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会話や文章で使える?教養あると思われそうな「歴史たとえ」

「歴史上、九州に左遷となりながらも挽回して中央勢力を凌駕したのは菅原道真と指原莉乃だけ」

Twitterにこんなおもしろい「歴史たとえ」が転がっています。このネタは7,8年前くらいからTwitterに浮上していたようで、最近またインフルエンサーが取り上げて注目を集めていました。

他にも、「テレビで志村けんがバカ殿様を35年やっていると聞いて、徳川家康より長いですねと誰かが言っていた」というのもあって、これも、うーんとそのセンスの高さにうなってしまいました。

このふたつはいずれも「歴史×芸能人」という、一見混じりそうにないものを掛け合わせ、対比させることで意表を突いた笑いの効果を生み出しています。

なんと言いましょうか、キャップ帽かぶった老人が渋谷のスクランブル交差点ではつらつとストリートダンス踊ってるみたいな不意打ち感があって、「やられた」と思ってしまいます。

先駆者の例に倣い、ここでちょっと歴史たとえに挑戦。お目汚しお許しください。

まず、人気アイドルグループ・ももいろクローバーZのWikipediaから、次の文章を抜粋。

私たちは、天下を取りに来ました。でもそれは、アイドル界の天下でもなく、芸能界の天下でもありません。みんなに笑顔を届けるという部分で、天下を取りたい。そう思います。これからもずっとずっと、みんなに嫌なことがあっても、私たちを観て、ずっと笑っててほしいです。

これを受けて歴史にからませ何かツイートするとしたら、こんなのはどうでしょう?

「私たちは征夷大将軍にならなくていい、ごちそうをふるまって喜んでもらう大膳大夫でありたい」

最初に挙げた二例と比べてインパクトに欠けるし、バズるレベルじゃないのも承知ですが……やっぱりこういうのは作為ではなくインスピレーションでパッと切り込むほうがドライブもかかるんじゃないかと思います。

次回は自分のTwitterでがんばります(笑)あと、ももいろクローバーZの関係者ならびにファンのみなさん気分を害したらゴメンなさい。

歴史たとえの頂点に君臨するのが「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」

よくよく考えてみれば、私たちの身近な世界には歴史たとえがたくさん存在し、普段何気なく使っている方も多いのではないでしょうか。そう、故事をもとにしたことわざや慣用句、四字熟語です。これこそ、歴史たとえが市民権を勝ち取り残ってきた結果でしょう。そこに誰もが納得する普遍性があるからこそ長い年月をかけて受け継がれてきたといえます。

天王山、天下分け目の関ケ原、敵は本能寺にあり、小田原評定、洞ヶ峠を決め込む、敵に塩を送る、弘法も筆の誤り、呉越同舟、臥薪嘗胆、会稽の恥、隗より始めよ、泣いて馬謖を斬る、賽は投げられた、ローマは一日にして成らず……

ここではとても挙げきれないほどです。

ふだんの会話や何かの文章で、ちょっと知性を出したいときにこれらの表現って便利ですよね。

新聞記事やドラマのセリフ、小説などにもよく登場して、それを聞いた時、ストレートな表現より何か重みがあり妙な説得力を感じたりしませんか?

歴史の故事を使用することで、何かそこに重みだったり、普遍性だったりが付け足されるんですよね。あと、嫌らしい言い方だけど、知性や教養を感じさせる文章を狙いたいとき、印象的に強く訴えたいとき便利に使えると思うんです。

これぞまさしく「温故知新」の効果じゃないでしょうか。

むかしの人の本を読むと、歴史上の人物やエピソードを持ち出して何かに例えるくだりって結構多いんですよね。娯楽の少ない時代だったし、戦国武将の生き生きとした手柄話や豪快なエピソードそのものが娯楽だったから、楠木正成や源義経の話なんか子どもから大人までみんな知っていた。

現代は歴史にかわってアニメがそのポジションにあるのかもしれません。SNSでもアニメ例え多くないですか?

「平家物語」「太平記」から何か使える歴史たとえあるんじゃない?

例え表現は、会話や文章にユーモアセンス・知性・教養を出したいときに有効です。

小説ではよく使われるレトリックですし、最近ではお笑い芸人さんの「例えツッコミ」が新たな例えジャンルとして確立されてきましたね。これなんか短いフレーズで瞬間風速的にインパクトを誘うSNS表現と相性がよく、同時にかなり大きな影響を与えてきた感じがします。

ふだん物を書いている人は書きながらどこかで「ここ何か比喩使えないかな」と意識しながら書いてるかもしれません。何かの挨拶やスピーチ、プレゼン資料などにも生かせると思いますし、実際多用されています。要所要所で使うと文章に深みが生まれ、印象が残りやすいから上手に使いたいですよね。

