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モロッコ開業までの道のり〜①経緯編〜

皆さん、サラーム!(モロッコの言葉でこんにちはの意)
モロッコでラーメン屋さん兼日本食屋の開業を目指すしゅんやです。

この連載ではモロッコで開業するまでの道のりをまとめていこうと思っています。
第1回目の今回は僕がなぜモロッコでラーメン屋さんをやることになったのか、という経緯のお話をしていきたいなと思います。

ここまでのぼく自身の人生や目標については

↑こちらの前編と

↑こちらの後編で読むことができます!
気になる方はぜひ読んでみてくださいね!

ことの始まり(2019/8)

当時の僕は青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)の隊員として、アフリカのベナン共和国という国の小学校でボランティア活動を行っていました。

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ベナンの小学校は7月から9月まで夏休みになるのでその期間に、同期の隊員とモロッコまで旅行に行くことにしたのでした。

旅行はとっても楽しく、

青い街に行ったり

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砂漠でラクダに乗ったり

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他にも楽しいことがたくさんあったのですが、
その旅の終わりがけに行った「エッサウィラ」という港町で日本人がやっているアフリカ唯一のラーメン屋さんがあると聞き、そこにみんなで訪ねることに。

そしてなんの因果か出会ってしまったその日本人のご夫婦(クニさんとエツコさん)が、アフリカにボランティアしに行くと言って周りからドン引きされた僕からしても相当ぶっ飛んでる方たちだったのでした。

曰く、

「夫婦と3歳の娘さん一人の計3人(当時)で世界各国を2-3年ずつ住みながら世界一周を目指している」
「ラーメン屋どころか飲食店をやるのは初めてでレシピなど全てYou Tubeなどで勉強しながら作っている」
「店の内装なども全て自作」
初期投資20万円で始めて、(当時)2年間やっている

などなど、
「まじかよ???」
って感じの話が盛りだくさんだったんですが、実際にこうしてお会いしている以上本当に違いなく、肝を抜かしたものです。

そして僕が、興味を持ったのは
初期投資20万円で2年間やっている
という部分。

一緒に旅行をしていた同期隊員のMさんと冗談混じりに、
「初期投資20万円でできるのなら協力隊の任期が終わったあとにチャレンジしてみるのも面白いかもね」
という話をしたのでした。

しかし当時は「やれたら面白そうだなあ」くらいなもので、ベナンでのボランティア活動も残り一年以上あるということもあり、特に深く考える事はなく無事に(?)ベナンの生活へと帰ったのでした。

帰国後の進路に悩みだす頃(2020/1)

時は流れておよそ半年後、残りの協力隊の任期も一年を切り日本に帰国したあとに何をして飯を食っていくかというのを考え始める時期に差し掛かっていました。

なんなら同期の中には既に面接を受け始めている人なんかもいるくらいの感じでしたが、僕は「どうしたもんかなあ」とあまり考えがなかったのでした。

と言うのも、元々協力隊に入ったのは
「キャリア教育のできる小学校の先生になる!」という思いがあったからでした。
しかし、活動を通じて「自分が先生に向いてない」ということを痛感したので、割と宙ぶらりんな状態に陥ってしまっていたのでした。(一方でキャリアや生き方といった所にはずっと興味があった。)

そんな中で、ずっと心に残っていたのがモロッコでラーメン屋をやっているクニさんとエツコさんご夫婦の言葉。

「初期投資20万円で始めて、(当時)2年間やっている」

このくらいの金額であれば、チャレンジしてみてだめでも取り返しがつくし、
それにうまく行ったら会社勤めしか正解がないという日本の凝り固まったキャリア観、常識に苦しむ人たちに向けて、
色んな生き方、色んな世界があるんだよ
っていう僕が教員になって子どもたちに伝えたかったことを本当の意味で身を持って教えてあげられる!
そんな風に思ったら、やってみない理由はないなと言うことで旅行時に冗談で話していたMさんと本気でやってみない?
と持ちかけてみたのでした。

Mさんも「やってみるか〜」くらいな感じで、モロッコで挑戦してみる流れになったのでした。

当時考えていた、開業への流れは
2020/10 協力隊の任期終了
   〜    3ヶ月ほどの国内準備期間
2021/1   モロッコに渡航
2021/4   開業
ざっくりこんな感じで考えていました。

コロナによる緊急帰国と若干の亀裂(2020/3)

新型コロナウイルスの世界的な流行に伴って、全世界の協力隊員が日本に一時帰国する運びとなり、僕らもその例に漏れず日本へと帰国することに。

その帰り道や、帰国後の自主隔離期間で
実際に開業に向けてどう動くか、またどんなコンセプトなどを持ってお店を開くのかなどなどを僕、Mさん、そして一緒に来るか悩み中の僕の彼女の3人で話し合っていました。

