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外国語大学に通う僕が休学して、人口4000人の街でインターンをする話。

「休学して留学行く前に一旦、石巻来いよ」

夕食を食べてシェアハウスの住人とスマブラをしていた夜、急にコーディネーターから石巻に半年後、また来ないかと言われた。
1ヶ月だけ石巻市に飛び込んでみて、自分の将来の参考になればと思っていた3月。まさか1年後も石巻にいて更にその半年後には北海道にいるなんて。

長い記事なので結論を言うと
地域でのインターンが楽しすぎて休学してまで来ちゃった。それだけです。
後はなんでそうなったのか、そんだけです。


自己紹介

こんにちは。どこからか僕の記事を見つけてくださりありがとうございます。
僕は野上秀馬(のがみ しゅうま)です。タイトル通り僕は休学して宮城県石巻市に移住し、一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンでインターンを半年ほどしました。

神戸・三宮

名前:野上秀馬
出身:佐賀県
所属:神戸市外国語大学外国語学部国際関係学科3回生(休学中)
興味分野:ニュース、地方創生

大学では比較政治のゼミに所属し、国際政治を勉強しています。また、ニュースにも興味がありフィッシャーマン・ジャパン(以下FJ)と同時期にNewsPicksのCurationインターンとしても活動していました。
簡単な自己紹介はこれくらいです。

休学・移住は突然に

「休学?石巻?突然なんだよ」って思われた方もいらっしゃるとは思います。けど、それくらい唐突な出来事で気がついたら石巻に住んでた。そんな感じなんです。
タイトル通り、僕は今日から1ヶ月、北海道の人口四千人程度の町厚真町でコーディネーターとしてインターンをします。 
今回の記事では、外国語大学に通う僕はどうして休学期間を外国ではなく、縁もゆかりもなかった地方で過ごすことになったのか。心の赴くままに書いてみます。

早く抜け出したかった地元

佐賀県武雄市

いつも見ていた田んぼ。

小学校4年生まで静岡県浜松市で過ごし、その後親の仕事の都合で移住した佐賀県武雄市。僕はそこで高校3年生までの8年程度を過ごします。自我がはっきりしている頃過ごした街だから、武雄が地元です。

さて、佐賀県民でもない限り、「佐賀県って何があるの?」って感じだと思います。僕もそうでした。祖父母の家があり浜松に住んでいた際も数年に一度訪れていた佐賀県ですが、僕にとってはもうトトロの世界。当時、祖父母の家は昭和の日本住宅。猫はバンバン入ってくるわ、土間はあるわ、周りは田んぼしかないわ。コンクリの集合住宅で暮らす僕にとっては文字通り別世界。

そんな佐賀に移り住んだ小4の夏。山とか川で遊ぶことが日常になってく中、佐賀で暮らすことにもなれてきました。そのまま、中学・高校と自転車で行ける距離の学校に通うようになります。ただ、いつからか佐賀から抜け出してみたくなってる自分がいました。

大学は九州から離れたい

何か大きな出来事があったわけではないですが、田んぼばかりの風景、1時間に1本程度くる2両の電車、ガタガタで白線が消えた通学路を自転車で通う毎日。小中高ってほとんど人が変わらない学校。先輩の進学先の大学を見ると、同じ大学に進学する人が多い現状。そんな日常を否定したかったわけではないですが、せっかくお金も時間も費やして大学に行くのであれば九州から抜け出したい。なんとなくそう思ってました。日々に楽しみを見出すことができなかった高校生の頃、NewsPicksばかり見ていた僕。たまたま見つけた「国際関係学」という学問に興味を持ち、現在の大学への進学を高校2年の春には決めます。

まちづくり

なんか高校の頃参加した写真。覚えてないな、これ

「こんな毎日から抜け出したい」こんなことを考え、しかも外国語大学への進学を希望する高校生。そんな僕がまちづくりに興味を持つって、正直意味がわからないと思います。僕も不思議に思ってました。
佐賀県武雄市、まちづくりに興味を持っている方ならご存知かもしれませんが、「武雄市図書館」で有名になった街。CCCが指定管理者に指定された図書館です。スタバ図書館蔦屋図書館でとかで一時期は話題になりました。実はまちづくりであったので、「まちづくり」という言葉は高校生の頃から身近にあり、まちづくり事業に参加したことも。

なんとなく、まちづくりって僕にでもできるんだ。そう思っていた高校生の頃。ですが、そんな自分が無力感を感じる出来事が。

2019年 佐賀豪雨

当時のテレビ

2019年夏、僕の地元を豪雨が襲い水害が発生します。街は冠水。幸い、僕の家は水害の被害を受けることがありませんでしたが小学校や通っていた遊び場は被害を受けます。当時、高校の夏休みが終わる間際。夏休みが少しだけ伸びたことを覚えています。そして、自分はボランティアとして浸水の被害に遭われた方の家に。

ボランティアは大変だった。昔ながらの家が多い地域で畳の家がたくさんありました。体験された方は容易に想像が着くと思いますが、濡れた畳はここまで重くなるのかと。泥が付着した家具を運ぶ辛さ。

自衛隊のヘリも上空に飛んでました。すると、水害の被害に遭われた住民のかたが自衛隊のヘリに怒りの言葉を。今となると大切な家・町が水害に遭っている中、ヘリが近くに飛んでいるとなんとも言えない気持ちになるということは理解できますが、当時の自分にとっては衝撃なことで、今でもうまく言葉にできないです。

