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味覚少年テベロ 【第三話】 『世界が飴化する日』

僕の名前は美味志河(おいしかわ)テベロ。
両手がベロでできていること以外はいたって普通の、どこにでもいる中学2年生。

僕は生まれた時から、触った物の味を瞬時に感じ取ることができた。

赤ちゃんは周りにある物を何でも口に入れて舐めるって言うけど、僕は手で触っただけでありとあらゆる物を舐めることができる。だから、どんな赤ちゃんよりも、この世界の味に詳しい。

まあ、この能力が人生で役に立ったことは一度も無いんだけど。


さてと、今日は幼馴染のムミちゃんと水族館に行くことになっている。
この前、僕の手がベロだという秘密をムミちゃんに打ち明けてから、終わったと思った僕たちの関係は、むしろ前よりも大きく前進した。

いつもは軍手で隠していたヌルっとした僕の手を、彼女は優しく両手で包み込んでくれたんだ。(触った瞬間、すぐに手を離されたけど)

こんな秘密を知っても受け入れてくれたムミちゃんに、僕はどうやって恩返しすればいいのか分からない。でも、だからこそ、僕にできることは何だってしようと思った。彼女が今まで発っしてきた優しさや、これからも色んな人に発していくであろう優しさ。それらが全て、もっともっと大きな形で彼女自身に帰っていくように。

って、車窓から見える景色を眺めながら、何考えてるんだ僕は…。
ちょっとキモかったな。うわ、軍手がヨダレで染みてきた!どうしようあと3駅でついちゃうのに!早く乾かさないと。


電車のドアが開き、改札へといそいそと歩いて行く僕。軍手は当然まだ湿っている。ムミちゃんとの初めてのデートが、こんな始まり方だなんて、ホントに情けない気持ちで仕方ない。

改札の向こうに、ムミちゃんらしき後ろ姿が見えた。

「ムミちゃん、ごめん待たせちゃったよね…」
「あ、テベロ君!全然、私が早く来たかっただけだから大丈夫だよ」

「そっか、その、じゃあ行こっか…」

ムミちゃんとのデートが始まった。これがデートか…僕、デートしてるんだ。うわぁ実感が湧かないよ。ていうか緊張してるのかっ…! 
今まではただの幼馴染の女の子だったのに、こうして二人で歩いてると、何て言うか、ムミちゃんて同い年の女子なんだもんな…

考えてみれば前にも何度か二人で出かけたことはあったし、学校帰りもよく一緒に帰っていたのに、何故か今日はそれまで過ごしてきた二人の時間とは全く異なる何かが流れているような気がする。

そんなふうに感じているのは、僕だけなのだろうか。

「テベロ君、軍手物凄い湿ってきてるけど大丈夫…?」
「うわ!ごめん、これは、あの、僕の意志とは関係ないんだ…」

やっちまった…最悪だよ…うっかり手からヨダレ垂らしちゃうなんて、なんてカッコ悪いんだ僕は…

「えっと、テベロ君、そんなに落ち込まないで…!」
「ほら、今日は凄く晴れてるから、その、きっとすぐ乾くよ!」

「ムミちゃん…ありがとう」

ムミちゃんはいつも通りに、僕と接してくれる。
あえて軍手の話題に触れないようにするわけでもなく、かといって手のことを深く聞いてくるわけでもない。そんな彼女の優しさに、僕も何だか温かい気持ちでいっぱいになってくる。

