業員にカレーを注文しました。「買ったからには、この本を読み通すぞ」と腹を決めました。

 最初(第一章 添削の心得)は、添削の基本的な考え方や姿勢、心掛けの話。まぁまぁ、ここは同意できました。なるほど、なるほど、そうだよねぇ、どこまで文章に「介入」するかは難しいよねぇ、と思いながら読み進めました。意外と食えるカレーだな、もぐもぐ。

 次の内容(第二章 添削の準備)も、まあ納得できました。「文章全体を見わたす」とか、私もやります。いきなり赤入れはしませんよ、いったん最後まで流し読みして、全体を軽くチェックしますね、私も。わかるわかる、と思いながら読み進めました。まだまだ食えます、このカレー、もぐもぐ。

 「第三章 添削の技術」に入りました。ここまで、余り新しい発見や気づきが、正直ありませんでした。しかしここは実際的な技術の話ですから、少し期待しました。で、読み進めると、あれ?なんか違和感が?添削前と添削後のビフォーアフターはいいんです。まあ、私もこんな風に添削するかなという感じ。でも、添削には当然理由が必要です。人の書いた文章を直すのには、それ相応の理由があります。たとえば、「本来そうした表現はない」とか「文法的に誤りがある」、「論理構造から見てそういう展開にならない」など、理由があります。そしてそれは、普遍的な表現体系や文法理論によって述べられるものです。もちろん、そうした理由が書いてはあります。しかし、これが全く飲み込みにくい。そう、この方の依拠する文法理論のクセが強すぎるのです。この方は今まで学校で習った文法理論(この方の言う「語句論の文法」)を「そんなやり方では生きた文章を殺します」と強く否定し、こうした文法理論は「まるで死体解剖」とまで言います。そしてそれに対して、(この方の言う)「構文論」という文法が正しいのだと主張します。以後、この文法理論に沿って添削講座が続くのですが……。すみません、この段階で、私は店の従業員にラッシーを注文してしまいました。やっぱり、このカレーじゃなかったわ……。

 以後、「これをこう添削します、なぜならこうだからです」の説明が、全て「構文論」なる文法理論とそれに基づく特殊な文法用語によって行われます。でも……、それ学校で習った文法理論で十分説明できるんですけどね……。この文法理論でないとこの事象やケースは説明できない、だからこの文法理論を採用して説明します、ならまだわかります。しかし、それはわざわざ、その新奇な文法理論を持ち出して理由付けしなければならないものでしょうか。はなはだ疑問です。私なら、なるべくみなさんが学校で習った文法理論に沿って説明します。なぜなら、それが一番普遍性のある理論であるため、相手(その文章の書き手)に納得してもらいやすいからです。体系や理論は、妥当性も大事ですが普遍性も重要です。「それがどれだけ正しいか」と共に「それがどれだけみんなに認知されているか」も問われてくるはずです。この本には、こうした観点が欠けています。

 また、その構文論という文法理論を説明に採用するに当たって、主に下川浩氏の本が参考にされているようです。たとえば、「○○についての研究は、下川浩著『現代日本語構文法』、『コトバの力・伝え合いの力』が詳しい」などの文がやたらと挟まれます。「え?これどういうこと?」と読み手(私)がつまるところに、必ずと言っていいほど、こうした文言が挿入されているので、しまいには「もう、下川センセーの本買って読んだ方が早いわ!」ってなってしまいました。もちろん、そこまでこの構文論という文法理論がよいと私は思わなかったのでそうしませんが、これは一冊の本として、読み手に不親切だと思います。説明が不十分なところで参考資料に誘導するなんて、書き手の説明責任を放棄していると言わざるを得ません。

 ん?

 誘導?

 ここで少し引っかかったので、この著者の所属する日本コトバの会のホームページを検索してみました。なんか懐かしさを覚えるホームページだなぁ。このホームページを見ていると、パソコン通信、ダイヤル回線、テレホーダイとかそんな単語が頭をよぎります。「ここは全くひどいインターネッツですね!」……あ、すみません、話が横道にそれました。仕切り直しまして……ふむふむ……なるほどね。下川浩氏もここの会の所属ですね。しかも、会長ですか。……あーもうね、わかりました!わかりました!

 この本は、自分たちの会の理論や学説を啓蒙するための本でした!

 これは、添削のための本ではありません。これは添削をネタにして、自分たちの理論や学説を世に普及するための本です。たとえが失礼かもしれませんが、「ヨガ教室」と看板が出ていて、「ちょうどヨガやってみたいと思っていたんだよね」ってその教室に行くと、実は宗教団体で、その団体の教えを普及させるためのものでした、というのに似ています。だとしたら、こうした内容になるのも納得納得でございます。カレー屋かと思ったら、ヨガ教室でした。

 以上が、この本に対する私の読書感想文です。まあ、クセはありますが間違ったことは言っていないし、私のような仕事でない人の方が、むしろ素直に読めるのかもしれません。しかし私は、この本を静かに本棚にしまいましたよ。

〈参考資料〉

『文章添削の教科書』(2021年5月25日初版第5刷発行)
芸術新聞社 刊 渡辺知明 著

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