短編ホラー小説『あなた』 ~手配師~
前書き
記憶
《・・・ここは・・どこだろう・・・・・・》
あなたは、記憶が曖昧です。
仰向けで寝ていたあなたが、目が覚めてすぐ視界に入ってきたその先にはよくある一般的な蛍光灯が、長年の熱でほんのりと黄色く濁っている天井の景色が目に入り込んだ。少なくとも、自分が馴染んできた実家や自宅の天井風景ではないことだけは間違いない、と記憶があやふやなあなたでも確信はできた。
まだ朝ではないというのが、その黄ばんだ蛍光灯が点いていないのと周囲の仄暗さが物語る。
左右に目線をやると床まで長く続く大きなカーテンが。そしてあなたの足元まで視線をやると、ぐるっと覆うように広がりベッドとあなたを囲っている。
《病院?・・・の、ベッド?》
まだ幼い頃に髄膜炎かなにかで検査入院をしたときの感覚に似ている。空気感や匂い、静けさと非常灯や誘導灯の微かで睡眠の邪魔には全くならない程度の、僅かな光量。それらが当時の記憶と重なりこの場所を定義づけた。
なぜここにいるのかといった最近の記憶はあなたにはない。少し不安になった。と、同時に遠い過去、幼いころ入院したことがあるのと実家の天井の記憶はあるのかと実感をもした。
《なんだ、どうなっているんだ。ここはどこだ。最近の記憶・・・最新の・・・・・・》
将来の夢
「わたしの将来の夢は、世界中で困っている人たちに貢献できるような、そんなやりがいと意義のある職に就きたいです!わたし個人から会社への貢献、その企業が国や世界への貢献へと紡ぐような、正しい影響の連鎖のスタート地点に、わたしは立ちたい!」
あなたは善意と正義感、そして希望の溢れる若者でした。前途があり、キラキラとしたその眼差しに周囲のみんなも前向きになれるような、好感が持てる人です。
暇な休日にはボランティア活動を積極的に行い、ずっとNPO団体(非営利団体)への就職を希望していて、その善意を豪語する言葉はけっして”うわ言”でない意思に満ちています。
SNSでも世界中の貧困や病、迫害を受け苦しんでいる人たちを擁護し応援する発言をすれば、沢山のフォローや反応をしてくれることに喜びと生きがいを感じていました。
有名人や芸能人、世界的なハリウッド俳優が貧困国へのボランティア活動をしている姿に感銘を受けたあなたは、自分のビジョンを見た気がしたのです。
そんな多くの献身的な俳優などをフォローしていき、引用し、自分のボランティア活動も発信していると、あなたの熱意が通じたのか一通のDMが届きました。
そんな内容のDMに、URLも添付されていました。アクセスすると簡易なサイトのトップページへと飛び、簡単な会社概要が乗っていました。よくある企業サイトです。そこに募集欄や問い合わせなどはなかったので、あなたはSNSにきたDMへと返信しました。
このように人に必要とされることがあなたの希望であり、求めていた承認欲求でした。少し怖さも感じましたが、話を聞くだけでもいいかと浮足立っていたのです・・・・・・
《そうだ・・・そう。いきなり、DMがきて・・・わたしは・・・・・・》
面談
すごく丁寧な対応に、あなたは好感触でした。
直ぐに日程と時間、最寄りの駅名をDMにて送ります。するとその最寄り駅に一番近い、駅の裏側にある喫茶店に印の付いたマップのスクリーンショットが送られてきて、そこで担当者と落ち合う手筈となりました。
当日、一応あなたはスーツに身を包み履歴書を封筒に入れその指定された喫茶店へ向かいます。あなたの自宅から駅までは徒歩十分ほどで着く、本当に近くていい立地選びです。
《自宅・・・家・・・わたしは、どんな部屋に住んでいた・・・・・・?》
約束の時間の五分前。あなたはちょうどいいベストな時間に喫茶店前へと到着しました。DMをチェックしてみると、先方からのDMが一通、届いていました。
あなたは初対面の顔合わせなのに失礼、というか図々しいと少し感じました。お互いに外で待ち、一緒に入るのが普通の一般社会人としての流れだと思いましたが、その当時は真夏の炎天下。まぁ仕方がないかとも思いながらドアベルが鳴る扉に手をかけました。
ガチャッ、チリンチリンチリンッ・・・・・・
店内の奥、入口からまっすぐ先の視界に入る隅っこのテーブルに腰かけている男性がスッと立ち上がり、あなたへとお辞儀をします。かなりの高身長でスタイルが良く、まるで喪服かのような黒のスーツでアイロンがしっかりと入ったシャツに身を包み、しなやかな身のこなしであなたの元へとやってきます。
「初めまして。私は高橋と申します。本日はよろしくお願い致します」
高橋と名乗る男は再度お辞儀をし、あなたの返答を待たずに
「こちらへどうぞ」
と、まるでこの店の店員、もしくはボーイかバーテンのように左手を受け手にしてあなたを誘導しました。促され流れるように、先ほどまでこの男が座っていた上座のソファーにあなたは座り、高橋は正面の椅子へと腰かけます。テーブルの上には既に二つのグラスが置かれていまいた。
「コーヒーと紅茶、どちらがお好みですか?」
あなたはとっさに紅茶と答えました。すると右側のグラスをあなたの目の前へと差し出す。高橋は残されたもう一つにグラスを自分の方へ。
「ミルクかレモン、シロップは居りますか?」
テーブルの中央には一つのカットレモンと、銀製の容器にはガムシロップ、白い陶器にはミルクが入っていて、あなたは若干の汗ばむ体を少しでも冷まそうと、レモンを手に取り紅茶が入っているグラスへと絞り入れました。
十分に冷えたレモンティーは少し火照った体を内面から、まるで浄化されるかのように食道から中心部の胃へと流れていく爽やかな清流を感じます。
あなたは、この男の段取りの良さに関心して心を少し開きました。この男はあなたが到着するまでに両方を注文していて、そのどちらも口にしなかった訳である。優雅にも感じる動作で、高橋もあなたに選ばれなかったコーヒーを少し舌鼓む。
《男の・・・顔。あれ?・・・お父さん??・・・あれ?ミチオ??》
・・・ミチオとは、だれ?