ここでは、歴史に的を絞って「知性と教養を感じさせ、かつ深みを出せる例え表現」に使えるものを摘出してみたいと思います。

むかしから日本人に親しまれてきた古典「平家物語」、昨今歴史クラスタの間で人気の「太平記」から使えそうな素材をピックしてみましょう。詳しい意味や歴史的背景はわからなくても、ニュアンスさえ伝わればそれなりの効果はあると思いますよ。

平家物語より「安宅の関の富樫左衛門」

「安宅(あたか)の関の富樫左衛門」といえば、どちらかというと平家物語より歌舞伎の「勧進帳」のほうが有名です。

安宅の関とは、北陸と東北の国境にある加賀国の関所のこと。兄・頼朝と対立し追われる身となった源義経が、山伏姿に扮し、従臣の武蔵坊弁慶らとともに奥州へ逃避行。その前に立ちはだかったのが、安宅の関の関守・富樫左衛門です。「富樫VS弁慶」の問答シーンは、ハラハラドキドキさせる勧進帳最大のクライマックスとして有名です。

富樫は義経一行の素性を怪しみ、山伏ならばそれを証明してみせよと厳しく追及します。それに対して弁慶は巻物をさっと取り出しあたかもそれが勧進帳であるかのように朗々と詠みあげる。それでも追及はやまない。弁慶は主君義経を金剛杖でこれでもかとばかりに激しく打ちつけ、迫真の演技でこの場を切り抜けようとします。弁慶の並々ならぬ気迫と行動に感じ入った富樫は、義経の変そうを見破りながら通過を認めるという話です。

つまり、男気や仁義、粋なはからいを強調したいときに使える歴史たとえになりますね。

このエピソードを生かして例え表現の用例を考えてみましょう。

「状況から察するに、受給条件を満たしそうにない。しかし、窓口の職員は母子の生活保護の受給を認めた。まさに安宅の関の富樫左衛門であった」

「この難民申請を受理してよいものか。入管職員は自分が安宅の関の富樫左衛門のような立場にあると思った。それは道義の審判を自分が受けているような感覚だった」

ちなみに平家物語は、「驕る平家は久しからず」「弁慶の立ち往生」「落ち武者はすすきの穂にも怖ず」「都落ち」「平家にあらずんば人にあらず」などことわざ故事の宝庫で、転用に使えるエピソードや名言も少なくありません。

太平記より「高師直」

太平記は南北朝の争乱を描いた軍記物語です。後醍醐天皇、楠木正成、新田義貞、足利尊氏、北畠顕家などのそうそうたる人物に混じって登場するのが、足利家の執事・高師直(こうのもろなお)。

この人ときたら、不倫相手の夫を無実の罪に陥れるわ、昇進をいいことにぜいたくを極めるわ、主君に楯突いてクーデターを起こすわ、とてもわかりやすい悪役キャラクターとして描かれています。その栄華も長く続かず結局は足利直義(ただよし・尊氏の弟)との権力闘争に破れ滅んでしまうわけですが、悪を象徴化したキャラだけに例え表現にはもってこいです。

先に挙げた富樫左衛門とは対極に位置するような人物と考えてよいでしょう。そんな立場を弁えない悪逆非道の高師直を何かの例えに使った用例はこちら。

「奴は○○社の高師直だ。部下の夫人を寝とる。人事権を私物化する。権柄ずくで取引先を威圧する。はやくこの問題人物を排除しなければ、たちまち我が社の経営に禍根を残すだろう」

「権力を私物化する高師直のような政治家ばかりだから、国民はそっぽを向くのだ」

ちなみに、高師直と代替可能なキャラ(つまり似たような人物)に道鏡がいます。奈良時代に朝廷に仕えた高僧で、孝謙天皇の寵愛をバックに専横をきわめた人物とされます。皇国思想が強かった戦前はとくに評判が悪く、口を極めて罵る歴史家も少なくなかったようです。

その道鏡と対極にあるのが和気清麻呂です。前者が欲におぼれた奸臣・佞臣という立場なら、後者は天皇への忠誠を固く守った股肱の臣として評価されています。ドラマ『半沢直樹』に例えるなら、主人公半沢は和気清麻呂、対して大和田暁は道鏡か高師直といったところでしょう。

もちろん誰もが知っている人物やエピソードのほうが伝わるし効果大

他にもっとたくさんいいのあるのに何でこのふたつやねん!と思いますよね? ぼくも思っちゃいました汗…だって膨大な数あるし、吟味していたらラチがあかないので、あくまでパッと浮かんだインスピレーションを大事にしました。

現代では富樫左衛門や高師直を知っている人が少数派なので、あまり効果は薄いかもしれません。その意味では今やっている大河ドラマに出てくる渋沢栄一やその周辺の人物などを取り上げるチョイスにすべきだったかもですね。書いてる途中で気づきました…

その辺の感覚が足りないからこのnoteも伸びないんだろうなーと反省←この記事の反応がよければ今度は渋沢栄一編としてお届けできればと思いますので、応援いただければうれしいです!







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