まちづくりとか復興とか。自治体が、若者が動く。それがなんとなく感謝されるもんだと思ってた自分。ただ、水害からの復旧の場においては自分は畳を運ぶことしかできない。なんとなく、自分はまちづくりをやってる高校生だと思ってた時期。本当は何もできないんだなと思った日。

そこから日は経ち、水害の地域から住宅は減り僕の家の周りの田んぼは後継者不足ということも相まってどんどん住宅地に。トトロの世界だった我が家はいつの間にか住宅地の片隅に。

住みやすいとこに人は住むべきだし、街は人の暮らしと共に変化していくべき。それは理解してるけど、変化が多かった。その上で、まちづくりってなんなんだろうか。でも、自分は街のために何かしたい。そう思う中、大学に進学します。

これが僕が佐賀で過ごした8年間。

飛び込み!石巻

石巻魚市場

大学2年春休み

大学に入ってからは、ビジコンだったりNewsPicksだったり面白そうなものにはどんどん挑戦したし、弓道部に入って部活も頑張った。今思えば、関西っていう佐賀と比べたらグッと都会でアクティブにできてたかもなぁ…

3.11 石巻

そんな中、高校の友人から「地域ベンチャー留学」なるものを紹介されます。彼もまちづくりに興味がある子で面白い情報をどんどんくれた。

春休み、部活がないわけではないが1ヶ月地域に飛び込むことができる。好奇心だけで動いてしまう僕は一旦Zoom説明会だけ聞いてみることに。

そこで変なプレゼンをする集団に遭遇。Zoom説明会はどこの団体も画面共有するのに、この団体だけ特殊すぎた。しかも、12名が一つのシェアハウスに1ヶ月住む面白く浮かんだって。ま、詳しくは書かんときます。ネタバレになるので。

なんだこの人たちと思いながら団体HPを調べてみると、めちゃくちゃかっこいい団体だったことがわかり、そのまま応募しました。それが自分とフィッシャーマン・ジャパンの初めての接点です。


自分が石巻魚市場のHPリニューアルのプロジェクトに参加。プロジェクトの進行、シェアハウスでの日常を書いてたら何万文字にも膨らんでしまうので省略します。ただ、濃密すぎた。

「休学して留学行く前に一旦、石巻来いよ」


雪合戦

1ヶ月のインターンが終わる頃、突然コーディネーター(インターンの進行係の社員さん的な人)からこんな一言。
元々休学して留学でもしようかと思ってたことを相談していたんですが、休学して地方に行くなんては全く考えてませんでした。

でも、その言葉をかけられた時、行きたいと思ってしまった。1ヶ月という短期間では自分は満足できなかったし、ここでならもっと成長できそう。なんとなくだけどそう思ったのもあったけど、ただ単に石巻が楽しすぎた。

場所によっては地元より田舎感がする街だったけど、抜け出したいとは思えなかった。「また帰ってきたい」と思える街だし、シェアハウスだった。

とりあえず、休学してから特段やることあるわけなじゃいし。面白そうだし。そんな理由で僕は大学3年生の夏休み明けから休学し10月末から3月末まで石巻に休学しました。

休学してから自分がやったことは、短期インターンのコーディネーター。簡単においうとプログラムの伴走から壁打ち相手、日々の送迎とかなんでもしてた。

休学してからの日々は別のnoteに毎日をまとめてるのでご関心ある方はそちらを。

北海道

ワーホリでいったメルボルン

石巻の半年間を過ごした後は、オーストラリアにワーキングホリデーに行ったりRICEメディアという新しい場所でインターンを始めたり、またもや好奇心だけで動いてた。

北海道の話が出たのは1月とかだったかな…?あんまり覚えてないけどインターン事業を北海道で新しくやるとまたもや、僕を石巻に連れ込んだコーディネーターから。またもや面白そうという理由で乗り気になってしまった僕。

外国語大学なのになんでそんな地方いくの?ってたまに聞かれる。住んでみてわかるんだけど、地方創生とか地域産業ってどこか国際関係と似てる部分がある。グローカルって言葉が生まれたのも実はそういう部分もあったからなんじゃないかって僕は思ってる。

地方を変えるのは若者・よそ者・馬鹿者!って石巻で習った!

北海道・厚真

長くなったけど、自分の振り返りも込めて思うままに書いてみただけです。
結論を言うと、地域でのインターンが楽しすぎて休学してまで来ちゃった。それだけです。

後は、休学してまで活動した自分を正当化しうるというか、地域っていいよっていう箇条書きです。

1.地方の人間は優しすぎる

地域に飛び込むのは緊張しますが、コーディネーターという役割を担っている個人・団体は全国津々浦々に存在しておりみんな外部の人に優しい。
魚市場で知り合った漁師さんが電話番号交換したら、地元でしか食べれない魚を食べきれないほどくれたりすることも

2.学生は捨てるものがない!

長期間、縁もゆかりもない田舎に飛び込むなんて社会人になり家族や会社など責任を伴うものが出てしまうとなかなか自分の思いのままに移住とかできないと思います!けど、学生のうちはそんなことはないです。体一つでいけるうちに行っちゃいましょう!

3.自分にとっての幸せを知れる

僕は石巻にいた時、マジで休日することがありませんでした。神戸に住んでた時のような遊びができなくなり、何をしようかと悩みのんびりと暮らしてました。でも、石巻には楽しいがいっぱい。美味しいご飯屋さんはあるし、距離感かすぎる古着屋とか、毎週焚き火するルームメイトとか、床が抜けるシェアハウスとか、けん玉名人とか。暮らしにおける幸せを知れます。自分はこういう時幸せって感じるんだなって。お金を使ってでしか遊べなかった時期があることを考えると想像できない。


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