《小学校の・・・親友・・・・・・
え?・・・だれ?話しかけてくるのは・・・・・・?》
・・・・・・・
同室
目をつむり記憶を辿っていたあなたですが、頭の中がボーっとし混乱しています。まるで誰かが自分の頭の中で話しかけているような・・・違う自分が、自分に話しかけているような・・・・・・
ハッキリとしない思考の中で、尿意をもようしてきたあなたの脳内はそれで支配され、ベッドから降りてカーテンを開けてトイレへと向かいます。その時に部屋は個室ではなく大部屋であることに気が付きました。そうだ、この天蓋カーテンの仕切りは大部屋ならではだ・・・と。
あなたの寝ていたベッドは入口側で、人の気配が全くしなかったのでほかは誰も居ないと思いきや、窓側の一つ、ベッドの天蓋カーテンが閉められていることに少し不安を感じました。普通では、この記憶がない状態でほかにも人がいることに安心するのですが、あなたはなぜか不安と恐怖を感じています。
夜の病院はだれでも怖く感じるものですが、そんな一般的な感覚ではない。もっと個人的な、あなたの記憶に関係してそうでした。
あなたは尿意も忘れ、その天蓋カーテンで仕切られた小さなプライベート空間を少し覗いてやろうと思いました。
今日は満月なのか、大きな窓からは煌々とした月光が差し込み視界には問題が無かった。あなたの今の感情は恐怖もありましたが、先ずはここがどこなのか。自分とこのカーテンの奥にいるであろう人の経緯は何なのか。どうやってここに自分は来たのか。なにか知っていることがあれば聞きたいという防衛本能の方が優先的でした。
息を殺しながらカーテンが閉められているベッドへ向かうのですが、ヒヤリとした冷たい床が、裸足であるあなたの足裏から少しづつ体温を奪っていく。なんだかそれと同時に勇気も奪われていくかのようだった。
目前にカーテンが差しあたる中、戸惑いという頭の中の危険信号が呼びかける。
《バレたら、どうなる?》
そもそも、勝手に覗くなんて失礼極まりない話です。どうするかずっと悩んでいましたが、あなたは常識的な人でした。
あの~・・・すいません・・・・・・
と、小さな声であなたは一声かけましたが返事はありませんでした。
多分、こんな夜更けなら普通は寝ていますし、起きていたとしてもこんな非常識な人物へは返事すらしないかもしれない。
あなたは諦めてトイレへと目的を切り替えました。
用を足しにいく道中も、別室やナース室にも全くといっていいほどに気配がありませんでした。まるで無人かのように・・・機械音や空調音だけが聞こえてきて、この施設が機能していることだけは分かります。
用を足し終え、あなたは手を洗います。目を覚まそうとそのまま顔を冷水で洗い、顔を上げ鏡を見ると
《だれだ?!・・・え?》
・・・・・・
再開
あなたは、記憶が曖昧です。
仰向けで寝ていたあなたが、目が覚めてさっそく視界に入ってきた先、それは、よくある一般的な蛍光灯が長年の熱でほんのりと黄色く濁っている天井の景色が目に入り込んだ。少なくとも、自分が馴染んできた実家や自宅の天井風景ではないことだけは間違いないと、記憶があやふやなあなたでも確信はできた。
あなたは記憶を辿ります。
高橋というスタイリッシュで高身長な面接担当者との面談で話がはずみ、あなたは自分の熱意や想い、そしてちょっとした過去の思いで話まで繰り広げ、高橋はあなたの話を静かに相づち、確信を得た質問を返しながら気分のいい時間を過ごしました。
そして、約一時間も何気ない会話を続けていると
「そうですね、では、私は丁度このあと仕事があるのですが、よければご一緒に同伴しませんか?お時間に余裕があればで結構です。これから、もしあなたが私どもとお仕事を共にしていただけるのであれば、どんな仕事内容かが分かり易いかと存じますが」
あなたにとって、願ったり叶ったりの提案でした。正直、今回の話を貰った時点でも自分の今のスキルや経験、知識でなにが貢献できるのか、自分に何ができるのかが一番の不安でした。特に医療知識等があるわけでもなく、外国語が堪能なわけでもないのに。
あなたは二の返事で承諾しました。すると高橋はおもむろに立ち上がり、あなたもそれに続きました。
喫茶店からそのまま外へ出てきました。あなたはサイフを片手にお会計へと取り出していましたが、あなたも高橋もお支払いはしませんでした。不思議に思い、問いかけましたが
「ああ、大丈夫ですよ」
と、微笑みかえされるだけでした。きっと注文時に支払いも完了していたんだと、あなたはまた関心し高橋の人柄に惚れこみました。
駅の駐車場へとやってきたあなたは、高橋が乗ってきたであろう白の社用車の助手席へと誘導され乗りこみます。
「となりの〇〇駅まで行きます」
そんなに遠くまで連れていかれるのではないことを聞き、少しだけの緊張も解けました。
高橋が言う隣駅まで到着し、ここは専用駐車場はないためコインパーキングへと高橋は車を停めます。そこから少し駅の方へと歩くと行列が出来ているエリアが見えてきました。
なにかの会場のような場所に白の仮設テントが二つ。長テーブルが数個置いていてそこには寸胴鍋が点々と設置してある。
何やらいい匂いがしてきます。なんだか懐かしい匂いです。
そこはどうやら「炊き出し」を提供している場所でした。並んでいるのはホームレスや生活困窮者の列だったのです。
高橋はその列に並んでいる人たちをじっと見つめていて、まるで品定めをしているみたいでした。
すると狙いを定めていたように、炊き出しを受け取って帰路へとつこうとしているホームレスっぽい風貌の男性へと声をかけに行きます。
あなたは少し離れたところ、視界の邪魔にならない距離まで下がって見ていて欲しいと言われていたので、その指示に従いました。会話までは聞こえなかったのですが、高橋は優しそうな表情でホームレスの肩に手を置きながら、傾聴姿勢で会話を進めています。
すると、男性は高橋に何度もお辞儀をし、二人とも笑顔であなたの方へとやってきました。
「さぁ、行きましょう」
あなたは何がなんだか分かりませんでしたが、とりあえず二人の後を追うように着いていき、また社用車へと乗り込みました。ホームレスは後部座席へ座り、なんだか顔色も悪く体調がよく無さそうでした。
病院
「このまま、ここで待っていてください」
