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【マンガの研究】型を使わないことの問題は 「再現性がないこと」と 「改善しづらいこと」



「やじまくんは、マンガを描くとき、型を使わないよね」


伝わらないネームを描くたびに、編集の佐渡島さんに
言われてきた言葉だ。

「型」

この言葉がいつも、おれを思考の迷路に
落としてしまう。
脳みそがねじれて、絡まってダマになる。
それで、とりあえず放置する。

だって、型って何なのよ?

今通っている、2週間に1回ある漫画の講座、
「コルクラボマンガ専科」では
マンガを描くための型を教えている。

「型」というと、
クリエイティビティを損なうのではないか、
同じような作品を量産する気か、
と思うかもしれない。

それに対して、コルクラボマンガ専科の
ごとう先生がいうには
ここでいう型とは「カレーのレシピ」と
同じようなものだ、という。

つまり
「玉ねぎを炒めて肉を入れて
水を入れて野菜を入れてルーを入れてご飯にかける」
これが、カレーの「型」、だ。

この作り方で作ったからと言って
みんなが同じ味のカレーになるわけじゃない。
型があるから、スパイスの量を変えてみたり、
具を変えたりして工夫ができる。
「型」さえ守れば、とりあえずはカレーになるからだ。

むしろカレーである、ということが決まっているから
オリジナリティ、というものが出る。

例えば、レシピを無視し、
野菜を焼いて、カレー粉と昆布だしと、あと豆板醤と、、、
とを混ぜて作った「謎の創作料理」は、
食べれたとしても美味しい、と
感じづらいだろう。

なるほど、「型」大事。


わかる。

でも、、レシピを見て、作る、
それがそもそもめんどくさくない?
やる気なくならない?

入ってるものとか、大体知ってるし、
適当に炒めてカレー粉入れたら
出来るだろ。

そうしておれは型を使わなくなってしまう。

それで、めちゃくちゃなやり方で闇雲に
作ってしまう。

すると、カレーっぽいルーに
何か野菜らしきものが浮いたものを、
ご飯にかけて出すことになる。

まあだいたいカレーっぽくなってて、
いい感じだ。茶色いし。

それの何が問題なんだろう、と思っていた。
おおよそカレーなんだけど?

確かに、困ることはある、
例えば直すとき。
「なんかもう一つで良くなりそうなんだけど、
何が悪いかわからない」

なるほど。おれも、闇雲に作ったから、
どうしたら良くなるかわからない。
それで、とりあえずターメリックとか足してみる。
違う。良くならない。どんどんスパイスを足したり
肉を入れて、やっぱり良くならないから
鍋の中身を捨てて、最初から作り直そう、となる。

さらに、
「この前のネームみたいに書けるといいよね」
え、この前?どうやって作ったっけ。。
確か、玉ねぎをめっちゃ炒めたっけ?
あ、違う。。

なるほど、闇雲に作って出来たぽいものは、
どうしてこの味になったかわからないし、
もう一回作ろうと思っても、作れない。

あーわかっちゃった。

つまり型を使わないことの問題は
「再現性がないこと」と
「改善出来ないこと」。

レシピ通りに作っていれば、
工程を点検して
「スパイスが多すぎ」とか
「野菜を煮すぎてる」とか
改善するポイントが明確にわかる。

つまり、編集の時に言われる
「型を使わないよね」は
めちゃくちゃに作るからどう直していいか
わからん。

ということだ。

あー納得した。うん、型、使います。





よし、、、、まあ、まずは、自分なりのを。

※考えが整理できたのは、ワタベさんホリプーと雑談して、
型というものの考え方が整理できたから。惑丸さんの理論も間接的にワタベさんに聞けたのが良かった。スペシャルサンクス!

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2/19の日記。

朝は薄いパンケーキにバターと砂糖をかけて食べる。
昼からコルクのシャッフルランチという、社員さんと
混ざってご飯を食べるイベントに出る。
KINKAというお店で炙り寿司とカニコロッケを食べる。
午後はおふくちゃんのネーム。
なんども書くが全然出来ない。

夕方から画力について、学ぶ。

12時過ぎに帰る。奥さんの作ってくれた焼きおにぎりに
味噌をつけて食べる。その後、コーヒーを飲み
風呂に入って寝る。

サポートいただいたお気持ちは、すべて、マンガの材料になる『本』(まんがではなく本)とホラー映画につかわせていただいております。いつもありがとうございます!