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資本主義というゲームに参加するか

昨日の続き。

世の中は様々なルールのもとに成り立っている。その中の1つが「資本主義」というルールだ。つまり、お金を稼ぎ富を獲得することが、豊かさの物差しの一つとなる社会のルールだ。

完全に自給自足で生きている人でなければ(そしてそのようなことは不可能なわけでだが)人は社会に生きている限り、多かれ少なかれ資本主義のルールの上に成り立っていることは否定できない。

興味深いのは、資本主義のルールから解脱することは難しいが、上を突き詰める資本主義の”ゲーム”に参加するか否かは自分で選択することができる。

お金を稼ぐこと、富を増やしてくことが偉いわけでも、絶対的に優れているわけではない。逆にお金稼ぎや出世することに対して嫌悪感を抱く人もいる。一つの物差しで測れるものではなく、その人が何に価値を置くかという”価値観”の問題である。

そういった多様な価値観が認められる中で、我々はどの物差しを基準に世界を見るかを選ぶことができる。それはまさに、どんな”ゲーム”に参加するかを選ぶように。

繰り返しになるが、我々は資本主義というゲームに参加するかどうか、自分で選択することができる。参加してもよいししなくても良いわけだ。好きな時に参加したり、降りたりすることも自由にできる。

若いうちはとことんこのゲームに乗り、ある時から資本主義とは違うゲームに乗り換えた、という人も見たことがある。

いずれにしても、自分で選択しているということが重要な点だ。自分で選択することなく、資本主義というゲームに飲まれ苦しんでいる人がたくさんいるのではないか。本当は資本主義のゲームに参加する意思等ないのに、世間の目を気にして特に明確な目的や理由もなく年収や知名度で会社を選ぼうとして苦しんでいる人。逆に幸せはお金では買えないと口では言いつつ、収入が低いことを嘆きいつも不満を言っている人。

サッカープレイヤーがバスケのコートに入っても活躍することはできないように、参加するゲームが異なれば、その中でのルールも異なる。違うゲームの参加者を羨む必要など一切ないし、憧れるならば覚悟を決めてそのゲームに参加すれば良い。

どういったルールのゲームに参加しているのか、自覚的になることが大事だと思う。
私はなんのゲームに参加しているのだろうか。

それではまた。

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