高橋にそう言われ、あなたは指示に従いました。高橋とホームレスの二人が到着した建物の中へ入っていく辺りで、あなたは車の外へ出て大きく深呼吸しました。どうしても外の空気が吸いたくなったからです。
その場所は、距離としては約三駅ほどの時間を走った所の、あなたの知らない『病院』でした。町医者ほど小さくもなく、大病院でもない。病院名の書かれた看板は破損と汚れで分かりません。しかし看板以外はキレイな建物の清潔的な普通の病院でした。
そのまま車の外であなたは高橋を待ちました。駐車場があるのに路上駐車をしているのは直ぐに戻ってくることを意味しています。車を歩道へと寄せて停めた場所にちょうど自動販売機が置いてあったので、あなたはコーヒーと麦茶を買いました。先ほどのお礼の意味も込めて。
程なく、高橋らしき人影が病院の裏出入口から出てきました。あなたは車の助手席へと先に戻ります。
「お待たせしました」
高橋は颯爽と車を出します。あなたは信号待ちの所で買っておいた飲み物を出し、喫茶店で高橋が行った真似をしてどちらが良いかを聞きました。
「ああ、ありがとうございます。そうですね、ではコーヒーを頂きます」
そう言って、コーヒーをホルダーへと置きます。
コーヒーを飲むことはなく、高橋は運転をしながら先程の経緯を説明してくれました。
「さっきの人は身寄りのない路上生活者の人なんだよ。住所も無ければ保健もない。当然、高額になる治療費も払えないし薬も買えない。そんな彼らが怪我をしたり、病気になったりしたら、どうなると思いますか?最悪の場合は、とことん苦しんで人知れず死んでしまう。僕たちはそんな人を探し出して、余裕のある病院へと連れて行ってあげる仕事なんですよ」
あなたは驚きました。たしかにそんな人達が、世界ではなくこの平和な日本で、確実に苦しみ困っている人がこんな身近にいたことに気づかなかった自分と、そしてこの高橋という人たちの素晴らしい仕事に、感動と自分の不甲斐なさへとの驚きでショックを受けました。
「そっちの、窓も開けてもらえませんか。少し換気しましょう」
あなたは道中、高橋へ感動したことと、是非、御社で働きたいという意思をハッキリと伝えました。この業務内容であれば間違いなくあなたでも可能だし、ずっと望んでいた職種だと確信しました。
初日
勤務初日、細かな業務内容のマニュアル受け取り、給与や保障の話などの説明は高橋ではありませんでした。その担当は女性の社員でした。その人は・・・・・・
《あれ?・・・さっきトイレで見た。
鏡に映った姿が自分の顔じゃなくて・・・その人に似ている?》
・・・・・・
あなたは、記憶が曖昧です。
黄色く濁った蛍光灯。
大部屋の天蓋カーテン。
同室にはもう一人の入院患者。
目覚めてからずっと気になっていた同室さんへ、挨拶へ行きましょう。外は明るんできました。小鳥の囀りが朝を知らせてきています。
窓から外を見に行くフリをしましょう。今度は室内用のスリッパを履いて。足が滑ってスリッパをカーテンの下から侵入してしまったことにして、少し顔を覗かせよう。
さぁ。
外の太陽光は瞼裏を痛ませてきます。
効き足のスリッパを、軽くスライドするように滑らせ・・・・・・
ああ、すいません、スリッパが・・・・・・
白々しくもあなたはカーテンの隙間、端から身を乗り出してスリッパを追うようにして中を確認しました。
そこには誰も寝ていませんでした。が、先ほどまで誰かがいたように、シーツは乱れていて点滴もそのまま。何らかの電極線やらが放置されています。
あなたはそのベッドのシーツの中へ手を差し入れると、少し温もりが残っていました。ゴミ箱の中もチラリと見ます。点滴の先の、注射針のような物とブリスターパック(blister pack)飲み薬の残骸が数種類・・・・・・
少し拍子抜けしたあなたは自分が寝ていたベッドへと戻ります。いずれ朝食か、朝の何らかの薬かを持って看護師さんがやってくるだろうと思い待つことにしました・・・・・・
懸命
あなたはある程度、どんどんと仕事の段取りを覚えてきました。一日に一人、症状は外傷から精神的なものまで何でもいいので、提携している病院へと運べばもうその日の仕事は終了してもいいのです。しかし、あなたは熱心に頑張ります。一人でも多くの人を救いたい、その一心で一日に二、三人を運び込むこともありました。
ホームレスなどの生活困窮者たちとの関係性も築かれてきていて、何人も顔見知りにもなり協力してくれる友人も出来ました。そんな協力者の一人、いつもボランティアで配給担当のおばさんから
「たまに、男の子が一人で炊き出しを取りにくる子がいてるんだけど、大丈夫かしら、あの子・・・よく、片足を引きずってるんだけど。・・・ねぇ、その子、あんたのとこで診てあげられないかなぁ?」
あなたはそんなことを聞くと黙ってはいられませんでした。すぐにその子がいつも来る配給場所のスケジュールを調べ、その日は開けておくか、近場での仕事にして見かけたらあなたの元へと連絡をくてくれるようにと何人かにお願いをしました。
その日は連絡を待つと同時に、単発などの仕事を斡旋してくれる近場のレンタルスペース会場へと足を運びました。単発バイトは肉体労働や危険な仕事が多いため、身体が不自由な方やその後遺症を持つ者も少なくないのです。
他にも、低価格な家賃で寮として住み込みしている人のなかではアルコールや薬物の中毒患者が多く、実は治したいが一人という環境と誘惑も多いために止めたくてもやめれない人も多い。
そんな人たちも、救いの手を差し伸べて上げれる素晴らしい活動なのです。
会場から、恐らく仕事に有りつけなかったのか、うな垂れながら出てくるおじさんに声かけました。
その人は以前に現場工事の仕事中、肩を強打しおそらく脱臼と骨折をしたらしい。そのまま安静に放置していても治らず、らちが明かなかったので偶然、別の現場で一緒になった元柔道経験者の人に治してもらった。が、何週間も放置していたからか、関節の戻し方が悪かったのか、後遺症で腕が上がらなくなったそうです。
それが原因というのもあり、日雇いバイトすらも可能な仕事が制限されていて困っているというのです。
ホームレスのような人たちを説得する場合、みなさん口々に言う一番のネックは治療費と「今の食料」
いつもは今日食べれる食事に困っているなら、入院となれば当然、治療費は無料ですし食事も朝昼晩と三食、出ますよと言えばみんな喜んで着いてきてくれます。
