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生活の生きづらさ、自分の障害を受け入れる

30歳過ぎた頃に初めて精神科という病院に行った。

前から家族の間で私の事を話してたみたい。

病院に行く前に自分の中で思ったのが『どうして普通に過ごしてる私が精神科に受診しなければいけないの?』と疑問に感じた。病院の中に入ればそこには色んな患者さんがいた。一人で喋っていた人や泣きながら診察室から出てくる若い人も。

私は目に見る度自分はここに行く人じゃないと私は普通の人と頭の中で思ってたけど病院の方から適性検査やちょっとした知的テストを受けて普通の人よりできない事を実感し、診断名が出てその症状と同じものがたくさんあり私は障害があるのだと自分を受け入れました。

診断名は【自閉症スペクトラム、神経症】この2つです。説明は難しいですけどネットや本で載っていたのは、自閉症スペクトラムは、(対人関係が苦手、こだわりが強い、特定の行動を繰り返す)などがあります。社会生活や仕事で困難を抱えがちです。感覚過敏や感覚鈍麻も、職場や日常生活での困り事を引き起こしがちです。ほとんどの人には問題ない蛍光灯の光やBGM、環境音、匂いなどが、感覚過敏のある人には耐難い程の苦痛に感じられることもあるのです。感覚が非常に過敏な人にはストレスから頭痛など身体症状が現れることもあり、二次障害として精神疾患が合併している、抑うつが強い、イライラする、不安を感じやすくパニックになるなどの症状には、それぞれに応じた薬が処方されることもあります。療法としては、カウンセリングや心理療法、薬物療法などがあります。

神経症は、生活の中で感じている心配や不安が著しく高じた状態とそれによって現れるさまざまな症状の総称です。症状としては、(恐怖、不安、パニック発作、強迫観念、抑うつ、記憶の喪失、別人格の形成、攻撃性)があります。他にもこだわりの強い考え、息切れ、動悸、吐き気、頭痛、腹痛、自立神経失調、等

...何でも生じ得ます。神経症には典型的な特徴が5つある。 ①不安、神経症的な抑うつ状態②恐怖状態③脅迫、解離、転換状態④環境反応⑤妄想状態。それぞれ独立した症状でありながら、混合して現れたり、移行し合う事もあります。また、身体疾患に合併する事もあります。発症は10代半ばに多く見られて男性より女性にやや多く(1.5〜2倍)、不安障害専門外来では12%を占めています。経過は慢性で、日常生活のストレスの影響を受けて良くなったり悪くなったりします。うつ病に移行するケースも多く見られます。

以上が自閉症スペクトラムと神経症の説明になります。先程の続きの私の事をお話します。

私は小さい頃から一人でいる事が多く、人見知りが激しく、多くの人数での行動や一緒に何かをするのが苦手で、ほとんど親といつも行動していました。買い物や私の眼科など色んなとこに出かけてました。何歳の頃か忘れましたが、言葉の訓練や施設の方とのお話を横で聞いてたりしてた時期がありました。

この33年間、自分が障害だとは全く思ってもみなかったし病院を受診したその当時は受け止めきれなかった。生活する中で、人とのコミュニケーションや不安な事、何かあった時に泣いたり過呼吸になったり、お店など行った時はセルフレジの方を選んで普通のレジには並ばなく人との距離を避けいつもそっちで払うようにしてます。ない場合はたくさんお客様が並んでない列に入ったりしています。払う時は元々計算が苦手で一枚多かったり少なかったり時々ありました。こうやってみると普通の人とはちょっと違うのかなと実感してます。

通院では月に一度定期的に行っていますが、行くのが億劫になった日もあり月に0回の時もありました。

話は変わりますが、去年の夏、メンタルがグダグダだった時期、実家にいるのがきつくなっていとこや姉家族の家に泊まり込んで多くて2、3ヶ月泊まってた事もありました。泊まっている間に毎晩泣いたり、マイナスの方に考えたりした事も。生きづらさとこれからの人との関わりが不安になると悩んで辛かったし苦しかった。でも周りの人達が私を支えてくれて私の好きな海や山にログハウスを立てている遠いとこに行ってミニチュアを飾る棚をいとこのおじさんと一緒に作ったり、滝にも連れて行ってくれて少しでも元気になってくれたらという思いでしてくれてたそうです。

