見出し画像

手の甲と年の功

祖父母の手

手の甲は最も年齢が現れやすい場所らしい。老化により痩せてくると、筋が張ってきたり血管が浮き出てくる。やがて年輪のように皺やシミが刻まれてくる。美容整形として手の甲へヒアルロン酸を注入する人も少ないくないらしい。

おじいちゃんやおばあちゃんの手は、でこぼこザラザラとしていた。
むかし祖父母家へ遊びに行った帰り、お婆ちゃんはいつもお菓子を持たせてくれた。そのときいつもお婆ちゃんは手を握ってくれた。両手で、僕の手を包むように、やさしく。気持ち悪いと思った。なんでこんなことするんだろう。「(お菓子は)要らないよ」と断っても、別れ惜しさを笑顔で隠して、ぎゅっと手渡してくる。思春期は早く離せよとも思った。それは今振り返ると、お菓子は実のところどうでもよくて、手を握ることが目的だったのだと思う。それは亡き祖父との思い出にも通ずる話なので詳しく書きたい。
僕の待ち受け画面は、4歳くらいのとき祖父と手を繋いで田圃沿いを歩く写真である。振り返ると年を重ねるごとに手を繋いだり手に触れたりする機会が減っていったなぁと感じる。もっと肉体の温度を感じて「生きてるよ!生きてるね?」みたいなスキンシップというかボディーケーション?(そんな言葉あるのか?久保田利伸の楽曲「BODY-CATION」っていうのがあるけど造語)みたいなのを大事にすれば良かったなぁと。去年祖父が死んだとき、通夜の前に自宅で遺体を洗ったり死化粧をしたりする時間に立ち会えたのだけれど、そのとき見た手が全く知らない手だった。コロナ禍で会えなかった数年間で祖父は闘病を続けていた。手の甲はすべてを語るとはよく言ったもので、今にも骨が出てきそうなくらい痩せ細っていた。湯かん師(納棺前に遺体を洗浄し、メイクや装束の着付けをして整え、納棺をする人)が遺体の脇を洗うとき手を持ち上げ、関節を曲げたんだけど、その手が顔のところまで上がったとき死んでいる筈の祖父の表情に色が付いたような気がした。祖父は僕を笑わせるとき、いつも変顔で敬礼をした。なぜそんなボケをするのか分からなかったし、僕も毎回笑っていたし。湯かん師によって上げられた手が敬礼に見えたんだよね。同時に「ああそうか、もう変顔してくれないのか」と思った。ここまでは祖父母の手にまつわる記憶。

妻の手の甲が好き

妻によると初めての家デートは「スパイダーマン」を観たらしい。らしい、というのはちょっと恥ずかしいけれど緊張しすぎて記憶にないからだ。当時ワンルームだった家に招待して夕飯にカレーライスを振る舞った。ソファーに座って、かわいい動物がいっぱい出る番組を観ながら「ネコかわいいねぇ」などと当たり障りのないことを言って「このあと衝撃の出来事が!」みたいな引っ張りからCMに入ったとき一瞬にして会話に困る。スマホを見るでもなくただCMを眺める時間。「有村架純かわいいねぇ」と、かわいい動物に言う感じで言ってみる。本当はネコや有村架純どころではなく、どうやって手を繋ぐかしか考えていない。その後のことは知らない。ふーっと疲れたように背もたれに倒れてみる。彼女はソファーの縁にそっと手をかけている。なんて綺麗な手の甲だろうと思った。CM明けの衝撃の出来事よりこっちの方が衝撃だったし、メモ癖のある僕はこの手の甲の美しさをどう言語化しようかと左脳を爆回転させた。手を繋ぐ目的を見失うくらい綺麗だと思った。どう説明すればよいか中々言葉にしづらいけれど、ふっくらしてるというか、程よくふんわりしてる。焼き立てのクロワッサン? 日光干しから返ってきたばかりの枕? うまく出来たときの玉子焼き? まあ僕だけが分かっていればいい。
こんな僕にも結婚してくれる人がいて、本当に幸せな日々を過ごしている。人生の節目に手を触れる。初めて手を繋ぐとき、結婚指輪をはめるとき、出産に立ち会うとき、最期のとき。大切な人の手に優しく触れる。すごく嬉しいことがひとつあって、妻は僕の手が好きだと言ってくれる。散歩で手を繋ぐとき感触が気持ちいいらしい。僕にはその感じは分からないのだけれど、妻が自身の手の甲の美しさが分からないように、これも妻だけが分かってくれていればそれでいいのだと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?