しかし、その方、名前は・・・・・・
《・・・清水・・・さん?》
そう・・・清水と言う、中年のおじさんはなかなか首を縦には振りませんでした。
清水は元暴力団関係者でした。小さいながらも頭としての組を持たせてもらえるほどの実力者でもあったのですが、敵対組織からか、はたまた本家か直参か、上層組の裏切りか。濡れ衣を着さされ組からも警察からも追われる身となり、そのため、警戒心も強く隠れ潜む必要があったのです。
あなたは親身に、真意に、熱心に清水と会話をしました。何度もなんども、断られても真っ向勝負にあなたの気持ちを伝えました。すると
「・・・・・・若ぇの、分かったよ。しつけぇなぁ。あんたみたいなのは珍しい。しかも若いのに・・・名刺をよこせ。気が向いたら連絡してやるよ」
清水はまだ現役時代の”クセ”が残っているような、絵に書いたような極道でした。恩を着せることが専売特許であり、着せられることは極端に嫌うものです。
とりあえずその場はそれで引き下がりました。なぜならポケットの中の携帯電話が胸元で震えていたのです。
虐待
案の定、連絡は例の「男の子」の件でした。
あなたにお願いしてきたボランティア活動をしている給仕係のおばさんから、また足を跛行(引きずって歩く)しながら歩く子を見つけて、現在引き留めている状態のようです。
あなたは急いで配給会場へと向かいました。
現場へ到着し、再度折り返し連絡すると近くのレストランチェーン店でケーキをご馳走しているらしく、社用車をUターンさせます。
数分で到着したあなたは、息を切らしながら笑顔で自己紹介をします。
その後、改めてあなたはその子のことを色々と聞きました。名前はアキト君。なぜその子は配給を並びにきているのか。親はどうしているのか。足はどうしたのかなど・・・・・・
親は仕事もせずにほとんど育児放棄に近く、定期的な虐待にも合っているそう。何度も児童養護施設や児童相談所の人がアキト君の親へ進言しに行っていて、その都度、反省と謝罪を繰り返している。
強制収容が出来ないのは、アキト君の親もなんらかの精神疾患を持っているらしく、その疾患により親子共々、施設へ収容もできずアキト君だけを引き離すことも難航しているのだそう。アキト君も普通の学校での教育をした方がいいという見方もあり、毎回、涙ながらに懇願し、反省もするので改善の余地もないわけでもないらしい・・・・・・
あなたの信念が燃えました。
この子だけではない。アキト君の親も救えないかと奮い立ち、アキト君の手をとり親がいる家へと一緒に向かいます。
あなたはまた、必死に説得しました。
お母様までは連れてくることは出来なかったのですが、なんとかアキト君の足だけでも治療してあげれないかと頭を下げ、その承諾だけは取れました。
「まぁ、全部が本当にタダだっていうのなら・・・それに、私もこの足が速く治って欲しいと願ってますし・・・・・・」
その言いようは、まるで雑用係が不自由で身の回りの家事ができずに困っていたと言わんばかりでしたが、あなたは感情を押し殺し頭を下げ続けました。ずっと部屋の中には入れてもらえず玄関先で・・・・・・
そのままアキト君を、まるで保護するような形で車に乗せて適正な病院へと送り届けました。着替えや必要なものを持参させてあげたかったのですが、お母様へその意向を告げるとこれでもかというほどの怪訝な表情で睨みつけてきたので、あなたは直ぐにこちらで用意も出来ますので大丈夫ですと、つい言ってしまいました。
《そう・・・まだ入院するかどうかも分からないのに・・・・・・》
刺青
よくよく考えてみるとあなたはすでにその献身的な仕事ぶりで何十人と、なんらかの病人を見つけては病院へ送り続けていますが、その後の話は何一つ聞いていませんでした。ずっと一方的に病人をお届けしているだけです。
アキト君を届けた病院の担当者には、事情を説明してあなた自身の責任感から、結果を連絡するようにと伝えました。
そのアキト君との一件が落ち着いたころ、非通知設定の電話が入ります。
《清水・・・さんから・・・・・・》
そう、清水からの電話だった。
「よう。まだ『崇高』なお仕事やってるか?」
皮肉をこめた言い方だった。
・・・その時にどんな会話をしたか、”また”思い出せる?
《ええっと・・・病院の指定と・・あと医者の指定・・・・・・》
・・・どこのだれ?
《・・・分からない・・・・・・》
・・・そう。
・・・で、清水はこう答えた。
「わしが今、伝えた病院、そこがあんたの言う団体の中に所属していて、そしてその医者がまだおるんなら、あんたの言う通りに連れて行かせてやる」
そう言われ、あなたは探しました。
しかし、清水がいくつか指定してきた病院の一つは該当していましたが、医者の方は居なかったのです。その旨を清水に伝えると
「う~ん・・・そうか。また連絡する」
といってまた清水の件は保留となってしまいました。
それから数週間が過ぎたころ・・・・・・
また非通知設定の電話が入り
「おう、わしや。いったん、会えるか?」
そう言われ、指定されたBARへ向かいます。
そこの外観はBARですが、中のシステム、というかママさんのような人がバーテンとして居てるので、それはまるでスナックでした。
「いらっしゃい」
ママさんが愛想よく微笑みかけます。
「・・・おう、ここだ」
カウンターの一番奥に、清水は鎮座していました。動く腕の方を高く上げて手招きをしています。あなたは彼の元へと行くと同時に清水は二卓しかないテーブル席へと勝手に移動しました。ママさんは特に注意をするわけでもなく
「お飲み物は何にいたしますか?」
と聞かれ、あなたはとっさにウーロン茶を注文しました。
清水が座るテーブルの正面へとあなたは座り、すぐに体調を確認します。
「こいつは、まだまだこのとおりさ」
そう言って、顔は余裕のある笑顔を作りながらも、その右腕は九十度すらも上がっていません。
その時、季節はもう春先でしたが外はまだ少し肌寒く、室内では丁度いい温度か、人によれば長袖などは少し暑いぐらいの時期でした。清水はすでにお酒をそこそこ飲んでいる状態のようで、体温が上昇しているのか上着のジャケットは先ほどのカウンターチェアーに置いたまま。今は半袖で、その両腕には手首までの刺青がびっしりと施されていました。