その日の天気はちょうど快晴で、心の中も晴れ晴れするような透き通った空が遠くの街まで広がっていた。

こんなに気持ちのいい天気はあの日以来だ。
転校生の甘蔵 飴太郎が、僕たちのクラスにやってきたあの日…

「テベロ君、私あの転校生の子、ちょっと苦手かも」
ふと、先日のムミちゃんの言動が頭をよぎる。

そういえばムミちゃんは、前に甘蔵 飴太郎のことが苦手みたいなこと言ってたな。もしかして、変なこと言われたりしたのかな。

たしかに甘蔵 飴太郎が発する言葉は、何か裏があるような含みのある表現で、ちょっと不気味なところがある。僕の手の秘密のことも、彼はもう気づいているようだし。

ムミちゃんを守るためにも、彼には色々と注意しないとだな。

「あ、見えた!」

大きなイルカのモニュメントとともに、水族館らしい色合いの装飾が施された、建物が視界に入ってきた。

入場券を買い、館内へと入って行った僕たちは、暗闇の中で活動する海の生命たちにすぐさま魅了された。

深くて静かな海のブルーは、明るく晴れた外の青空とのコントラストでより際立ち、世界の全てが一気に変わってしまったような感覚に陥る。

「あれ、あそこに」
何かを見つけたムミちゃんに、テンションが上がった僕はその日一番の笑顔を向けながら返事をした。

「どしたのムミちゃん、 珍しい魚いた!?」


「甘蔵くんが、いたかも」

そう言われて僕もすぐ、ムミちゃんの視線の先に目を向ける。
甘蔵 飴太郎らしき人物が、通路の奥へと消えていく光景が目に映ったような気がした。

少し背筋が冷たくなる。それは決して、同級生にデートを目撃されたかもしれないといった恥じらいの気持ちではない。そんな甘酸っぱいものではなく、もっと重たく、そして何とも言えない嫌な予感を伴った、気味の悪い感覚だったのだ。

他人の空似か、あるいは偶然なのだろうか。なぜ彼は、今日ここに、僕たちと同じこの時間に現れたのか。

「もうちょっとここ見てから次のフロアに行こっか」

「うん…僕ももう少しここの魚たちを見てたいかも」

おそらくムミちゃんも感じているのだろう。甘蔵 飴太郎から漏れ出す危険な信号を。


少し時間を置いてから、僕たちはまた館内巡りを楽しみ始めた。
クラゲやカニ、サメにオットセイ、本当に海には色んな形の生き物がいるのだということを実感する。

ムミちゃんは深海魚コーナーに興味津々だ。彼女は昔から可愛いものよりも少し変わったものに興味を持つ子だった。多分宇宙人とかUMAとか、その手の類のものも大好きなはずだ。

まあ、僕もそういうものが好きなんだけど。
そんなことを考えながら、僕はふと、水槽の中の魚たちと挨拶がしたくなり、軍手を取って優しくガラスに手を添えてみる。

「あれ、甘い…」

指先のガラスはまるで、飴のように甘く、ベタッとした独特の粘着性を帯びていた。

僕は驚いて、咄嗟に他の水槽も触った。すると、どのガラスもイチゴやブドウなどのフレーバーで味付けされたかのように、とっても甘くて美味しい飴になっていることが分かった。ガラスをよく見ると、見たこともない結晶で表面がコーティングされているようにも見えた。


胸騒ぎがした。何かが変だ。そして同時に、さっきまで横にいたはずのムミちゃんの姿が消えていることに気がつく。
ムミちゃんだけではない。館内にいたはずの全ての人が一斉に、いなくなっていたのだ。


怖くなった僕は必死でムミちゃんの名前を叫びながら、水族館中を走り回った。お客さんも水族館員も誰一人いない。残されたのは僕と、水槽の中の魚たちだけだ。

施設を飛び出し、明るい水族館の外へ出ると、そこには想像もしていなかった光景が広がっていた。

ガードレールも電柱も車も、遠くの方に見える建物も、辺り一面の全ての物が、あの水槽についていた飴のような結晶で覆われていたのだ。


「…………」

しばらく言葉を失っていると、何者かがこちらに語りかけてくる声が聞こえた。

「どうだいこの景色は、絶景だろ?」

それが誰かはすぐに分かった。

そこにいたのは、結晶で覆われた大きなイルカのモニュメントに腰かけた甘蔵 飴太郎だったのだ。

「あ、甘蔵くん、これは、何があったんだ……!?」


僕の質問には答えず、甘蔵 飴太郎は再び語り始める。

「想像してごらん。身の回りにある全てのものが、飴のように甘くなった世界を。そこはとても、素敵な楽園だとは思わないかい?」


「甘蔵君…何言ってるんだ…」

「あ、ムミちゃん、ムミちゃんを見なかった…!ムミちゃんも周りにいた人もみんな急にいなくなって…それで」

周囲からパチパチと、何かが弾けるような音が聞こえはじめる。
それはまるで駄菓子屋さんでよく見かける、炭酸入りのキャンディーを食べた時のような音に似ていた。

「今日からこの世界は、とっても美味しい飴になるんだよ」

「建物も動物も、あの全然味がしなかった、クラスメイトのムミちゃんも」

大きくなっていくパチパチ音の中で、両手の平を僕に向けながら、甘蔵 飴太郎が呟いた。

つづく

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