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夢は熟成か発酵かすると呪縛になる

小学生の頃、父のひざの上で描いた家の間取り図。

これが僕が建築家という職業をはじめて意識した時です。
物理などの理系の勉強が苦手だったという父は、憧れた建築家という職業を目指さなかった。
だからお金を貯めて自宅を建築する時には、それはすごい熱量であれこれ調べていて、書斎のデスクには5mm方眼紙に描かれた大量の平面図が置かれていた。

今思えばそれは「平面図」と呼ぶには遠く、不動産情報で目にする「間取り図」が正しい表現のものだった。
しかしそんな図面でも、小学生の頃の自分はとても興味を惹かれ、父に倣っていろんな間取りを描いては、あらゆる妄想をしていた。

その多くは、一歳年下の弟といかに部屋を分けるのか、自分の部屋をどれだけ豪華にして自慢するのか、そんなことばかりだったと思う。

多くのエスキスのもと出来上がった家は、母から後々小言を言われるようになる「変な空間」が存在するものだったが、それはまた別の話で。

夢のレールに乗って悩まずに社会人になった

そんな父は当然のように寺社仏閣や現代建築が好きで、僕は連れられていろんな建物にふれてきた。
そして、建築の道に進みたいと思う決定的な経験をしてしまう。
それは安藤忠雄設計の建築、岡山県の成羽美術館での体験だ。
浅く広いキラキラと光を反射する水盤や、秘密基地のようなコンクリートの塊と、弟と走り回り隠れることができる導線といった要素が、どれも子供心に新鮮に突き刺さった。
「安藤忠雄建築といえば?」と質問された人の口からからこの建物の名前が出ることはおそらくないだろうけど、僕の中では一番記憶に残っている建築だ。

この建築での体験が、僕の夢を乗せる特急電車のレールとなった。
カーブの多い線路でよく揺れたが、途中下車して別の路線に乗り換えることはなく、空間デザインの会社に就職した。

夢への疑い

就職してから5年ほど経ち、経験値に伴って仕事がしやすくなってきた時期は、激務に次ぐ激務だった。先輩方の汗の染み込んだ、ほのかに酸っぱい匂いのするソファにどれだけお世話になったことか。

体力的にも精神的にもしんどさが増してきたこの時期に、もともと早くに独立したいと考えていたこともあって「そろそろかな」と考え始めた。

そんな時にふと「自分がやりたかったことはこれなのか?」という考えが頭をよぎった。
師匠や先輩のデザインを見て、自分にはここまで格好の良い空間はデザインできないな、と感じたことも要因の一つだ。
だが、それ以上に、経営者の話が面白く感じてビジネスに興味が出たり、コンピューターそのものが好きだったことから、IT系の仕事に興味を持ったことが大きかった。
こんな感じで、あれやこれやといろんな方面に興味が湧いてきて、全く違う分野で一旗あげてやろう、という気持ちが沸々と湧いていた。
そうかと思えば「今から方向転換して果たして食べていけるのか?」という不安がまとわりついてくる。結婚したばかりであったから、その不安はことさら大きかった。

夢への不安と気付き

この時に初めて、自分が小さい時から夢を持って進んできたことを後悔した。他にもっと可能性があったのではないか?なぜ他の道について深く考えずにこの道に飛び込んでしまったのか。

夢というものが熟成するか発酵するかして、自身の意思を奪ってしまう呪縛に変わってしまったように感じた。
小洒落た肉料理を出す店のショーウィンドウにかかっている熟成肉や、体に良いからとおすすめされる発酵食品のような、価値が高くなる変化ではなく、ドロドロに溶けてしまって飲み込むことを体が拒否するような得体のしれないものになった感じ。

純粋すぎる夢を持っている時間が長ければ長いほど「自分はこうあらねばならない」と自分を縛ってしまうのかもしれない。
この時期は今振り返っても、二度と経験したくないような気持ちで日々生活していた。