あなたはそこで一瞬ドギマギしながらも、右腕の刺青を見てなぜか安心感に包まれました。その理由は、あなたが憧れている女優が背中に入れているタトゥーと同じ『サクヤンタトゥー』の『ハーテェウ』を施していたからです。
「ああ、これか?わしのじじいかそのまたじじいかがタイ人らしくてな。背中の紋々は”親父”の紹介で連れられた彫り師にも勧められたのだが、それ以外の場所は自由に好きなの入れていったんだ」
そういって、少し自慢げに見せてくれました。あなたは特に刺青を入れたいというような欲求はありませんでしたが、このサクヤンタトゥーだけは某女優の影響で少し調べていて知っていたのです。その戒律の一つである
『酒や薬物といった類を断つ』
というものがあり、あなたは怒られるのではないかという心配もせずに勢いで聞いてしまいました。そのタトゥーを見て一気に親近感が沸き、テンションも上がってしまったためです。
「おお、あんた、よく知っているなぁ。そう、これは”本物じゃない”。わしはいずれ、本物を入れにタイの寺院にいくんだ」
《そう・・・タイの・・・ワット・バンプラー・・・・・・》
・・・・・・
清水
「・・・で、わしの条件はとりあえず以前から指定した病院にしか行かない。そしてそこでわしが医者を決める。それでいいなら、連れて行ってもいいぞ」
あなたは少し喜びながらも、戸惑いました。医者の選定まではあなたの知る由もない範疇なため、確実な回答ができないからです。しかし、特に問題はないはずと勝手に判断しました。もしだめなことがあるならば、そこでこの話は無かったことになっても仕方がないという気持ちで。
「じゃ、煮るなり焼くなり、好きにしな」
清水はそういって笑顔でBARを出ようとします。
「あら、もう出頭する気になったのかい?」
ママさんがグラスを拭きながら声をかけてきました。
「バカ、冗談が過ぎるぜ」
ママさんと清水との去り際のやり取りをあなたは苦笑いで聞きながら、ママさんに軽い会釈をしました。
以前の高橋のときと同じく、お会計はしなくていいのかとまた戸惑いました。そして清水とママさんとの関係についても・・・・・・
あなたと清水は、指定した病院へと到着しました。
ナビを入力した時点で分っていたことですが、車で約二時間ほど走らせ、他県まで移動してきました。道中、比較てき無口な清水はなにか会話をすることもなく、あなたが何かと気を使い先ほどのサクヤンタトゥーについての話をしていましたが、共通する話題もなくなるとホロ酔いだった清水はすぐに寝てしまい、そのまま到着してしまいました。
・・・その時、ほかは本当になにも喋っていないの?
《ああ・・・そうだと、思う・・・・・・
だから、あんたは誰なんだ??》
・・・・・・
「・・・ああ、着いたか・・・まぁ、普通に段取ってくれや。後はわしがうまいことやっとくでな」
あなたはなんだか不安を感じます。でも、この清水という男もあのタトゥーを入れている。絶対に悪い人ではないという根拠のない確信があなたにはありました。
いつも通りに案内をし、いつも通りに手続きをし、看護師に誘導される。清水は酔いも覚めていないまま、まだ眠気眼な状態でまさに千鳥足。心配しかなかったあなたですが、今はとにかく仕事が完了し、いつものように清々しくも気持ちのいい心中で帰路につきました。
逆恨
ある日、偶然ですがあなたは高橋と仕事中の道端で出会いました。
「・・・ああ、お久しぶりです」
高橋は相変わらずスタイリッシュに挨拶をしてくれました。
「頑張っているそうですね、お噂は聞いていますよ。私がスカウトして紹介した甲斐があり本当にうれしいです」
あなたは、直接的にいまの仕事について褒められたのも初めてだったので、心底、表には出しませんが喜び歓喜しました。
「・・・ああ、そうだ、今から私は新しいルートを任されたのですが、よかったらあなたも同伴してみますか?『神の救済』の手を、あなたももっと広げられるかもしれませんよ?」
テンションが上がったあなたは断る理由などは皆無に等しく、子供のようにはしゃぐ気持ちで着いていきました。
あなたの社用車は駐車場に停めたまま、高橋の車へと乗りこみます。が、その車はいつもの普通車では無くワゴン車でした。なぜか後部座席とは遮断されていて、何かを運ぶ用に改造されていた。
到着した場所は、またなんらかの「施設」でした。第一印象としては、病院のようでもあるし、拘置所のようにも見えます。高橋の後に続き、中まで案内をしてくれますがここが何なのかは教えてくれません。
「ああ、どうも初めまして。高橋さん・・・ですか?」
感じのいい口調と表情の男性が、しかし疲れ切っている目をしながら二人に声をかけてきました。あなたは会釈だけを返します。
「はい、そうです。すいません、少し遅れてしまいまして誠に申し訳ございません」
背筋がしっかりと伸びた敬礼(お辞儀)を高橋がするので、あなたも反射的にも焦りながら同じ動作をしました。
「あれ?そうでしたか??いやいや、気にならない程度の時間じゃないですか~止めて下さい」
感じのいい男性は笑顔で頭を搔いている。時間を見ると午後二時三分。恐らく三分の遅れをここまで謝罪しているのかと、当たり前だがまた関心をした。
「ま、ま、とにかくこちらへどうぞ」
そう言われ、監視カメラのモニターが並ぶ入退室管理システムの部屋へ通された。そこで三人はお互いの名刺交換と挨拶をして
「では早速いきましょう」
建物内の案内をされながら、佐藤と名乗る感じのいい男性は世間話に花を咲かせます。
「いやぁ、この度は本当に感謝いたします」
建物内が病院の雰囲気から拘置所の感じに切り替わるような通路にさしかかると、佐藤が今回の目的を話し出します。名刺には
管理会社で、特殊専門という職種がよく分からないまま
「もう我々でも手が付けれないほどの”事態”でして・・・・・・」
まるで映画で見るような、まさしく『独居房』が並ぶとある一室の前で佐藤は立ち止まる。ちょうど目の高さにスライド式の小窓があり、そこを開けて中を確認してから高橋にジェスチャーで中を見るように促す。
「彼は、『金田 俊明』 28才。殺人罪で刑事告訴されたのですが、心神喪失で精神病棟へ収容されていました。雑居での生活は当然のように不可能で、独房ですら拘束着なしでは自傷行為をある時から止めなくなり、※ベゲタミンの申請をしているのですが、なかなか許可が下りず、ずっとこのままで・・・・・・」
