日向坂46に「カリスマ不在」なのは、ファンタジーが終わった時代のアイドルだから

かつて、芸術家やファッションデザイナーは「凡人にはうかがい知れない、神秘の才能を持った人々」だった。圧倒的な才能から生み出される作品で、われわれ凡人を魅了する天上界の人々。これはアイドルも同じ。

けれども、そんな時代はとうに過ぎ去り芸術家もファッションデザイナーも「手の内を全部見せたやつ」が勝つ時代になった。旧態依然とした芸術家の神秘のベールは容赦なく剥がされ、ファッションにおいて「モード」とはほとんど意味のないフレーズになってしまった。

日向坂46は、「アイドルとは選ばれし者だけがなれる」というファンタジーが終焉した時代のアイドルだ。読者アンケートの結果がすべてである少年ジャンプシステム同様、48グループ・坂道グループともに人気がすべてというマーケット至上主義が貫徹されている。

オークションで高値のついた美術作品だから素晴らしい、みんな着ている服だから素晴らしい、CDが何百万枚売れたから素晴らしい。そんな商業主義に意を唱えるのは簡単だ。しかし、全盛期に653万部という発行部数を記録した少年ジャンプからワンピースやドラゴンボールなどの国民的マンガが多数輩出されているのも事実。おそらく秋元康をはじめとする運営サイドにとって、「ファンの判断はすべて正しい」。

ファンタジーが消え、アイドルのステータスがすべて数値で可視化される時代において、カリスマの役割は終わったと言える。カリスマにはブラックボックスが必要だが、見える化至上主義の時代はそんなものの存在を許さない。4作連続でシングルのセンターを務める小坂菜緒も一部ネット上では「無風センター」などと揶揄されているが、それは日向坂46にとってまったく正しいあり方だ。

日向坂46とは「グループの顔となる絶対的センター」が存在しなくても、日向坂46たりうるグループだ。それは、グループの代表曲「ハッピーオーラ」という言葉に代表される「日向坂らしさ」、言うなれば「日向イズム」を全員がインストールしているからだ。

「日向イズム」と仰々しく銘打ってはみたものの、中身は単純極まりない。コロナ対策がうがいと手洗いにあるのと同様、「あいさつを欠かさない」「常に笑顔を忘れない」「呼ばれたら返事をする」程度のものと言える。しかし、ファンタジーが通用しない時代を生き抜くのは、そんな基本中の基本を身につけた人間だけだ。

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