いろいろ悩んだ結果、結局不安には勝てず、唯一持っているスキルが使える空間デザイン事務所として独立をした。
けれど、この時にはある言葉に触れたことで、心の整理はできていて、将来に対する光明さえ見えていた。

その言葉はこんなものだった。

「あらかじめ将来を見据えて、点と点をつなぎ合わせることはできない。できるのは後から繋ぎ合わせることだけだ。」

アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズが17年前にスタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチの一部だ。
(余談だけど、僕は当時は少数派だったMacをつかって卒業制作をするなどしていた大のMacファンだったので、ジョブズの言動はいつもチェックしていた。)

僕はこの言葉を「一つの技術や知見、価値観だけでは新しいサービスやプロダクトは生まれない。」という意味で捉えた。
だから、今は一つの技術しか持っていないが、いろいろと興味が出てきてしまった分野のことは、この後で少しずつ吸収していったら良いと考えた。
むしろ、そうしなければいつか仕事が途絶えるはずだから、その方向で間違っていないのだと自分を鼓舞することができた。

独立後は、この言葉の理解に従って少しずつ、時間を確保して興味のあることに頭を突っ込んできた。
起業家が集まる勉強会に参加したり、プログラミングの勉強をしてみたり、簿記の勉強をしたり、コピーライティング講座を受講してみたり。

独立して18年が経った。
今はこの時の判断が間違っていなかったと思えるようになってきた。

ビジネスの肝要な部分や、収益の仕組みをすぐに理解すること、ビジネスアイデアを一緒に出すことを喜んでくれるクライアントがいる。
小さい事務所だけど、生産性を高めるために、いち早くクラウドサービスを導入したり、自動化できる作業をプログラムにやらせることもできている。

当時の判断を「確信した」と言わないのは、まだまだやりたいことがたくさんあって、新しい「点」に飛び込んでいる最中だからだ。
そしておそらく、仕事を続ける限り新しい好奇心の「点」はなくならない。

夢があろうがなかろうがどっちでもいい

小さい時に大人から「将来の夢はなあに?」と聞かれて答えられなくても全く問題ないと思う。独立前の不安がっていた自分なら、むしろ夢なんてなかった方が良かったと言っただろう。でも、これも違っていて、夢を持っていても良い。

結局のところ、興味のある「点」に出会うのが早いか遅いかだけの話だ。
そして夢はいろいろあって良い。

夢はたくさんあるけど、あれもこれも全部はできない、という言葉はとても誠実だと思う。全部を極めるには人間の寿命では足らないし、そもそも現代は興味をそそられるものが多すぎる。

自分の経験値としての「点」にするにはそれなりに時間がかかるから、どの点を選択するのかを吟味することは非常に大切だと思う。

おそらく成功している人は、自分の資質と点の選択の組み合わせが上手な人なんだろう。

最後に

「夢が呪縛に変わる」とはなんともいただけない表現だなと思った。
僕の夢が呪縛に変わったのは、一つの食材をただ机の上に放置していて腐っていたからだった。

大豆を茹でて放置しておいても、納豆菌が存在しなければ納豆にならないように、夢にも納豆菌の役割をする「点」を加えて、ちゃんと発酵させないと本来の夢にはならない、そいういうことだろうとこのnoteを書きながら自分のなかで腑落ちした。納豆大好き。

自分の子供が進路に迷った時、少しでも不安を消すことができたらと思っていたけど、面と向かって話をしても思春期の子供はきっと話半分になると思ったので、いつでも取り出せるようにと書いたnoteでした。

長女は中学生、あっという間に悩む時期が来るだろうなぁ。悩みも成長の印です。がんばれ。

建築・インテリアなど空間デザインに関わる人へ有用な記事を提供できるように努めます。特に小さな組織やそういった組織に飛び込む新社会人の役に立ちたいと思っております。 この活動に共感いただける方にサポートいただけますと、とても嬉しいです。