高橋があなたにも見るようにとサインを送る。
「告訴された事件はなんだったのですか?」
高橋は、金田が逮捕されたきっかけを質問した。
「・・・突然、歩道橋の上から人を投げ落としたんです」
小窓から見えるのは、ベージュ色の拘束着に包まれストレッチャー(担架)に縛られている金田の下半身しか見えませんでした。あなたは佐藤へと視線を変えます。
「その被害者は金田と全くの無関係、接点は一切ない”無差別”の犯行でした。その歩道橋とは、街中によくある渡るためだけの小さな橋などではなく、駅前にある複数の大きな商業施設の入口やバス停へと繋がるような、人通りも下の車道も交通量が活発な、四車線もある大通りでして・・・被害者は落ちたあと、三台の車にも轢かれ無残な状態で即死・・・車道の方も大混乱。巻き込まれ事故で乗っていたドライバーなど二名重体。その後、病院にて死亡。ケガ人は四名、うち一名は植物状態です・・・・・・」
あなたはすこぶる怪訝な表情をし、嫌な気持ちになりました。
「多くの被害者と目撃者がいる中、金田は『復讐だ!』『ざまぁみろ!』と、警察に確保されたあとも訳が分からないことを叫んでいたそうです」
接点もなく無差別なのに、復讐・・・あなたには理解が及ぶことはありませんでした。
「・・・なるほど。で、今回、我々に来た依頼はその”被害者ではなく”加害者である彼の方、ということは・・・・・・」
高橋は何かを悟ったように言いました。
「・・・はい。その巻き込まれた被害者の遺族からの『依頼』でもあります。その遺族はまぁまぁの権力者でありまして・・・金田を”正式に治して真っ当とした『償い』をさせて欲しい”、と」
「・・・・・・」
高橋はもう一度、小窓から中の金田を覗きました。
輸送
佐藤の仲間である管理会社の人間が三人追加され、金田はストレッチャーのまま運び出されました。高橋の車が今回ワゴンだった意味がこの時点で理解と納得し、あなたはその後も金魚の糞のように着いていきます。
やっと金田の顔を見ることができましたが、ずっと拘束着を着せられたままで、睡眠薬を飲まされているのだろう。静かに眠っています。口には革でこさえた猿ぐつわが咥えられていて、眠っている表情からは先ほど聞かされた話のように狂暴な印象はまだなかった。
「この拘束衣と担架、お借りしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、このまま行ってください。本当に危険なんで、自由になりそうな場所では解かない方がいいですから」
高橋は最敬礼で佐藤にお辞儀をしました。
「ありがとうございます。必ず、お返ししますので」
あなたはまた、遅れてお辞儀を続きます。
「いつでも大丈夫ですからね」
佐藤は最後まで感じがよかった。この厄介者の金田を追い出せるのだから、嬉しかったのかもしれない。
あなたはワゴンの後部座席、といっても座席は全て取り外されていて、本当に救急車の患者がストレッチャーで運び込まれるような空間になっている。内部に入り込み、中から金田の頭側を担架ごと引っ張り上げた。高橋は下から押し上げるように持ち上げ、ストレッチャーの足は折りたたまれた。
高橋は常設されている手すりにガッチャと呼ばれるラッシングベルトをストレッチャーに通しきつく締め、その後に、あなたは金田の体を固定していった。高橋は最後の挨拶をしに佐藤の元へと戻っていった時、あなたは金田と目が合いました。
その目はめいっぱい見開き、まばたきをすることもなくずっと睨むように、まるで脳裏と網膜に焼き付けているかのごとく、赤く血走り恨みが籠った視線にあなたは驚くと共に背筋が凍り付きました。
すごく嫌な気分でした。実害も無いしただ見られただけですが、ただあなたも何もしていないのにあんな目で見られることに、気分はよくありません。
先に助手席へと戻り、震えているあなたに挨拶を終え戻ってきた高橋が
「・・・大丈夫。あいつはちゃんと『浄化』されるから」
あなたは意味はわかりませんでしたが、その言葉には不思議な安心感がありました。
再送
「ああ、あんた・・・ああ、探しとったぞ」
あなたはよく炊き出しをしている三角公園でいつものように手伝いながら仕事をしていました。その時、弱々しい声で老人に話しかけられたのです。
「すまんが、また連れて行ってくれんか・・・ここが腫れて痛いんじゃ、血も混じってきてのぅ・・・・・・」
そう言って、老人は下腹部をはだけさせ”ストーマ(人工肛門)”の袋を見せてきた。その中身は赤黒い廃絶物と、腹部は腫れあがり血がにじみ出ている。あなたはその人に少しだけ見覚えがあった。この仕事をやり始めてた当初に、あなたが手配した患者のようだった。
急いで車へと乗せて、一番最寄りの提携病院へと向かいます。
病院へと到着し、ずっと痛そうにしている老人に肩を貸しながら、何とか手続きを完了させました。
上着の裾に、おそらく先ほどの老人の血だと思われるものが付着しているのに気が付き、あなたは病院のお手洗いに行きました。
手洗い場で、とりあえずギリギリまで薄められたハンドソープで汚れを擦り落とし、一息つきます。鏡で自分の顔を見ると・・・・・・
《・・・だから・・・あんたは誰なんだ!》
・・・・・・・
現実
《いつも鏡に映る顔は、自分じゃない。だれなんだあの女性は・・・・・・》
・・・・・・
《・・・そうだ、たしか・・・最初、規約やマニュアルを教えてくれた・・・確か秘書の・・・・・・》
あなたは、記憶が曖昧です。
また病院でのベッドで目が覚めました。もう何度目の直管蛍光灯でしょうか・・・・・・
《もういい・・あんたもだれなんだ・・・・・・》
・・・同室の患者が、今度は居ます。
《え?・・・何言ってるんだ、あんた》
見なくていいのですか?・・・いや、あなたはすでに”見ている”・・・・・・
《???》
老人が、あなたを待っていますよ。
《・・・そんな・・・気がする・・・そう、確か・・・・・・》
そう。あなたはまたスリッパも吐かずに窓際の天蓋カーテンを開けに行きます。そしてまた夜に目が覚めましたね。暗いので気を付けて。よく見て。そこで、三度目の再会をしますよ。
さぁ、カーテンを開けて。現実を見て。
《あ・・・え?》
あなたはそこで、顔見知りの老人にまた会いました。右脇に松葉杖をつきながら、糞尿が入った袋がパンパンに詰まっているパウチ(ストーマ袋)を左手に持った、あなたが最寄りの病院に送り届けた老人がベッドの脇に立っていました。
