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『何もない』があるところ

西表島の『何もない』大自然に相対して、自問自答する。

『何でもある』この時代、自分のアイデンティティや、本来の自分を、見失ってしまいがちだ。

この便利すぎる世の中、スーパーに行けば、好きな食べ物がある。好きなだけお酒が飲める。
寒くなれば、暖房があり、コーヒーが飲みたければ、どこでも飲める。
火はボタン一つで使え、蛇口を捻れば飲み水が出てくる。
仕事を探せば、多種多様な仕事がある。
情報が知りたければ、何の情報だって転がっている。
なのに、それでも何かが足りない。心は満たされない。

欲しいものがいつでも手に入る世の中に、これ以上、我々は何を望むのか。

こんなにも、ものに溢れ、ほしいものはいつでも手に入る。
しかし、それで人々の心は満たされているのであろうか。
手に入れることで、心は満たされるのか。
求める心に終わりはあるのか。

ここ西表島には、『何もない』があった。
ここで過ごして、本来の自分に戻れた。
そんな気がした。

澄み渡った海に感動し、温かいオレンジ色の夕陽に心を打たれ、闇を照らす星に心を和ます。
砂浜に座って風を感じ、波の音に心を落ち着かせる。
雨が降れば寒いと感じ、雨が止むと太陽に感謝する。
焚火を囲い、仲間と語ることに、人との繋がりを感じる。
そして、焚火にくべた薪は、この場所を照らすひと時の炎となり、煙と共に空へ消えていく。

地表には風が吹き、海には波が立ち、雲はのんびりと流れていく。
空には鳥が飛び交い、海には魚が泳いでいる。
そして、今この場所に自分が存在している。
自然は自分のことなんて構うことなく、この一瞬一瞬を、吹き抜ける風の如く過ぎ去っていく。
この大自然に相対して、あらゆる事をただただ感じる。

『何でもある』場所で、忘れかけていた"何か"を、『何もない』この場所で、思い出した気がする。

生きるとは何か。
大切なものは何か。
それは心なのか。
真実はない。真理もない。正解もない。
考えずに、ただ感じきる。

ありのままの自分に戻れる。
自然にはそんな力がある。


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