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人生ははかなく、かけがえがなく、予想できない
先日ある方が書かれた遺書を紹介した記事を目にしました。
ある方とは、27歳という若くしてガンで亡くなった
オーストラリアのホリーさんが記したものです。
もしかしたらご覧になった方もいるかも知れません。
それは本人が亡くなった後に本人から家族に託されたものでした。
今を生きる私たちへのとても深遠なメッセージとなっており、
私自身読んで今の自分の生き方を振り返りながら、
当たり前のように朝を迎
自分の「フツウ」を押し付けない
よく私たちは会話の中で、
「普通は…だよね」
と、当たり前のように「普通」という言葉を使っていますが、
誰もが一度は、
「そういえば『普通』っていったい何だろう?」
と考えたことがあるのではないでしょうか?
この記事を読んでとても考えさせられました。
★「私には私のフツウがあるんだから!」
“しゃべらない”生徒を描いた漫画、沁みました!(YAHOO!ニュース)
そういえば、親から昔
「みん
私は腎臓が悪く透析をしていますが、健康で幸せです。
昔は会話等のなかで「健康」という言葉が出てくると、
自分は腎臓が悪いので「自分には当てはまらない…」と
何か後ろめたいような少し辛い思いをしたものでした。
その後「健康」って一体どういう意味だろうと思って調べてみると、
世界保健機関(WHO)では、健康について
「単に病気でないとか、虚弱でないだけでなく、
身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態である」
と定義されていることを知り、
「私は
病気と向き合う?たたかう?
「病気と『向き合う』のか『たたかう』のか」
といったことがTwitter等のSNSで飛び交います。
皆さんにとってはどちらがしっくりきますか?
もちろん正解はありません。
また、どちらもしっくりこないかも知れませんね。
疾患によって、重症度によって、人生観によって等、
その時々で変わることもあるかと思います。
今の私にとっては、「病気とうまく付き合う」
「病気と一緒にいる」という言葉が浮かび
あなたにも私にも医療をつくる チカラ がある
やばい、こうして投稿の間隔が開いていく(苦笑)
さて、前回告知させていただいた「みんなでつくろう、これからの医療 <People’s Power flow into Healthcare:PPH> プロジェクト(略称:PPHプロジェクト)」主催イベント、「あなたにもわたしにも 医療をつくるチカラがある」はおかげさまで100名を越える沢山の皆さまのご参加をいただき無事に終了しました。(…といっても
この世から「患者」という言葉をなくしたい。
私は3歳で腎臓病になり、18歳から血液透析を始めました。
現在、透析歴は34年です。
血液透析は、週3回、1回4~5時間前後で行われます。
その負担の大きさに、体調のみならず精神的に落ち込んでいる透析仲間も目にしました。また、人事業務を担っていた会社員時代、病気になった社員らの休職手続きを通し、様々な病気に伴う苦悩と向き合いました。
また、自身がんにも罹り、透析の合併症とも向き合ってきました。