「・・・あ”・・・あ”あ”・・・あ”あ”あ”あ”あ”!」
老人はあなたを目撃すると、驚きと怒りに満ちた眼差しと奇声を発しながら、ヨロヨロと近づいてきます。左手に持っていたパウチは床へと投げ捨てられました。
あなたは吐き気を催しました。それは臭いではなく”老人の腹部が無かった”のに気が付いたからです。
左腕を伸ばしながら、あなたに掴みかかろうとしてきます。腹部は腰の脊椎がむき出しで、肉があれば脇腹にあたる部分には鉄柱が前後左右に計六本。かなり大掛かりな器具が装着され、背後に四本、前に二本で上半身を支えています。
老人は気が急ぎすぎてしまい、バランスを崩して前方へ、あなたの目の前へ倒れこんでしまいました。
「あ”あ”!あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!」
倒れたまま、それでも老人はあなたへ掴みかかろうと襲ってきます。
《なんて・・・なんてことを・・・・・・》
あなたは混乱しました。現状の衝撃もありますが、自分は今までやってきたことの意味と意義が不安に駆られました。
とにかく、その場にいたくない一心で、部屋の外へと逃げます。
前回、トイレへと行ったことのあるフロアとは構造が違っていました。
《違う・・・病院?》
そうです、違う病院です。廊下の塗装や手すりの木の素材なんかが違いますね。そんなところに気が付くなんて、意外と冷静だったんですね。
あなたはエレベーターを発見します。そこで気が付くのですが、ここは地下二階でした。急いで上のボタンを押し、背後を気にしながらボタンを連打します。そんなに焦らなくても、あの老人は走れませんよ。
《うるさい!》
十メートルほど先の廊下、曲がり角で老人の這いずる手が見え、顔が見えた瞬間
・・・チーーーン
エレベーターが到着しました。すると中から降りる乗客が居て、急ぐあなたの二の足を踏まされました。
《・・・!!高橋・・・さん??》
・・・いえ、違いますよ。あなたにはそう見えた・・・ああ、そう記憶しているのですね。よく思い出してください。高橋はこんなにふくよかな体格でしたか?
《ああ・・・たしかに、どうみても百キロは超えていそうな大男だ》
その大男は、人が二、三人は入りそうなグリーン色の大きなランドリーワゴンカートを押してエレベーターから出てこようとします。あなたは横に避けて捻るようにエレベーター内部へ入りました。
その時に見えたランドリーワゴン内部に、あなたは驚愕します。中は人の腕や足、あらゆる各パーツが入っていました。大男は何事もなかったかのように過ぎ去っていきます。
あなたは手足と、胃も震わせながら一階へのボタンを押しました。エレベーターが上へと上がる数秒間、あなたは色々と思考を巡らせます。
《ここはなんなんだ?ヤバい・・・とにかくヤバい・・・そして、さっきのは・・・・・・》
そうです。あなたは、見つけてしまいました。不要になった”患者”の各パーツの山の中に、清水の腕がありました。判別できた理由は?
《サクヤン・・・タトゥー・・・・・・》
そうです。清水が彫っていたタトゥーと一致しますね。手首から肘の間、前腕に入ったあなたの大好きな由来のある刺青。
《そんな・・・清水さん・・・・・・》
・・・チーーーン
一階へ到着しました。あなたは急いで出口を探します。
《まさか・・・そんな・・・・・・》
今はそんな悲観的なことを考えている場合ではないですよ?
暗く不気味な病院の中。出口らしい大きなガラスの自動扉を発見し、そこへ駆けます。その時、同じように出口へと向かう人影を見たのよね?
《ああ・・・そう・・・片腕を無くし、血だらけの清水さんだった・・・・・・》
清水は何人かの医師や看護師を片腕だけで殺傷させ、逃亡を図った。まだ切断した腕は手術をしたばかりだから、安静にしておかないといけないのに・・・・・・
あなたはフラフラだった清水を助け、一緒に逃亡をした。
清水の血だらけの姿は、ほとんどが返り血だ。
あなたがスムーズに出れたのも、清水が別の場所で暴れて職員のほとんどが避難していたからよ。
その後、あなた方はどこへ行ったの?清水の居場所は?
《・・・思い出せない・・・・・・》
・・・・・・
心配
「あんた、ちょっと。あんた!」
振りかえるとそこにはアキト君の母が凄い形相で睨みつけてきました。
「あんた、うちの子はどうなったの?!なんの連絡もないのはおかしいでしょ?!」
アキト君を病院へ届けてから、約二週間。あなたのとこにも連絡がないことに気が付きます。このときは金田と清水の件でバタバタとしていて、確認が疎かになっていたのもありました。
「あんたに貰った連絡先に電話してもまったく繋がらないじゃない!どうなってるの?!」
あなたはそんな馬鹿な、という顔で自分の携帯から電話してみます。すると、確かに繋がりませんでした。アキト君の母には自分が責任を持つと言っていたのに疎かにしていたことを素直に平謝りし、届けた病院へと一緒に行くことになりました。
道中、ずっと小言と不満を、いや、罵声を浴びせられながら、時には軽い平手打ちも食らいながらも運転をしていました。
病院へ到着するや否や、アキト君の母は大声で
「アキト!あたしの子を返しなさい!」
と叫び続けます。あなたはそれをなんとか制止させようと頑張るのですが聞く耳どころかこちらに見向きもしません。何人か他の患者や関係者がこちらを見てきます。あなたはずっと謝り続けながらなんとか落ち着いてもらおうと必死でした。
すると
「お客様、どうされました?」
当院の責任者と名乗る女性が話を聞きに来ました。
《・・・あれ。またあの女性だ・・・・・・》
・・・・・・
《この人は誰だ・・・鏡で自分を見ようとした時にも、最初の説明の秘書・・・そして、責任者?・・・わたしは・・・あんたか?・・・わたしは・・・だれだ・・・・・・》
・・・その後、あなたはアキト君の母をその女性に任せて、助手のような男性に個室へ連れていかれたのよね。
《そう・・・そこで、何があったかをその男性に説明をして・・・・・・》
そして?
《そうだ・・・そして、ここに・・・・・・》
そうよ。あなたはその男に睡眠薬を飲まされたの。出された麦茶を飲んだでしょ??思い出した??