実の父親にも連絡をして、久しぶりに再会をし私の障害や自立訓練に行っている事を話して自分の事を少しでも知ってて欲しくて伝えました。父親は釣りが好きで海によく行くそうなので私を海に連れて釣りを教えてくれました。何十年かぶりの親子との時間はあっという間に終わり昔と変わらずお父さんだった。釣りをしている姿はかっこよくて優しくて明るい人。

自立訓練のところに支援センターの私の担当の方と相談員の方が来られ、月に一度面談を行ってます。

最近の状況だったりプライベートの事などお話を聞いてもらったりサポートなどしてくれてます。

自立訓練では週に5日通所を目標に現在立てていて今は通所できてるのは週に3日。朝礼には参加が中々できず遅刻をしたり体調が悪かった日にはお休みしたりしています。来年の1月くらいで契約が切れるので今年いっぱい今目標に立てている事を頑張る事です。

苦手なプログラムがある日は個別でしたり近くの一人テーブルで参加したりしてます。

ある日の卒業生の話を聞くプログラムで、私は後ろのテーブルで聞いていて職員の方と料理の話をしている時でした9個下の卒業生の男子が話に入ってきて料理の写真を見せたり話をしたりしました。そのプログラムが終わり帰っている途中に彼が後ろからきて私に話かけ、元カノや仕事で転勤があるかもしれないとかの話を聞いて私の口が『寂しい』と言ってしまい、彼女でも友達でもないその日初めてあって話をしただけの間柄なのになぜかその言葉が勝手に出てしまって心の中で『あ、あたし彼の彼女でもなんでもないのに何でこんな事言ったんだろう』って。駅まで一緒に歩き、すぐ帰ると思いきや話し込んでしまって最後にはライン交換をし仲良くなりました。その日から毎日連絡をとるようになり通話をしたり二人で会ったりしてて2回目くらいに彼から告白をされ返事は次にあった時にする事になり、次あった時に『あたしで良ければよろしくお願いします』と伝えた。何度かデートを繰り返し喧嘩も何回かした事もあるし別れそうにもなった事もあった。けど彼は私に『俺、弱いけどあやの事守ってあげるね』と嬉しい事を言ってくれました。彼に出会うまでこの先人を好きになる事はもうないだろうと思っていたし、このまま一人で生きていくのだと考えていたからこんな私が恋愛するとは1ミリもなかったけど彼に出会って私の事を大切にしてくれて一緒にいて幸せだしもう一生この人と人生一緒にいたいと思えた人だからこの恋愛は私にとって最後。月日が過ぎていく中で最初より会う回数、連絡の回数など徐々に減っていき悩んだりしてもう彼は私の事冷めてきてるかもしれないとかもう必要ないかもと思えてきてここが限界かもと考えてしまうと泣いてしまって過呼吸にもなったりした。こういうのも私の障害の症状なのかなと思う。

20代の頃は通勤や遊びに行く時にはバス、電車など公共機関乗れていたけどある時に乗るのが嫌になって今では使わず徒歩で色んなとこにいくようになった。電車では満員を避けたり時間をずらして乗車したりしてます。痴漢や電車内で異常とか事故など起きたら怖いというのもあります。障害者手帳を持っているとバスに乗った際に割引が効くと聞いてましたが私には公共機関を使うのが無理なのでただ持ち歩く事だけにしてます。

これからも長く自分の障害と向き合って、重い病気じゃないし普通の人になれると信じて色んな事に頑張っていこうと思っています。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

私の事を知ってもらえたでしょう。より多くの人との関わりを増やせていければと思っているので、よろしくお願いします!

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