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「見えないもの」にある価値を見つけたい

ふと、「あれ? 特定秘密保護法ってどうなっただろう?」と思い立ち、ネットでちょっと調べてみた。「ひょっとすると、知らない間に逮捕者が出てるかも?」

ざっとしか調べてないけど、逮捕者に関する情報などはヒットしなかった。詳しく調べたら出てくるかもしれないが、いやいや、「あの」特定秘密保護法である。逮捕者が出たというニュースが、目立たないところに隠れているわけがない。というか、調べるまでもなくおのずと耳に入ってくるだろう。ということは、そんな話はないのである。(左側から、「政府とマスコミが隠しているんだ!」という声が聞こえてきそうだけど)

「居酒屋で日米安保の話をすると逮捕される」「自由に映画を作れなくなる」「米軍基地の傍で写真を撮ったらしょっぴかれる」などなど、同法の成立前後にはきな臭い言説がこれでもかと飛び交い、まるで暗黒時代の到来かのように騒がれた。日本はこの先どうなるのだろう、と本気で心配した一般人もさぞ多かったに違いない。

それほど重大な法律であれば、成立よりむしろ施行後、どのように運用され国民生活に影響を及ぼすのか。この点を熱心にウォッチしなければならないはず。なのに、そんな動きは一切なかったような気がする。

それはともかく、特定秘密保護法が報道で伝えられたような類のものでなかったことは、多くの国民が実感するところだと思う。そしてそれは成立時にちゃんと説明されていた。

そもそも、法律なんて実感を得るような仕組みになっているのだろうか。「多少の不自由は我慢しましょう、その代わり安心の生活を手に入れましょう」。おおざっぱに説明すると、法律とはそんな趣旨で作られるものではないだろうか。

その効果は目には見えない。目に見えるときがあるとすれば、法律を破った瞬間であり、目にするのは犯罪者といえるだろう。とすれば、それ以外の大多数の一般市民は法律を守る限り、「目に見えないまま」なのだ。

「特定秘密」に該当するのは、国家の存続に関わる重大な秘密情報、と条文に書かれてある。そして取り締まりと処罰の対象は、そのような重大な秘密情報を知り得る立場にある一部の公務員のみ、ということだ。

この法律によって、機密情報の漏洩を防げていたとしても、その効果は残念ながら目には見えない。「何も起きていない」ということは、法律の効果といえなくもないはず。だが、目には見えない「何も起きていない」ことの評価は、とても難しい。「これで機密情報の管理が厳格になった」というあいまいな感じでの評価しかできないだろう。もちろんそんなネタはニュースにならない。

反対に、法律に不備があったために国家機密が漏れてしまったー。そんな事態も考えられるわけだ。そしてその影響は、実害が発生するまで目には見えない。同法の本質的な問題点は本来ここではないのか。なのに、テレビでそんな議論があったのか、あやしい。

病気、事件、事故、戦争、災害。これらは強烈なインパクトがあり、多くの人が関心を持つ事象でもあり、いったん起こるとすべてを埋め尽くすような強大さがある。だからニュースになるのは当然、としても、だ。

目には見えないもの、つまり、健康、安心、無事、平和、これら誰もが欲しいと思いながらも、大切に感じにくくきちんと評価できないものについて、どうすればきちんと評価できるようになるのか、賢いはずの大学教授コメンテーターさんは知っていないものだろうか。特定秘密保護法を振り返ってみて、そんなことを思ったりした。



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