が、この辺で少し亀裂というか、考え方の違いみたいなものが少し顕在化していました。

その1つ目がコロナについて。
当時の状況下において僕は
「一年くらいで収束に向かうんじゃない?」という認識。

一方でMさんと彼女の二人は
「一年で収束するとは思えない。仮に収束するとしても観光客が戻ってくるのは先になるのでは」
という認識でした。

この件に関しては、当時話し合っても仕方ないと言うことで、協力隊の任期が正式に終わる10月まで待って、それから決めようという結論になりました。

そしてもう1つ。
こっちのほうが大きい問題だったのですが、
まず大前提としてぼくは
「どうしても飲食店をやりたい!というわけではない」というのがあります。
おっきい目標の部分が、
「会社員以外というレール以外の生き方があることを身を持って示せるようになりたい」
なので、何をして飯を食べていくかというのはそこまで大きな懸案事項ではないんですよね。
ただ、もしうまく行った場合に、生き方やキャリアに悩む人が実際に訪れてくれたことを考えると、飲食店やバー、民宿などの形態はそういった人達と話をしたりするのに都合が良さそうだなとは思っていました。

そういう意味で僕には「相手にする客層をどうする」とか、「どんなコンセプトでやる」みたいな部分の考えが無いに等しかったのでした。

一方でMさんはと言うと、堅実で現実的なタイプなのでこういったところを詰めておきたかったんですよね。(そういうタイプの人だったからパートナーに誘った部分は大きい)

けれども、当の僕がふわっとした感じなのでここが結局煮詰まること無く、とりあえずやれることやっていこうかと一緒にいられる期間が終わってしまったのでした。

ちなみにこの時、考えていたその後の流れは
2020/4   自主隔離終了
   〜  それぞれできることの準備※
2020/10 以降の流れを再相談
(もしコロナが収まってきてそうなら)
2020/1   モロッコ渡航
2020/4   開業

※ぼく=料理修行、Mさん=経営について学ぶ、(彼女=語学など)

って感じでした。

Mさんの離脱(2020/7)

Mさんがモロッコでの開業プロジェクトから抜けます。

一応建前としては、お母さんのご病気というのがあったのですが、
本当のところは恐らくですが、上記のような僕のふわっとした感じに加えて、
7月から彼女と一緒に住み始めるために、拠点を横浜から大阪に移しており、当初修行をしていた昔のバイト先からももちろん離れた上、のんびりしている姿を見たからだったんだろうなあと思います。
(Mさんは中小企業診断士の資格を取るなどすごい努力していた一方で、僕は彼女とビートセイバーで遊んだりしていた笑)
Mさんが抜けた時、丁度新しく修行先を見つけ包丁を買ったりなんだりした矢先の出来事でした。

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↑出刃、薄刃、柳刃の3本セット。
計5万円くらい。

それからの時期は一人で海外で起業する自信がなく、またこの先どうしようか…
と先行き不透明状態に陥ってしまっていました。
ただ、新しい修行先にはこちらから頭を下げお願いしたばかりだったことや、将来的に何かしら役に立つかな?という打算もあり、料理修行はひとまず続けているという状態でした。

転機(2020/10)

それは離脱したMさんからのラインでした。

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それは、僕らが話を聞いたラーメン屋さんの店主クニさん帳本人からのメッセージで、要約すると
「店舗が空くから後釜に入らないか?」
というものでした。

ということで詳しくクニさんから聞いた話はまとめるとこんな感じ↓

① 店舗の機材など全て格安で譲る(5万円)
② レシピやトリップアドバイザーなどすべて引き継いだ上で運用方法などすべてレクチャー(100万円)
③ ①,②共に必要ないなら箱だけ渡すという形もあり。
④ 機材など売ったりもあるので一週間で決めてほしい。
⑤支払いに関しては方法や期限などは問わない

こんな感じ。

で、気持ちとしてどうだったかというと、
「やりたい…けどお金が…」
って感じでした。

というのもぼくの貯金額はちょうど100万円くらいだったからです。

もしやるならレシピもなにもすべてもらってやろうというのは一瞬で決めました。
だってそっちのほうが楽ちんだもんね笑
あとはお金の問題だけ。

まあでもよく考えたら失うのはお金だけ、僕はまだ27で幸いなことに五体満足の健康だし、お金がなくなるって言っても借金を背負うわけでもないか。

と思ったらふっと肩の荷が下りてやってみようと決めたのでした。
(ただ一人でやるのは不安でできれば彼女にも一緒に来てほしいと思っていた。)
(諸々の理由があり結局スタートは一人でやることになったけど。)

この辺の決断についてはブログを書いたりもしたんですが↓

チャンスは通り過ぎてからだと掴めないという思いもあり割りかしサクッと決断できました。

ぶっちゃけてしまうと、会社辞めて協力隊に行くという決断をするときの方が地獄の苦しみでした。

とまあそんな経緯で、いまモロッコにおります。

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オープン予定地のエッサウィラにて


次回は準備期間に何をやっていたかというお話↓


現在モロッコにあるアフリカ唯一のラーメン屋さんruly's ramenを引き継いでラーメン&日本食料理屋のオープンを準備中です!
準備の様子や普段のこと、考えていることを載せているので気になる方は是非下記のアカウントもチェックしてみてください!
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インスタグラムhttps://www.instagram.com/ramen_maroc/
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