《そう。そして・・・・・・》
ここに来た最初の記憶は?
《最初・・・・・・》
あなたは最初、そのアキトという男の子の心配をずっとしていたでしょう?
《アキト・・・そうだ、アキト君・・・・・・》
あなたは、記憶が曖昧です。
いつも、現れる女性に連れられて、アキト君が入院している部屋まで案内されたの。先ほどの『責任者』と名乗った女性よ。そこでアキト君が入院して眠っている姿を見たのよね?
《見た・・・そんな気がする・・・・・・》
アキト君は股関節に悪性の骨腫瘍があったの。それがずっと放置されていて、手術が必要だったのよ。
《そう・・・だった?》
ええ。アキト君のお母様にもちゃんと説明して、ご納得されて帰れらたのよ。
《そう・・・良かった・・・・・・》
・・・それで、清水の行先や居場所なんだけど、
《いや、違う・・・アキト君の足は・・・・・・》
・・・・・・
《日焼けで小麦色に焼けていたアキト君の肌・・・・・・》
・・・何を言っているの?
《手術後の足は・・・真っ白で、まるで『女性の足』のようだった!》
・・・・・・
《あなたたちはなに?!あたしは・・・どうなっているんだ、俺は・・・私は・・・だれだ?!》
・・・・・・
MKウルトラ 新計画ーJP
「・・・どうだ?清水の居場所は聞けたか?」
「だめね。また混乱が始まったわ・・・・・・」
「そうか・・・洗脳の方はどうだ?」
「それもだめ。今それをし直そうとしてたのよ。記憶の掘り出しと、新たな記憶の刷り込みなんて同時になんて無理だって」
《・・・何をっているんだ・・・・・・?》
「母親の方はどうだ?」
「いつものように暗示と洗脳から実験しているわ。元々イカれ気味だったから、自我の崩壊は簡単だったわよ」
「こいつみたいにするなよ」
《この女性は・・・鏡に映る、秘書で、責任者の顔のやつ・・・・・・》
「なにいってるのよ。あなたたちが先に”手術”するからじゃない。本当に苦労させられるわ」
「まぁ、まぁ」
「子供の方はどう?」
「やはり拒絶反応だ。接続部分だけ万能細胞にした移植は意味がなかった」
「そう・・・とりあえず、成人までは延命してよね」
「まぁ、どうだか。無茶な指示命令さえなければね」
「・・・あら?そいつ、その後ろのは、たしか・・・・・・」
「ああ、例の殺人鬼さ」
「成功・・・といえるの?それ」
「んー、まぁ、とりあえず、ほれ、おとなしいだろ?」
《あれは・・・金田・・・焦点が合っていないし・・・よだれも・・・・・・》
「やめてよ、前みたいにいきなり壊れるのは」
「依頼人の要望なんだから仕方がないだろ?こいつとは、明日でおさらばだ」
「今どき”ロボトミー手術”なんて。医学の発展にもならないじゃない」
「脳科学の研究にはなるんだとよ。それに、ここの目的は全然別なんだし、取れる点だけ取ればいいんだろ」
・・・ブゥゥゥゥゥゥ・・・ブゥゥゥゥゥゥゥ・・・・・・
※携帯のバイブレーションの音
「・・・はい・・・・・・ああ・・・あ、そう。よかったなぁ・・・ああ。分かった。じゃ・・・・・・」
「?だれ??」
「・・・清水が見つかったってよ」
「マジ??」
「ああ、空港で飛行機に乗りこむ直前に捕まえたらしい・・・だから・・・・・・」
「・・・そうね。もう必要ないわね」
《なに?・・・二人でこっち見て・・・・・・》
「・・・あ、じゃ、うちに貸してよ。どうせ精神科ではもう使い物にならないだろ?」
「・・・ええ。そうね・・・もう、もっと早くみつけてよね。疲れたぁ」
「ちゃんと俺らのが終わったら、臓器移植チームに渡しとくからさ」
「・・・あなたってホントに楽天的ね。清水が見つからなかったら全員アウトだったんだからね。逃亡先の先方に連絡しなきゃ・・・・・・」
「・・・さぁ、おいで。見えるかい?」
「・・・あ、まって、ちょっと”神との接触実験”やってみたくない?」
「あぁ?なんだそりゃ?」
「言葉以外、喋ること以外の感覚を全部切るのよ」
「・・・で?」
「視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚、五感全ての、脳への信号をシャットダウンすると、神と接触できるらしいわよ?」
「別に、俺は無神論者だし興味ないけどなぁ。ってか、こいつ喋れんの??」
「舌を切除されているから喋れないわよ。だから1970年代、アメリカで過去の実験では感じたことを言語化するのが難しかったのも要因だと思うのよ。今のこのサイレントスピーチ、脳内に電極つないでいる状態なら、もっと伝達がスムーズで脳波も図れるし、口から出任せを言うこともなくていいと思うんだけど!」
《なにを浮かれて・・・なんの話をしているんだ・・・声が・・・でない?》
「・・・まぁ、俺は好きにしたらいいと思うよ。上が許可出すのならな」
「一つづつ感覚を切っていけばいいじゃない。なら手術をしたっていうポイントが順番に取れるでしょう?最終段階で少し貸してくれればいいからさ。その後、あんたの移植研究に使って好きにすれば」
「なるほどね。多分、その途中で精神的な崩壊で生命活動の終了になりそうだけどな」
「いや、案外この子、固い頭と神経してるから大丈夫な気がするの。頑なに清水の在りかは言わなかった・・・というか、表層意識では無かったことにできていたから。正義感というか、使命感が強い証拠なのよ」
「へぇ」
「だから、疲れたのよ。掘り出しも刷り込みも。私の経験上ではレアだわ」
《ちょっと、理解が追い付かない・・・ここはどこ?》
「ま、とりあえず好きにすればいいさ。一件落着したんだしな」
「・・・じゃ、またね」
《・・・あの時と変わらず血走った眼で見つめる金田・・・でも、表情はボーっとしていてよだれも垂れ流しっぱなし。あの時の凄みと怖さは全く無くなってしまっていた。》
《ずっと聞かされていた、聞きなれた声の白衣を着た女博士に車椅子で運ばれる・・・その途中、腹部がない老人がこちらを見てほくそ笑んでいる。その表情が、とても許せなかった・・・・・・》
END・・・・・・
NEXT⇩ ~マッチング・ゲーム~
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